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【長編小説】配信、ヤめる。第7話「テーマパーク配信」

 生配信とは一体、なんなんだろう。テロップや効果音をつけた、いわゆる編集された動画と比べると、確実に完成度は劣る。
 しかし、人気ジャンルになりつつあるのは確かだ。やはりリアルタイムで時間を共有できるのはそれだけで楽しいんだろう。だが、どうだろう。このままでいいのだろうか。
 配信者が増えてくる。そうすると自ずと評価は相対的になってくるだろう。時間を共有するだけで楽しかった配信は、だんだん、楽しませてくれるのが当然なエンターテイメントになる。
 多分、求められる能力はとても高いものになる。なんせ視聴者とは直接対峙してるし、凝ったことをしようとすればミスをする可能性も大いにある。だからこそ、配信者一人一人の能力が最大に生かせる〝場〟が必要だ。
 って蛍太さんが言ってた。
 昨日の夜、俺たちはこの部屋に戻ってきた。儀式が終わった後、睡眠をとってから昼過ぎに目覚め、興津さんを家に送った後のことだ。
 今は昼。日光を避けるために遮光カーテンをしている蛍太さんの部屋は薄暗い。
 俺は蛍太さんお家で暑さを耐え忍びながら横になっている。いつの間にか出来上がった俺スペースにはゴミが散乱していた。
 蛍太さんはいつものようにゲーミングチェアに腰掛けている。FPSをしているんだろう。マウスの動かし方的に。
 スマホが鳴った。正確には、スマホがバイブレーションしてフローリングと激しくぶつかって音が鳴った。
 もちろん、蛍太さんはヘッドフォンしているから気がつかない。別に隠れる必要もないが。
[ところで様子はどう?]
 アルハレからだった。最近は連絡がなかったが、気を遣っていただろうか。俺はなんとかみんな無事だと返信する。
[それは良かった。んでさ、ちょっと面白そうなイベントあるんだけど、気になって?]
[えー、気になる]
[ズバリ、謎解き大会! 絶対配信映えするぞこれ]
 そこにはURLがついていた。
 俺は体を起こす。寝そべってばかりいた俺動き出したから、蛍太さんがヘッドフォンを外してこちらを見ている。
「あのですね、配信のネタ来ました」
「お、流石リーダー。どんなの?」
「これです!」
 俺はスマホを蛍太さんに見せる。
「お、アルハレからの案か。あいつも暇だな」
 蛍太さんと共にリンクに飛ぶ。遊園地の公式サイトで夏休みにビックイベント、謎解き大会開催と画面いっぱいにポップアップした。
「どうっすかね。これ」
「最高だろ。よし、積木ちゃんに連絡だ」
 開催は八月一日が始まりだ。カレンダーを確認する。明後日だ。

 この謎解き大会は毎年行われているようで、特に答えが完全に分からない初日は芸能人が来る年もあるほど大きなイベントらしい。
 開催される遊園地は『テオティワランド』広さは東京ドーム十個分なんてのを聞いたことがある。
 中は五つのエリアに分かれていて、アステカ神話を遊園地ように解釈した設定を採用している。一つ目のは巨人が住まう閑散としたエリア。二つ目は猿たちが住む木々が生い茂った爽やかなエリア。三つ目は雨で様々な作物が育ち、独特な生き物のようになっていて陽気なエリア。四つ目は水中で穏やかな雰囲気のエリア。五つ目はとても現代的になった騒がしいエリア。そうウェブサイトにそう書いてあった。
 謎解きイベントは、九時になると特定の従業員が配り始める秘密の手紙を受け取ることから始まる。その手紙には答えの写真を撮るためのヒントが書かれていて、合計三つの答えの写真を撮ることでこのイベントをクリアすることができる。
「なんか緊張してきましたね」
 蛍太さんの運転する車の中で、ルールを再度確認しつつ、みんなの緊張をほぐすために呟いた。
「てか、積木ちゃん寝てる? 冒涜だよな。運転手に対する」
 おっと、どうやら緊張してるのは俺だけらしい。だってさ、そもそも遊園地という非現実的な空間が存在するってだけでなんとなく心臓の鼓動が強くなるんだ。もちろん、悪い意味で。
 混み合う駐車場でなんとか駐車を済ませ、ちょうど目を覚ました興津さんと共に車を出た。そこから五分ほど歩くと、『テオティワランド』の入場口に到着することができる。
「うおー。でかいな」
 よく寝て元気いっぱいの興津さんはここからでも見える巨人像をみていった。あれは一つ目のエリアを象徴するものだ。
「中に入れるみたいだよ。景色が見られるわけじゃないからあんま人気はないみたいだけど」
 補足の説明をしてみる。
「えー、動き出さないんですか?」
「あんなデカいの動いたらヤバいでしょ!」
「ふーん」
 もう、興津さんの興味は受付に移っていた。キャストの人がキッチリとしていながらも可愛らしさがあるスーツに身を包んでいる。
 一月の食事代を犠牲にして切符を手に入れる。中に入るとまるで空気が変わったような錯覚を覚える。この感じが俺はあまり好きじゃない。
「わー、みんなー。見えてる?」
 興津さんが急に話始める。スマホに向かって。いつの間にか配信を始めてたようだ。これが配信者のサガ。
 正直、興津さんがちゃんと配信をできるのか不安だった。ゴミ捨て場の配信についてのコメントが流れるのは確実だからだ。
 そんな心配する思いもありながら、俺は急いでサングラスを掛け顔を隠し、一緒にスマホの画面を覗いていみる。
 案の定、ゴミ捨て場についてで俺たちを煽るコメントが流れている。興津さんの横画を見てみる。もう、何も気にしていなかった。
 大半のコメントはこの場所についてのことと、久々の配信を祝う内容だ。
[わ、どこだ?][都会やんけ!][特定した]
 みんな、ここがテオティワランドだということが分かっているらしい。後ろに映り込んでる入り口のアーチをみんな見ているんだろう。
 時刻は八時半。謎解きが始まるまであと三十分——。

