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【長編小説】異精神の治し方「境界治療」.1

[異精神症]
 患者の精神活動が現実に影響を与えるようになる奇病。
 十二歳から十三歳の間で発病する。年間の発病者は三十人前後。
 発病者は沼田記念学校への入学が義務付けられ、治癒期間が設けられる。
 一般的に十九歳を迎える日までに完治すれば普通の生活に戻ることが許される。


 ヤバい。考えるよりも先に身体が動いた。物理の法則みたいに、感情が入り込む隙のない見事な反射だった。
「カオル!」
 私が思いっきり名前を呼んでも当然だが返事はない。異精神者が物質化を起こしているんだから、まともな反応が返ってくる訳ない。
 カオルを取り囲む壁は透明だ。何処までも透き通っている。壁の存在が分かるのが不思議なほど透明だ。
 壁の内側に逃げ込んでる癖になんで透明なんだよ。そう思うけど、人のことを言える立場でもない。だって私の壁も透明だから。
 カオルの壁は教室を埋め尽くしていた。
 壁の中に入ろうとする。けど、私は拒絶される。全く入り込むことが出来ない。だって、私はセラピストじゃないから。
 目が合った。カオルの後ろでじっと立っているアイツと。
 本質と呼ばれる彼らは、異精神者が作る壁の中に潜んでいる。壁と本質。この二つが現実に作用してしまう。それが異精神の症状の一つだ。
 カオルの本質は人型で二メートルの身長がある。人型とは言っても、全く人には見えないタイプも多い。カオルの本質は、かなり人間に近い形をしている。とはいえ、やはり普通の人間と間違えるようなことはない。
 まず、身体全体が新しい包帯に巻かれている。足の先から首まで綺麗に全て。顔はある。が包帯に巻かれていてよく見えない。それでも伝わるのは厳しい表情と、クッキリとした輪郭、横に着れるような目。頭は綺麗に丸められていた。歌舞伎役者のような印象で、優しいカオルとは全く似つかない。
 カオルの本質はじっとしている。カオル自身は本質にお姫様抱っこをされて呑気に宙に浮いていた。
 どれだけ壁に向かっても、じょうきょうは変わらない。中に入ることが出来なかった。その事実に私は傷つく。そして、壁にぶつかって傷つく度に、私の異精神の物質化がより重症化していることに気がついた。
 でも、気がつくだけ。それをコントロールする事は出来ない。出来たらとっくにセラピストになってるし。
 振り返ると、私の本質がいた。現れてしまったのだ。
 吐き気がする。私の本質はとても見るに耐えない姿だから。
 まず、大きな猫の形をしている。その身体を構成するのは小人の群れ。小人と聞けば可愛らしい姿をイメージするかもしれない。実際、一人一人をつまみ出して観察すればそれほど醜くはないのかも知れない。
 小人の群れは絶えず動き続ける。マクロで見るとウジが蠢いているようで、ミクロで見れば小人同士が、裸で生殖し、出産し、死に絶え、その死体を貪っている。生まれた子供はみるみるうちに成長し死体となり、新しい子供の食事になる。
 カオルの方に向き直した。小人の生と死の残酷な予感が背中を撫でる。巨大な猫の姿をした本質は、私の首根っこを咥えた。子猫のように私は浮き上がる。
 私じゃカオルを助けられないんだ。そう思うだけで本質が騒ぎ出す。そして、私の意思とは関係なくカオルの壁を攻撃し始めた。
 無理やり壁を突破するなんて、合法処刑人のやり方だ。セラピストは本質を癒す。
 このままじゃ、カオルを死に追いやってしまう。その焦りが余計に本質の働きを盛んにさせる。
 けど、もしかしたら。と、この後に及んで私は思っていた。
 壁の中に入ることさえ出来れば、カオルに触れることが出来れば、カオルの本質を理解して完治することが出来れば。
 私の本質が、爪を研ぐ様にしてカオルの壁をぎりぎりと痛めつけている。壁はもう少しで崩壊しそうだった。

