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【短編小説】バウムクーヘン

 彼女と一緒に暮らしている。二人での生活は結構だらしなくて、ご飯も決まった時間に食べない。
 僕はボロボロと菓子パンのカスをこぼしながら食べて、彼女も同じように食べ、放置する。ひどい時にはカップ麺の汁すらも放置した。
 「なぁ、流石に汚いよな」
 「そうかもね」
 彼女は、僕の意見に賛同したにも関わらず、咀嚼した麺が少しだけ飛び出た。
 「なぁ、俺、いいアイデアがあるんだ」
 「何?」
 彼女がコップの水を飲む。
 「それ」
 「ん?」
 コップに口をつけながら、彼女は目だけを僕に向けた。
 「つまりさ、食べ物を食べる時には、下にコップを添えるんだよ。そしたらさ、食べ物は床に落ちないだろ。しかもだ、コップに落ちた食べかすは水と一緒に飲めば、無駄も省けるんだ」
 彼女はコップを机に置いて、パッと目を輝かせた。

 翌日から、食べかすは床から姿を消した。コップに溜まる食べかすを飲むことも、驚くほどすんなりと受け入れた。本当に問題は見た目だけなのだ。
 「すごい良いじゃんねー。このアイデア!」
 彼女は、このアイデアをとても気に入っている。コップにはバウムクーヘンのカスが水でふやけて細かく分離していた。
 その時、僕はその分離したバウムクーヘンに嫌な予感を覚えた。その予感はなんなのかわからない。僕自身、右手に持ったコップの中に、バームクーヘンのカスが浮かんでいて、すでに2回ほど飲んでいる。それなのに、なぜだろう。わずかな嫌悪の予感。その理由が分からず、コップを机に置いた。
 彼女はテレビを見ながら、水を飲んだ。すべて飲み尽くしたがバウムクーヘンのカスは飲みきれていない。コップの内側に張り付いたままだ。もしかして、コップに食べかすが残る状況に僕は嫌な予感を覚えていたのだろうか。だとしたら予感は外れだ。僕はそのコップを見ても何一つ嫌悪しない。
 「あー。もう水ないよー」
 彼女もコップの中のカスを全く気にしていなかった。
 「水、取ってくるよ」
 冷蔵庫まで水を取りに行こうと立ち上がると、
 「別にいいよ。ここにあるし」
 と言って、僕のコップに手を伸ばし、バウムクーヘンのカスが浮いた水を飲んだ。そして、彼女が僕のカス入りの水を飲むことで、僕が彼女のカス入りの水を飲む感覚を想像した。そして気がつく。僕は食べかす入りの水を、安全な汚物と認識していることに。そして、自分が作り出した安全な汚物は許容でき、自分以外の人間が作り出した汚物を食べることしたくない。と思っていることにも気がついた。これがあの嫌な予感の正体なのだ。
 「ん? どうした? 喉乾いたの?」
 そう言って彼女は僕に汚物を差し出す。

 僕はそれ以来、バウムクーヘンが食べられない。

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鳥居ぴぴき 1994年5月17日生まれ 思いつきで、文章書いてます。