 テオティワランドが騒がしくなった。レストランやアトラクションの控え室から民族らしい服装をした従業員が出てくる。
 大きな鞄を肩から下げていた。人が群がっている。
 その景色を俺たち三人は座って眺めていた。
「ちょっと空いてから行くか」
 カメラマンとなった蛍太さんがスマホを俺たちに向けて言った。コメントが気になった俺は画面を見に行く。興津さんも同じように見にいって、カメラは従業員を映し続けている。
[今いけ!][おい、先を越されるぞ!]と、意味もなく俺らを急かすコメントの中、何度も繰り返し連続で投稿されているコメントが目を引く。
[【悲報】万を辞しての配信、他の人気配信者もやっていて視聴者を盗られている模様【当然】]
 急に増え始めたコメントだ。俺たちを煽っている。少し気になるのが癪に障る。
 てか、他の配信者もここに目をつけていたのか。お目が高い。
 と感心しつつ、まあ何よりも、他のコメントが見えずらくて邪魔だ。
 なんとも、このコメントに触れるべきかどうか迷う。興津さんも蛍太さんも絶対に目に入ってるはずなのに、口に出さない。妙な気まずさがあって、それは視聴者にも伝わっているようだ。容赦無くその空気にツッコミを入れてくる。前回に比べてみている人の数は倍になっているから、コメントの質が落ちているのかもしれない。
 話題性があれば、嫌いなものでも人は見るんだろう。
 大体見終わって満足。目の前の人だかりはあまり減っていなかった。
「よし、バブちゃん。ゴーだ」
「え、空いてから行くんじゃないんですか?」
「あれは空かない。周りを見てみろ。実はあの人だかりを一周空いている空間があって、その周囲には俺たちみたいな待ちの奴らが大勢いる。バブちゃん、ゴーだ」
 確かに蛍太さんのいう通りだ。
「でも、なんで俺だけ行くんですか」
「そりゃあさ、インターネットがそれを望んでるからだよ」
 コメントを覗きに行くと、確かにその意見が多い。いや、よく見れば積木ちゃん派も結構いる。
 ちらりと横顔を覗く。一瞬目があったがそれっきりだった。
 しゃーない。行くか。
「一分で取ってくるからな。待っとけ!」
 そう。たとえ初心者とはいえ俺は生配信者。視聴者を喜ばす努力はしないといけない。こういう時は、威勢よく目標を掲げる。こうすることで、達成できれば盛り上がるし、出来なくても、言い訳で盛り上がるだろう。
 目標がなければ、本当にただ謎を持ってくるだけになってしまう。それは本当に損だ。
 ふん。予想はついていた。全然入っていくことができない。知っている。俺はこういう時にナメられるタイプなのだ。ネットの自己診断でも内向的と出るし。
 振り返れば、それを面白そうに蛍太さんが眺めている。つけてない腕時計を見て俺を急かす。俺もつけていない腕時計を見て仕返した。
「何してるんですか?」
 その時、誰かが声をかけてきた。体が勝手に身構える。女性の声だ。
 振り向くとそこには学生服を着た小柄な女の子が立っていた。マスクをしてるから顔はよく分からなけど目は大きい。化粧はしてなくて、髪も校則通りのショートの黒。しっかり手入れしてるんだろう。さらっさらだ。
「えっと、なんつーか、順番待ちってのかな?」
「へー。でもちゃんと人混みかき分けていかないと。待ってるだけで順番が回ってくるわけじゃないんですよ?」
 うぐ、いきなり辛辣な言葉だ。やはり俺はナメられやすい。
「そ、そうだよね。分かるわ」
「とか言いながら行かなそうですよね。わかる」
「いや、今気持ちを整えてるところだから!」
 目の前の少女は哀れむように視線をくれてから、小さなカバンからお洒落な封筒を出してきた。
「これ、あげましょうか?」
 封筒の中身は、やはり謎解きの手紙だ。
「うーん……」
 情けない。学生の女の子に欲しい物をもらうなんて。すぐに断ればいいのに迷っているなんて!
「いや、取ってくるよ。ありがとね」
 なんとかプライドが勝った。振り返らずに人混みに入っていく。うん。やってみれば案外いけるじゃないか。
 そして無事封筒を手に入れ意気揚々とする。スキップでもして帰ろうと思ったが、イメージの時点でうまく出来ないことが予想できてやめる。
「取ってきましたよ。いやー、取ってきました!」
 ベンチには誰も居なくなっていた。一瞬焦って周りを見渡す。
 いた。砂糖がめいいっぱいかかっている油っぽいあのお菓子を手にしている。
 なぜか、さっきの女の子も一緒にだ。
「はい。チュロス」
 興津さんから受け取る。とりあえず頬張る。大量の砂糖が口から溢れる。このクソ暑い時期に食べるには甘すぎる。
 口の周りの砂糖をきれいにしてから俺は成果を報告する。
「あ、あのー。取ってきたんですけど……」
「あー。お疲れ様。えっと、五分だな」
 なんとなく反応が薄い。いや、確実に興味を失っている。それはなぜか。そう。誰だって分かる。この女の子が原因だろう。
「なんでぼーっとしてるんですか? バブさん。頑張りましたね」
 いつの間に名前が流出している。蛍太さんか。まあ誰でもいい。
「ねえ、慰めないで」
 慰められたら、惨めになっちまうよ。

 三つの謎が書かれた手紙。例年も同じらしいのだけど、一つだけ異様に難しくなっているらしい。
 日曜朝の情報バラエティー番組では毎回取り上げられている。出てくるのは旬のアイドルで、簡単な二つの謎はテレビで流れるが、一番難しい部分は毎回カットされる。
「うわー! コアちゃんだー!」
 興津さんと蛍太さんは大はしゃぎしている。俺は恥ずかしくて乗り切れないんだけど、この娘は本当に冷めた目で二人を見ていた。