 やった。やった。やった。やった。やった。やった。

 もう、必死に壁を傷つける。あと少し。もう少しでカオルの元に行ける。
 なのに。
 視界の端に、少女の姿が映った。
 誰だろう? 一瞬分からなかった。けど、だんだんと思い出してくる。アイツは、そうだリコだ。
 リコは、何もかもが私と正反対に思える。同じ透明な壁を持っているのに。
 長い髪も、切れ長の目も、高い身長も、大きな胸も、全てが私と違う。私が手が持っていないものばかり、手にしていた。
 リコは私を見た。
「ねえ、ニーコ、異形化するつもりなの?」
 リコの低く落ち着いた声は、私の脳に鮮明に響いた。壁の系統が同じだからこんなに私と共鳴するのだろうか。
「違う。境界治療をするに決まってるじゃん」
「でも、その壁自分のだよ」
 リコに言われやっと気がついた。確かに、私の本質は私の壁を壊そうとしていた。私はカオルの壁すら見分けることが出来なかった。
 リコは見分けることが出来る。その事実は物理的な暴力と同じ意味を持っていた。
 だから、私の本質はリコに向かって鋭い爪を突き立てようとする。しかし、壁を越えることが出来るはずもなく、その場に倒れ込んだ。
「おっと、君の猫ちゃんは本当に強力だ」
 リコは全く動じていない。私は、自分の本質に振り回されて気持ちが悪くなっっていた。
 私は地面に投げ出されたままで、リコがカオルの壁に触れるのを見る。当然の様に壁を抜け、運命的にカオルに触れた。
 セラピストによる、境界治療が始まった。
 カオルの目に正気が宿る。二人が見つめ合った。リコの壁が急速に展開し、カオルの壁と同化する。
 私だって同じ性質の壁を持ってるのに。私の方がカオルのことを昔から知ってるのに。なのに、カオルはリコを受け入れるんだ。
 私は、私の本質を睨みつけた。こんな事になるくらいなら、合法処刑をしてしまえば良かったのに。

 異精神が完治した人は、セラピストになる資格を得る。そして、同じ系統の壁を持った異精神者のセラピストになる。
 リコより早く完治していれば。そうしたら私がカオルのセラピストに成っていたのに。
 絶対不可侵の壁の中、リコの身体が変化する。異精神の完治とは、自らの本質を理解し手懐けることだ。その結果、自分の本質と一体化する。
 リコの身体は金属質になり、至る所からハサミやメスや鏡が現れた。その全ては触手のように絶えず動いている。
 足も腕もない蛇の形をしている。ヤマタノオロチみたいだ。その中心にリコの顔が不自然に埋め込まれている。表情は真剣そのもの。
 刃物をフルに使って、カオルの本質が脱がされていった。巻き付いた包帯だけを見事に切り取り、捲っていく。簡単にカオルの本質は裸になった。荒々しい呼吸で胸が膨らむのが生々しい。
 金属化したリコは、ハサミやメスを細やかにぶつかり合わせた。そして段々リズムが聞こえ始める。なにかメロディも聞こえる。それは意図的に生み出されている音楽だった。
 カオルの本質が歌った。低い声。テノールというやつだろうか。
 その歌を聴いているうちに私は眠くなってきた。まるで、子守唄のようだ。

 目が覚めた時、私は真っ白な部屋に居た。リコが近くに立っていた。
「カオルは?」
 私は訊く。リコは私が寝ているベットに腰をかけた。
「クラスⅣになったから、オアシス行きだよ」
 それは、カオルはまだこの世にいて、合法的処刑を免れたということだ。
 言い換えると、リコが施した境界治療が成功したということだ。
「良かった!」
 思わずリコに抱きつこうとしていた。けど、直前でやめた。
 私の挙動不審な動きにリコが怪訝な顔をする。
 何も聞かれてないけど、私は答えた。
「別に。何でもない」
「うん」
 リコは他のセラピスト達がそうであるのと同じ様に、心地の良い無関心な返事をした。
 無言になる。時間が気になった。腕につけられた忌々しいデバイス、沼田システムを確認する。十四時。
 ディスプレイには時間と一緒に私の現在のクラスが映っている。クラスⅢだ。
「ニーコ、貴女は患者であるにも関わらず、境界治療を行った。そして、失敗した。クラスⅣになる可能性も充分にあったの」
 だったら、カオルと同じクラスⅣでも良かったのに。
「もし、リコさんが居なければ、私が境界治療を成功させてた……、かもしれないでしょ」
「それは、不可能かな。患者が境界治療を成功させたなんて前例もないし」
「でも、一番最初は前例なんてないじゃないですか」
「ニーコ、声大きいよ。感情をコントロールしなくちゃ」
 セラピストらしい説教くさい言葉。聞きたくもない。
「貴女にそんなことを言われる筋合いはありません」
 リコはニヤリと笑う。
「例えば、今日から私がニーコのセラピストだったら、それでもその筋合いって奴は無いのかな」
 沼田システムが赤く光った。脈拍が高くなりすぎてる。
「それって、例え話なんだよね?」
「あ、ごめん。事実だった」
「え、マジ無理」
 目が眩む。布団にまた倒れこんだ。焦ったリコの声が聞こえた。そうだ、もっと焦ってしまえ。
 リコの言葉が冗談だと願いつつ。

鳥居ぴぴき 1994年5月17日生まれ 思いつきで、文章書いてます。