もうやめない?
『女の子なんだから』撲滅運動
もうやめようよって思うことが最近溢れすぎている。
一番は『女の子/男の子なんだから』という概念。
小さいころからずっと納得がいかなかった。
「女の子なんだからおとなしくしなさい」
「女の子なんだからそんな立ち方しないの」
「女の子なんだから足を閉じて座りなさい」
いやいやいやいや、意味わからないんですけど?
’’女の子’’に生まれてしまったばっかりに、私は好きなように生きていけないのだ。
なんてこった…。
どうやら私は生まれながらにして重大なミスを犯してしまったらしい。
そう思いながら十数年間生きてきた。
でもそれっておかしくない?
’’女の子’’であるがゆえに、生き方を制限されてしまうなんて理不尽すぎる。
私だって木登りしたいのに。
泣きたいときはみんな泣いていいし、弱音だって吐いていい。
大きく口を開けて大笑いしたっていい。
腹が立ったら怒鳴り散らかしてもいい。
得体のしれない『男の子』『女の子』に縛られるのはもうやめにしよう?
自分の性について
私は今まで女として生きてきた。
特にそのことに疑問を感じずに生きてきた、つもりだった。
でも最近、よくわからなくなってきた。
毎日着る服を選ぶように、自分の性を選びたい。
そう思うことがとても増えた。
スカートを履きたい日もあれば、ズボンを履きたい日もある。
かといって『スカート=女性』『ズボン=男性』という考え方は好きじゃない。
でも女性らしい服が着たいなと思うと、スカートを手に取ってしまう。
自分が散々苦しめられてきた『女の子なんだから』に今でも縛り付けられ、その考えに基づいて生きているのだ。
そしてその概念をいつの間にか他人にも押し付けている。
そのことに気付いたとき、心臓をわしづかみにされたような心地がした。
わかっているような顔をして、本当は何にもわかっていなかったのだ。
苦しくて、悲しくて、悔しくて、恥ずかしかった。
思わず涙がこぼれた。
もしも私にできることがあるとしたら。
それは『知ること』だと思う。
世の中に存在する『当たり前』の裏で苦しんでいる人がいるのだということを知らなければならない。
それが私の中にいつまでも残り続ける濁った考えを少しずつ薄めてくれるような気がする。
で、私の性について。
私は生物学上は女だが、何のジェンダーも持たない。
それが今の答えのような気がする。
いつかまた変化するときが来るかもしれないし、来ないかもしれない。
今は異性が恋愛対象だけど、それも変わるかもしれない。
性というのは必ずしも何か一つである必要はないのではないか。
なんだか堅苦しくなってしまったけれど、要するに自由に生きられる世の中がいいよねって話!
ここまで読んでくれたあなたに幸あれ🌈
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