 三つの謎はこうだ。隠れトラロックを映せ。真っ赤な月を映せ。そしてもう一つ、テオティワランドのアイドルを映せ。だ。そして、今目の前にいるのコアちゃん。これは間違いなくここのアイドルだ。
 顔は蛇をモチーフにしているらしいが、首の周りにオレンジ色のトサカみたいなものがついてて、太陽を擬人化したようなキャラと言われた方がピンとくる。
 それにしても、ああいう着ぐるみを見てると、どうしても中に入ってる人が心配になる。
 空を見上げた。直接見られないほど太陽は眩しい。
「あ、えっとバブさん。一枚三百円もするんですよそれ」
 隣で女の子が俺に注意をした。彼女は高校一年生らしい。名前は言いたくないようで、しょうがないから、安直ではあるが名無しさんと俺たちは呼ぶことにしている。
 チェキから撮った写真が出てくる。真っ白で何も見えない。
「あれ、失敗したかな?」
「違いますよ。ちょっと待つんです。てか、かわいいですね。コアちゃんのイラスト」
 少しずつ青い空が浮き上がってくるその写真は枠があって、そこにここのオリジナルイラストが描かれている。
 謎解きには写真が必須だ。撮った写真を係員に見せなくてはいけない。そうなるとすぐに現像しなくてはいけないわけで、チェキが必要になってくる。
 テオティワランドでは、ここにしかない特別なチェキのレンタルをしていて、ここにしかないフィルムで思い出を残せると評判だと名無しさんは教えてくれた。
 一枚三百円。とは言っても一枚ずつ買うことなんて当然できず、十枚セットで三千円だ。ちなみに本体レンタル料は別で千円。ここを出るまで使い放題。
 今回行われる謎解き大会でももちろん使用ができる。というかこの敷地内にフィルムを現像する場所はないわけで、なんていうか、商売上手だ。
 はしゃぐ蛍太さんと興津さんを見ていると、さっき撮った太陽の写真が浮かび上がってきた。太陽は残念ながら入ってない。青空だけが写っていた。
「なるほど。やり方は分かった」
「太陽、全然映ってないですけどね」
 いちいち皮肉っぽい子だ。ってか、俺が舐められてるだけ、なんだろうな。
 とにかく、コツが掴めた。コアちゃんとそこに群がる蛍太さん興津さん他、多数の人をチェキに収めた。
「あんなにはしゃいで、何が楽しいんですかね」
「いや、ここはテーマパークだし、はしゃぐのが普通なんじゃない?」
「でもバブさんもはしゃいでないじゃないですか」
「まあね、俺は苦手だから」
「ふーん。じゃあ私たちお似合いですね」
 名無しさんがつまらなそうに言う。
「そういう発言って、しない方がいいと思うけど……」
 大人の俺を弄ぶようなことを平気で言いやがる名無しちゃんに優しく言った。恋愛経験がまともにない男相手にそう言う発言はやめてほうがいいと言う意味を込めて。本気にされるぞ。
 しかし名無しちゃんは表情一つ変えない。
「今日、彼氏と初デートだったんです。この通り失敗しちゃったわけですけど。だから、あいつよりはバブさんとの方がお似合いかな……。みたいな」
 清楚系だと思っていたんだけど、結構口が悪い。いや、まてまて。これは俺のことを信用してるからこその発言なのかな? どうなのかな?
「ニヤついてるの、キモいですよ?」
「うぐ」
 素直に落ち込むことにしよう。

 なんて無駄話をして蛍太さんと興津さんを待っているのに、一向に戻ってこない。それどころか姿も見えない。
 ちょっと名無しちゃんと気まずいし、戻ってきて欲しいけど、いかんせん謎解きの為のカメラマン達がどんどんコアちゃんの周りに集まってきていて、到底近づける状況じゃない。てかコアちゃんも見えないし。
 仕方なく配信をみて状況を確認することにする。
「あれ? ここ何処だ?」
 思わず呟く。ぎゅうぎゅうに人がいるはずなのに、配信画面では興津さんが余裕そうにコアちゃんの前にいる。
[は? 何してるんだ?][とっとと別のとこ行けよ][圧倒的な人間力が成せる技]
 まったく、コメントの奴らに期待してたわけじゃないからいいけど、これじゃあ状況が分からない。
[どうなってんの?]
 俺のアカウントからコメントを書き込むと、視聴者のコメントが多くなり流れが早くなった。この感じ、クセになる。
[近づくやつ全員56してるよ][お前に知る権利なし][今すぐ来い手遅れになるぞ]
 よくもまあこれほど適当なことを言い続けられるものだ。感心する。それにしても、状況が一向にわからない。むしろ混乱しているくらいだ。
 しかも、蛍太さんも興津さんも全然俺のコメントに気付いてないし。
「名無しちゃん、二人がどうなってるのか分からないけど、凄いはしゃいでるのは分かる」
「なんだかバカらしいですね」
 初デートに失敗した名無しちゃんにしてみたら面白くないんだろうな。
 途方に暮れていると、痒いところに手が届くと俺の中で有名なアルハレから有力な情報が得られた。
[配信の方にもコメントしたんですけど、二人は今、コアちゃんの撮影を仕切っています。正直意味わからなくて最高です]
 なるほど。よく分からないがまだ時間が掛かるってことだろう。
 その場を仕切っていると分かった上で配信を見れば、確かに撮影自由ですと蛍太さんが言ってるし、興津さんは、誰かのカメラを預かって代わりに写真を撮ったりしている。
 代わり映えのない画面だけど、コメント欄は盛り上がっている。もはや二人のことの話はあまりしてない
 テオティワランドに来ているらしい俺ら以外の配信者に対する言及も多い。いやでもその配信者の名前が目に入る。キャラメル大陸という名前のようだ。
 そんで多分男二人組だ。マコってのとケイってやつっぽい。赤髪とか呼ばれてるから多分赤髪なんだろうな。赤髪って……。と笑いそうになるが、蛍太さんも青髪なんだよな。そっか、こういう風に感じるんだ。まあ、俺のことじゃないからいいか。
「ずっと変な顔してますね」
 名無しちゃんがまた退屈そうにいう。
「名無しちゃんはスマホ全然見ないね」
「だって、こうですよ。見る気なくなります」
 名無しちゃんのスマホ画面を見せられる。おそらく彼氏、いや元彼氏というべきか、とにかくその人から無数の通知が来ていた。
「返事すればいいじゃん」
「いやですよ」
 と話してる途中も通知が来る。
「名無しちゃん、彼氏くんに居場所バレてるっぽいよ」
「え!」
 名無しちゃんは彼氏くんからの通知をすぐに確認した。そして、じっとスマホに齧り付いている。
 多分、名無しちゃんはキャラメル大陸の配信を見ているはずだ。俺も配信を見にいく。
 赤髪の男と制服を着た男が映る。
 ほーう。制服の男が彼氏くんか。普通にかっこいいじゃないか。全然嫌な感じもないし。うん。スポーツも勉強もできそうなタイプっぽく見える。
 彼氏くんは、俺たちの配信に名無しちゃんが付いてきていることを知っていた。なぜだか知らないが、名無しちゃんにそう連絡してた。それで、俺と会うのが嫌なら、とりあえずキャラメル大陸の配信を見て欲しい。そこに俺がいるからと。
「おう、言ってやれよ」
 赤髪の男が彼氏くんの背中を叩く。彼氏くんは画面にグッと近づいてくる。
「見てるだろ。あのさ、俺はお前とやり直したい。お前のこと、好きだから」
 この言葉にキャラメル大陸の二人が熱くなって何か言っている。よく分からないが。当事者よりも熱くなってるんじゃなかろうか。
「だけど、言葉だけじゃ意味ない。だから俺と勝負して欲しい。この謎の手紙を先に俺が解くことができれば、またやり直して欲しんだ!」
 なんて情熱的な男なんだ。キャラメル大陸の視聴者数は俺たちの配信の倍近く見ている人がいる。千人に少し届かないくらいだ。それだけの人を前にしてよくぞ言った。クールそうな見た目の割に結構やるじゃないか。
 俺は目頭に熱いものを感じながら名無しちゃんの方を見る。
「ばっかみたい。勝手に決めてんじゃねえよ」
 え、あれ? 顔を真っ赤にして怒っている。冷静になってみれば、確かに自分勝手な言い分だよな。
 いけない。なぜか熱くなってしまった。こんなふうに思うのは、生配信の魔力のせいだろう。

 名無しちゃんの言葉で我に帰った俺とは対照的に、画面の向こうの方は盛り上がりを増している。
 そして、妙なところで矛先が俺たちに向いた。赤髪の男が画面に近づいてくる。
「よし、君の熱い思いに俺は心打たれたよ! おい! 彼女と一緒にいる奴ら! これは男と男を掛けた勝負だ! 負けたら坊主だ。これは真剣勝負!」
 おいおい、勝手に話を進めるなよ。名無しちゃんの気持ちが痛いほどわかる。しかし、コメントは盛り上がりを見せていた。
 怖いのでそっと画面を閉じる。
「名無しちゃん、君の気持ちが少しだけ分かったかもしれない。勝手なことばっかいってるよこいつらさ」
「ほんと、馬鹿みたい。あ、出てきた」
 名無しちゃんが視線を向ける方を見てみる。壁みたいな人だかりの中から蛍太さんと興津さんがんにゅるりと現れた。目はギンギンに開いてて、興奮してる。
「なにぼーっとしてるんだよ! キャラメル大陸ってやつだ。俺らの配信見てたか?」
 蛍太さんの声が裏返ってる。こりゃ相当興奮していやがる。興津さんも横で顔を赤くしてるし。
「いえ、見てたのは向こうの配信でしたけど……」
「キャラメルか? でかした!」
 名無しちゃんが明らかに嫌そうな顔をしている。そりゃあ、そうだよな。厄介ごとに巻き込まれる未来しかみえないもんな。
 そんなことはつゆ知らず、蛍太さんはグッと俺にカメラを向ける。
「おい、キャラメルの奴らはなんて言ってなんだよ」
 いやー、なんでなんだろう。さっきまでキャラメル大陸の言ったことに対して結構冷めた気持ちだったのに、カメラを向けられたら、急になにか言ってやりたくなるじゃないか。
「まあ、幼稚な宣戦布告でしたよ」
 なんでこんなことを言ってしまうんだと思いながらも、視聴者を喜ばせたい一心でこんなことを言ってしまう。でもまあ、反応は良さそうだ。スマホの画面を追う蛍太さんの目が、コメントの流れの速さを物語っている。
 仕事中にこれほどまでの興奮と充実を感じたことはなかったな。今の俺は、俺の力で赤の他人の心を動かせている実感がある。
 少ししてカメラは興津さんに向けられた。カメラに映っていないと分かると、急に気持ちが萎え始めてさっきまでの冷めた気持ちが湧き上がってきた。ふと、名無しちゃんを見ると、ゴミを見るような目で俺を見ている。
 はは、違う違う。やめてよ。って声に出して言えないです。
「あのですね! 私、あんな身勝手な奴らは懲らしめないと気が済みませんよ!」
 興津さんは思っていることは一緒だが、逃げがちな俺とは違って気持ちの発散方向が戦闘に向いていた。
 こうして、俺たちは名無しちゃんの恋の行方をかけてキャラメル大陸と勝負することになった。

 青い屋根が特徴の、テオティカランドで一番有名なレストラン、『レストラン・テナン』で俺たちはご飯を食べている。
 現時点では、こちらが一歩リードしているから、少し余裕を持っていた。
 ただ、飯を食べにきただけじゃない。二つ目の謎、隠れトラロックを映せ! に取り掛かっている。
「でも、正直ここまでは余裕なんだよなー」
 興津さんが運ばれてきたお皿の写真を撮った。頼んだハンバーグも美味しそうに撮れている。
[これは有名][撮るならもっと珍しいのを撮れよ][みんな勝負のこと忘れてるだろ。これで正解]
 とにかく、有名な隠れトラロックらしい。
 隠れトラロックは正方形に口と目がついた人目見て分かる模様だ。そして料理が載っている皿は基本が黒でそこに格子状に金色の線が引いてある。その中の一つが隠れトラロックになっているわけだ。
「そんなにこれ有名?」
 全然俺は知らないから聞いてみると、視聴者から皮肉な褒め言葉をいただく。
[さすが][分かってたけどちゃんとしたインキャじゃん。安心した]
 そこに興津さんが割り込んでくる。
「いやいや、君たちも似たようなもんでしょ。こんな晴れた日に私たちの配信見てるくらいなんだからさ」
[うぐ][うーん]「ぐうの音も出ない」
 素直な奴らだ。いや、無責任なだけか。
「んじゃ、飯食うぞ。腹が減っては戦はできぬって、こういう時に言うのであってるよな」
 蛍太さんの号令で一気に食事が始まる。配信のカメラは俺と興津さんに向いていて、コメントを読む為に俺は自分のスマホを開きながら飯を食った。
 記憶にも記録にも残らないような雑談を終えて、飯も食べ終わる。
 蛍太さんも興津さんも食べ終わっていたが、名無しちゃんだけはあまり進んでいなかった。
「名無しちゃん、ちゃんと食べないとこの後大変だよ?」
 コメント欄では変態紳士と何故か呼ばれている。やっぱこいつら無責任だ。
 名無しちゃんは手に持っていたスプーンを机に叩きつけるように置いた。
「貴方達はどうせ他人事ですもんね!」
 あまりに説明が足りないが、言いたいことは痛いほどわかる。
「いや、そんなことないよ……」
 それしか言えない。
[無責任すぎる]
 そんなコメントが目に入った。けど、触れないことにする。ほんとにムカつくコメントだった。
「食べないなら貰っちゃいますよ?」
 興津さんが呑気そうに名無しちゃんに言う。
「普通そんなこと言わなくないですか?」
「そうなんだー。私、普通とか分からないな」
 名無しちゃんは不満そうに食事を始める。配信は盛り上がっていた。俺達が普通から離れれば離れるほど、ここではヒーローだ。

 真っ赤な月を探すのは難航していた。名無しちゃんの険悪な雰囲気を察して、蛍太さんも興津さんも俺も、そして視聴者までもが、かなり協力的だったが、なかなか見つからない。
 さらに焦るのは、キャラメル大陸の方も俺たちと同じ謎を二つ解いたということだった。難しくない謎だし、こうなるのは分かっていたけど、それでも想像以上に焦りを感じている。
 まだまだ明るいけど、時刻は十六時になっていた。
[すみません、こっちも収穫ないっすわ]
 アルハレからも何も情報がない。もちろんネットの海から情報を得ようとしてくれてるんだろうけど、初日だし、情報があるはずもなかった。
 テオティカランド内の赤いアトラクションや、売店に並んだ商品を散々見て回ったが、全然ない。
「ごめんみんな。ちょっと電池切れそうだから一旦切る」
 蛍太さんがそういうとスマホをぐったりを膝の上に置いた。俺たちはベンチの上で同じくぐったりを座っている。
 俺は一つ、提案をしてみた。
「どうします? もうこのまま配信再開しないで帰っちゃいません?」
 我ながらいい案だ。思えば、こんなことにマジになる必要なんて、全くない。
「うーん」
 蛍太さんは頭を掻く。そして目を閉じて眉間にシワを寄せた。意地を張っているようには見えない。
「何を悩んでるんですか?」
「なんていうか、今日の配信って、チャンス、のような気がするんだよ」
 確かに、視聴者数は六百に迫る勢いで、配信の始まりから二百人くらい増えていた。キャラメル大陸効果だと思うけど。
「チャンスですか」
「ああ。別に、視聴者数だけのことを言ってるんじゃないんだ。いつもとコメントの感じが違う。一体感があるんだ。つまりだな、キャラメル大陸対俺たちという対立構造が生まれたおかげで、俺たちに視聴者たちが団結している。ように思える」
「それで配信を続けるべきだと思うわけっすね」
「なんとか、このまま手懐けたい。ところで穣介。俺たちのチームの名前は決まったか?」
 それはあの火の儀式の日に蛍太さんに出された宿題だった。覚えていないわけではなかったし、何個か考えても見たけど、どれもいい感じがしなくて、結局考えるのをやめていた。
「え、今っすか。特に何も考えてないんですけど……」
「じゃあ、次配信つける時までに考えといてくれ。ここで名前を発表するのがとても重要なんだ」
 困ってしまうな。興津さんに助け舟を求める。
「がんばってくださいね。リーダー」
 興津さんの他人事な感じ、うん、落ち着く!

 テオティカランドの携帯充電器。コンビニなら二個買える値段だった。
「バブさんって、リーダーなんですか? 雑用係にしか……」
「名無しちゃん。君だけはそんなことは言わないでくれ」
 蛍太さんに充電器を渡す。ふと、あたりに人だかりができていることに気がついた。
「あれ、またコアちゃんが来たんですかね?」
 俺は蛍太さんに聞く。
「違う。あれはテレビ撮影だな」
「へー。野次馬って多いですね」
 蛍太さんが充電を始める。ていうか、配信に使ってるスマホは興津さんのものなのに当然のように蛍太さんが管理して笑えるわ。
 興津さんは名無しちゃんと話していた。配信がついてる間は話してなかったけど、興津さんは配信モードに入っていたんだろう。
「名無しちゃんがどう決断するか分からないけど、モヤモヤするなら自分で無理やり区切りを作ったほうがいいよ。そういうの、できる人とできない人がいるけど、無理やりね」
「そうなんですね。うん。分かりました」
 正直、二人の相性は悪いのかなって思ってたけど、そうでもないようだ。なんかあるんだろうな。同性同士の何かが。
 撮影班が移動する。演者は二人で、一人は見たことがある顔だった。中性的な顔つきが魅力の男性アイドルで、何かの賞をとって話題になっていた人だ。
 その芸能人の姿はすぐに見えなくなった。この目にその姿を焼き付けていたつもりなのに、すぐに見たいと思った。そう思わせる人が芸能人になるのかもしれない。
「本物は違いますね」
 俺は言った。蛍太さんが返事をする。
「ああ。一体何が違うんだろうな」
「オーラとかっすかね」
「オーラなんてあるわけないだろ」
 なんていうけど、俺からすれば蛍太さんもオーラがある方に見えるけど、まあいい。
 蛍太さんはスマホの電源を入れようとするが、すぐにはつかない。まだ充電が足りないようだ。
「穣介、キャラメルの配信みようぜ」
「了解っす」
 蛍太さんが貧乏ゆすりをしながら言う。焦っているんだろう。
 俺はスマホを取り出してキャラメル大陸の配信を開いた。
 配信画面には地平線が映っている。味気ない高層ビルや橋が彼方に続いていた。すぐに画面が揺れて赤髪が現れる。
「でもさ、お前の気持ち、よく分かるよ」
「あざっす」
 どうやら赤髪が彼氏くんと語り合っている途中らしい。背景から見るに観覧車に乗っている。キャラメル大陸のもう一人は全然喋らない。キャラ作りなのかなんなのか。
 俺たち四人(名無しちゃんは興味のないようなそぶりをしているが)で俺の小さな画面に頭を寄せている。一番初めに蛍太さんが興味をなくした。
「はー。なんだよこの配信。まあ、視聴者が好きそうってのも分かるけど、正直いい人アピールって感じで嫌だな」
 蛍太さんは他の配信者に厳しらしい。ライバル意識があるんだろう。俺には、そう言う感覚は少ない。
 観覧車はもうすぐ終わりのところに来ていた。赤髪がしっかりと自分の顔を撮している。
 今観覧車の終わりのあたりで時計に例えると十五分のところに来ていた。自分の顔越しに地上を撮して高さを見せている。
「なんかこの人、自分好きそーな感じしますね」
 興津さんが淡々と言う。そんな俺はなにか妙な感じを覚えていた。
 なんだろうか。なにか画面に違和感を感じる。コメント欄にヒントを探すが、誰も言及していない。
「穣介、こう言う配信者になろうって思わないでくれよ?」
 蛍太さんの言葉も無視して画面に集中していた。
「この観覧車って、どこにあるんすかね」
 俺の質問に名無しちゃんが答える。
「お昼を食べたレストランから歩いて十分くらいのとこですかね。巨人のエリアに大きな像がありますよね。それのちょうど反対側の辺りです」
 返事をせずに画面を見る。幸い、赤髪はカメラをあまり動かさなかった。後ろの景色がよく見える。
 そこに、『レストラン・テナン』が見えた。さっきからチラチラと映っていたのだが、違和感の正体はそれだった。
 青い屋根が目印のレストランのはずなのに、赤い。そう、それは赤い月だった。

 急いで観覧車の列に並ぶ。人気のアトラクションですでに多くの人が並んでいた。約一時間待ちで並んですぐにまた後ろに列ができ始めた。幸い、キャラメル大陸の視聴者たちは赤い月の存在に気が付いていない。
 十分くらいで後ろには観覧車一週分ほどの列ができた。蛍太さんは配信をつける。俺は自分のスマホでコメントを確認した。
[千年待ってた][寝てた][遅すぎる。配信者としての自覚を持て]
 そういえば、こう言う時には真っ先にアルハレが情報をくれたりするのに、今日はなかった。まあ、いつも暇なわけじゃないんだろう。
 カメラは興津さんに向いていた。興津さんは普通にピースとかをしている。
 蛍太さんが口を開く。
「さて、みんな随分と待たせた。充電は完了、してないけど大丈夫だ。さて、なんで俺たちの配信が遅れたのか。それはこれを見て欲しい」
 興津さんが両手で背後にある観覧車を目立たせている。蛍太さんもそれに合わせてダイナミックな感じのカメラワークで観覧車を撮した。
「俺たちは、赤い月の場所を知ってるってわけだ! 答えはこの観覧車にある! 一言言ってやれ! バブ!」
「え、あ、オラ! キャラメル大陸死す!」
「からの?」
「からの? えっと、俺たちが天下を取る! なんちゃって……」
 また大袈裟に言ってしまった。最後になんちゃってとは言ってみたものの、多分声が小さすぎて配信に乗ってないだろうな。
「おい、ウチのリーダーがこう言ってるわけだ」
 なんか、全責任をなすりつけられたような気がする。
 しかし、深いことを考えるのはやめにしよう。俺はそうやって生きてきたんだ。思えば、後悔をしないことが俺の一つの取柄なのかもしれない。
 そう。だから様子見に行ったキャラメル大陸の配信が、俺たちの視聴者で荒らされていたのも全然気にならない。
 でもなんでだろう。なんか、胃がキリキリ痛くなってきた。

 程なくしてキャラメル大陸がやって来た。なんか、不機嫌らしく、俺たちを睨みつけている。感じがする。
 とは言っても、キャラメル大陸が不機嫌だろうが何だろうが、別にどうでもいい。
 キャラメル大陸が現れたことによって、名無しちゃんがとんでもなく不機嫌になった方が問題だった。
 一緒にいる時間は少ないけど、それでもあからさまに不機嫌なのは見ていて辛いものがある。
 興津さんはキャラメル大陸に気がついていないのかと思うほど無関心だった。観覧車の方を見つめている。
「おい! お前らだな、俺たちの配信を荒らしてんのはよ」
 赤髪の男が威勢よく言う。でも、それは見当違いだ。
「ん? 俺は荒らしてないし、荒らして欲しいとも言ってないんだけど?」
 なぜ俺は初対面の人間にこんなにも強気になれるのか。それは、蛍太さんが俺にカメラを向けているからだ。
「お前の視聴者が来てんだろうが」
「知りません。そんなことより早く並ばないと。まあ、今更遅いんですけどね」
 周りに並んでる人たちが怪訝な顔で俺たちを見ていた。特に赤髪への視線は多い。
「まったくなんなんだよ」
 赤髪が不貞腐っている。可愛いやつめ。実際にあってみると随分幼い感じがする。高校を卒業してすぐくらいだろうか。イキってる感がすごい。
 キャラメル大陸たちは立ち尽くしていた。静かにスマホを見ている。
 今から並んでも俺たちに追いつくことは絶対に出来ない。キャラメル大陸の二人の後ろで、彼氏くんがずっと下を向いていた。
 名無しちゃんはその姿を見て、大きなため息をつく。多分、配信に二人のそんな姿は映っていない。
「こんなの止めにしますよ。配信を荒らされたんじゃ勝負どころじゃないんで」
 スマホを持っている黒髪の冴えない方が言った。ボソボソとした話し方は聞き取りづらい
 勝手なことを言いやがってと思う。その反面、少年を相手にマジになるのは大人気ないとも思う。
 キャラメル大陸の二人は憔悴しているように見える。配信が荒れるのはそれほど辛いのだろう。
 蛍太さんが言う。
「分かった。今回のことは無かったことにしよう。俺たちはおんなじ配信者だ。仲良くしよう」
 これはずるい。どう考えても勝った俺たちがこんなことを言ったら、キャラメル大陸は何も言えないだろう。
 俺たちの配信画面を見る。コメントは勝利宣言に溢れていた。けど、名無しちゃんの表情は晴れない。

 突然、彼氏くんが顔を上げた。そして駆け出す。
 その先には、巨大な像が建っていた。嫌な予感がする。
 俺は蛍太さんからスマホを取る。それから彼氏くんを追いかけるために走った。きっと彼氏くんは、あの巨人の塔に登って、そこから写真を赤い月の写真を撮るつもりなんだ。
 別に、勝ち負けなんてどうでも良い。気がかりなのは、あの巨人像には景色を見る場所がないことだ。
 景色を見る場所はない。けど、明らかに外に出られそうなスペースがある。像が組んでいる腕の上と頭の上だ。多分、掃除かなんかの時に清掃員が使う場所なんだと思う。
 もし、そこに入り込めるなら、俺たちよりも早く赤い月を撮ることができるのかも知れない。
 けど、そこまでして勝つことに意味があるとは思えないけど。
 名無しちゃんの様子を見ていれば、この戦いが無意味なことくらい気がつく筈なのに。
 本当に、恋は盲目だ。

 あれこれ考えてる余裕はすぐになくなった。
 彼氏くんの走りが早い。さすが現役高校生だ。おじさんもう走れないよ。
 と諦めかけそうな自分に鞭を打つ。俺は配信をしていると何故か無理をしてでもやれる。
 肺の内側が乾燥しきっているように感じる。痛かった。
 段々と気持ちが後ろ向きになる。別に良いじゃないか。戦いに負けたって、彼氏くんが危険なことをしたって。視聴者が消化不良になったって。
 走るのを止めようと速度を落とす。と、後ろから誰かが俺のことを追い抜いた。
 名無しちゃんだ。
 速い。背筋が伸びていて足の運びが美しい。落ちるように彼女は走っている。
 が、その速度を保つことは出来ない。こんな人混みだ。当然だろう。
 この辺りは人が多い。彼氏くんも苦戦していた。おかげで俺もなんとか追いかけられそうだ。
 それに、名無しちゃんが来ている。二人の行く末をこの配信に収めないわけにはいかない。

 人混みを避け、なんとか巨人の像までやってきた。しかし、二人を見失ってしまった。
 とりあえず上をスマホのカメラと一緒に上を見る。ただの壁がそこにあった。
 足元の部分、つまり一階に当たる部分には壁がない。壁のような大きい柱が何本かある。そのはしらのまわりには商店街のようにさまざまな店が並んでいた。
 お土産屋さんには家族連れが歩き、クレープ屋さんには制服を着た学生が並んでいる。二人の姿は見えない。
 ただ、向かう場所は分かっている。とにかく上だ。エレベーターを探して乗り込む。
 高い建物特有の長い待ち時間の間、配信画面を確認する。コメントは大量に流れている。荒れてるとも言えるが、おれは盛り上がってると捉えることにしよう。
[おい。スマホ返してくれ]
 蛍太さんのコメントだ。
「すみません、あの、まだ返せません」
[おいバブちゃん。任せた!]
 蛍太さんから応援の言葉だ。結構俺のこと好きだよな。
 そしてエレベーターがやって来た。
「任せてください!」
 ごちゃごちゃのエレベーターに入り込む。周りの視線は気にしないことにした。

 素晴らしい声でアナウンスが鳴り響くと、一番高い所に着いた。結構時間がかかった。ふう、流石に視線が痛かった。
 降りると、中は美術館のようになっている。ただ、静かにしている必要はないのだろうが、雰囲気的に静かにしている。
 カップルが多い。静かにいちゃついている。存在するんだ。静かにいちゃつくって。
 壁にはテオティワランドの歴史について描かれた絵画がある。思わず見てしまう。横に説明も書かれていて、読みたくなるが気持ちを抑えた。
 二人を探さなきゃ。
 中はそれなりに広い。教室四つ分くらいだろうか。
 真ん中に柱があるだけで全体は見渡しやすい。が、カップルに制服が多くてウォーリーを探せをしてるみたいだ。

 取り敢えず、部屋の角から全体を見渡せるようにしてみる。同じようにスマホのカメラを向けた。
[肖像権無視][絶対俺が見つけてやる]
 視聴者の力も借りながらやっていく。
[ここ来る意味ある?]
 そんなコメントが目についた。確かに、ここに来たところで目的は果たせないだろう。
 少し動いてみると、対角線状の柱で見えなかった位置に非常灯が緑色に光っている。
「あった。けどあれ開かないよね」
[ぶつかっていけ][もうバブが開けるしかない]
 くだらない。とにかくあれは開けようがない。そもそも景色は見られませんと言ってるんだ。わずかな望みもなかったわけだ。
 少しだけ彼氏くんに同情しながらもエレベーターの前に行く。
 スマホに呟いた。
「うん、まあ、俺たちの勝ちで終わりだ。ここには景色を見れる場所はないもん」
 その時、館内が騒がしくなった。
「大丈夫か!」
 男の声。聞き覚えのあるその声は彼氏くんのものだ。
「係員の方いますか!」
 続いて低い女性の声が聞こえた。誰かが倒れたらしい。
 迷わず駆け寄る。そこにいた健康そうな肌の色をしたお姉さんは「よろしくお願いね」と俺に言ってどこかに去った。
 案の定、倒れていたのは名無しちゃんだった。
「大丈夫ですか?」
 この階にいる従業員の女性がやって来る。近くにいる彼氏くんはすぐに対応していた。
「あの、人が少ない所に移動させてもらうことってできますか?」
「ええ、えっとお待ちください。この階には部屋がないんですけど、うーん」
 人が少ない場所には心当たりがあった。俺は横から話に入り込む。
「非常階段の所は入れないんですかね?」
 彼氏くんは俺の存在に気がついていなかったようで、目を丸くして驚いた。すぐに名無しちゃんに視線を戻した。
 従業員の女性はポケットから鍵を取り出す
「そうですね。ついて来てください」
 彼氏くんは名無しちゃんを抱きかかえている。俺もついて行った。たぶん、保護者的な立ち位置でだ。
 非常扉から階段に抜ける。
 階段は壁こそあるが、その隙間から外が見えるようになっていた。足元の階段も金属で出来たスカスカので高所恐怖症なら動けないだろう。
 非常扉を閉めると、別世界のように静かになる。ここの風は涼しい。
 彼氏くんは真剣に名無しちゃんを見ていた。壁の間から景色を眺めてみると、青い屋根のレストランが見える。もちろん、赤い月もあった。
 今、写真を撮れば、キャラメル大陸の勝ちになるだろう。けど、彼氏くんの頭の中は名無しちゃんのことでいっぱいになっている。
「ん、はあ」
 名無しちゃんが目を覚ました。彼氏くんに介抱されてることに気がついて眉間に皺を寄せている。
 しかし、状況を察知して変な行動には出なかったようだ。
「大丈夫ですか?」
 従業員の方が心配そうにしている。それに対して名無しちゃんは
「もう大丈夫です」
 と一言で済ませ歩き出そうとする。自分がどこにいるのかも分かってないのに、彼氏くんから離れたいという思いだけで動き出したんだろう。
 しかしフラついてしまい、それを彼氏くんが支える。
「やめてよ。写真でも撮ってれば」
「まだ立ててないじゃんかよ」
 名無しちゃんは彼氏くんの手を振り解いた。
「別に。ただの立ちくらみ」
 とりあえず扉のほうに歩いている。
「ちょっと待ってくれよ。なんでそんな、俺、そんなにダメか?」
「ダメ。それより写真でも撮ってれば。でも、私バブさんについて行くことにしたから」
 俺の腕に抱きついてくる。これはヤバい。すぐ隣には従業員の方がいるんだ。
 恐る恐る見てみる。引きつった笑顔。プライスレス。
 心臓が痛い。そこで俺は配信をまだ切っていないことを思い出した。ポケットからスマホを取り出す。配信中なら、俺はなんとかできるはずだ。いや、違うな。何もできないけどこの状況を配信で活かすしかないって所か。
 なるべく自分の顔だけ映るようにスマホを動かす。おかげでコメントば全然見えない。
「よし、とりあえず全ては俺が手に入れました」
 と言ってみる。従業員の方はポカンとしていた。ヤバい。追放されてもおかしくない。
 とりあえず会釈をした。
「じゃあ、ここ開けてもらっても大丈夫ですか。もう大丈夫そうなので」
 ぽかんとしたまま、従業員は扉を開けてくれる。
 中に入ると、従業員の方は笑顔になった。
「体調が優れなければすぐに声を掛けてくださいね」
 さすがプロ。最後にはいい印象を残してくれる。
 名無しちゃんは腕から離れない。後ろから彼氏くんはついてくる。
 フロア内の人は俺たちのことが気になるようで、チラチラと視線を受ける。逃げるようにエレベーターに乗り込んだ。
 名無しちゃんが彼氏くんを睨み、彼氏くんはすぐに視線を逸らした。そして目元を抑える。
 エレベーターが一階に着く頃には、彼氏くんは顔を伏せて袖を濡らしていた。
 この姿、配信に映せば、さらに盛り上がるだろうな。

「お前のことなんか嫌いだ!」
 彼氏くんはそう言って歩いて行った。
「おいキャラメル大陸よ。そして我が友よ。完全勝利だ!」
 スマホに向かって言う。
[女最高すぎる][バブ氏がモテてるってことは俺たちも希望が持てるな][女ヤバすぎる]
 ふん。いい気分だ。盛り上がってる。コメントも目に見えて多いし、視聴者数もキャラメル大陸に追うほどの数になっていた。
 悦に浸っていると、名無しちゃんは腕をきつく締めてきた。配信に夢中で忘れてたけど、俺を選んだって言ってたし、やっぱそう言う感じなのか?
 けど、表情を見て俺はまともになった。さっきまでの怒りに満ちた表情から一転して、涙を目にいっぱい溜めていた。
「私、有名な人好きだから」
 涙声でそんなことを言う。そんな嘘を。
 これは、大人の俺が協力するしかないじゃないか。
 もう一度彼氏くんと会わなくてはいけない。
「では視聴者の諸君! さらば!」
 そして俺は配信を切った。このまま配信を続けても配信が盛り上がったとしても、それは、何か違う。
「よし。名無しちゃん。彼氏くんのとこに行かない? なんか、あのまま別れっぱなしなのはなんて言うか。よくない気が」
「やだ。あいつ自分勝手で意気地なしだし」
「うーん」
 アイデア、なし。とにかく、名無しちゃんを説得するしかない。
 が、そう簡単にはいかない。
 遠くから、騒がしい奴らがやってきた。赤い髪と黒髪の男。キャラメル大陸の二人だ。
 スマホを持ってない。配信は切っているらしい。
「おいクソ隠キャ。てめえらのせいでまともに配信できねえよ!」
 赤髪がどなり、周囲の視線が集まる。
 心臓が痛い。怒鳴られるのは嫌だな。会での嫌な出来事を思い出してしまった。
 もし、配信がついていたなら。俺はまだヘラヘラとしていられたのかもしれない。けど、今の俺はただの無職だ。打たれ弱いぞ。
「ご、ごめん。なんとか言ってみるけど……」
「は? なんなんだお前。ぜんぜん、え?」
 なぜか赤髪は動揺している。それから、俺に興味を無くしていった。視線は名無しちゃんに向いている。こういうの、学生のころによくあったな。
 黒髪の方はニヤニヤとしながら一歩引いてい俺たちを見ていた。
「てか、名無しちゃんだっけ? そんな隠キャの何がいいの? てかこの後俺らと見て回らない?」
 赤髪が急に優しい声色になって名無しちゃんを口説き始めた。それは反吐が出る光景だ。モテる男が、自分がモテることをなんの疑いもなく信じている姿。
 名無しちゃんは、もう泣いていない。とても冷たい表情だ。
「ねえねえ。何黙ってるの? 彼氏くんもどっか行っちゃったんでしょ? 寂しくない?」
 近づいてこようとする赤髪を遮るように動くと、赤髪は乱暴に俺のことを押した。
「ッキモいんだよ!」
 俺は情けなく尻餅をつく。
 名無しちゃんの腕を赤髪が掴む。その時、赤髪が誰かに倒された。
 赤髪を倒した男は名無しちゃんに向き直る。
「お前、チャラチャラしたやつ、嫌いじゃんか」
 彼氏くんだ。俺の位置から見ると後光がさしているように輝いている。かっこいい。
 きっと、同じように名無しちゃんも感じたんだろう。表情の緊張感が消えた。
 そして、泣き出す。
「ごめんね。別に、普通の喧嘩だったはずなのに」
「いいよ。まだ今日は長いよ」
 二人は、肩を寄せ合っている。
 人の幸せは砂の味だと思ってるんだけど、今回は特別に蜜の味がする。
 俺は立ち上がって、自分のやらなくちゃいけないことをすることにした。
 彼氏くんに掴みかかろうとする赤髪を制する。
「おいキャラメル大陸。勝負はまだ終わってないぜ?」
「あ?」
 赤髪は不愉快そうだ。黒髪の男はよく分からない。ただ、ニヤニヤはやめていた。
「勝負は終わってないって言ってんの。だからさ、邪魔な二人はとっととどっかに行きな」
 彼氏くんと名無しちゃんに言う。二人は小さなお辞儀をして人混みに消えて行った。
 まだ追いかけようとする赤髪に俺は一言言ってやる。
「つけろよ配信。荒らしくらいで萎えてんじゃこの先やってけないぞ」
 キャラメル大陸と俺たちの戦いは始まったばかりだ。

 前言撤回。戦いは始まらなかった。
「つまんな。関わるだけ損だわ。くそ隠キャのノリキモい」
 赤髪は心底萎えている。
「わかる」
 含み笑いで黒髪がそう続けて、二人は名無しちゃん達と逆の方に歩いて行った。
 俺は、観覧車の方に歩いていく。
[赤い月撮れたぞ!]
 蛍太さんから連絡が入っていた。俺はすぐに返信をした。
[こっちも無事に終わりました。今から向かいます]
 なぜか清々しい気持ちで、観覧車に向かった。

 後日、テオティワ戦と題された一時間近くに及ぶまとめ動画が上がった。投稿者はアルハレ。
 わかりやすく、そしてドラマチックに編集されたこの動画は瞬く間に話題になった。もちろん、表舞台を圧巻するほどのものではなかったが、一部の業界人の間で話題になっていた。

鳥居ぴぴき 1994年5月17日生まれ 思いつきで、文章書いてます。