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日記⑤

20221201
 山尾悠子の『ラピスラズリ』を読んだ。深夜の画廊から始まり冬眠者や召使い、漂うゴースト……長く冷たい冬が明ける瞬間。繊細で美しい文章で紡がれる幻想的な小説、わたしは小説にしか生み出せないものはこれだと思った。映画や音楽、絵画や演劇、すべての芸術にそれぞれの役割があるけれど小説でしか表現できない美しさもある。
 コートを羽織るようになって、いつの間にかすっかり冬になっていた。わたしは冬という季節はあまり好きじゃなくて、それは多分この時期が一番死に近いからだと思う。冬の澄んだ空気はどこかへ導いてくれそうな匂いがあり、わたしはそれが少し怖い。何かに惹きつけられるように夜空を見つめるたび、「ここにいてもいいのだろうか」と思ってしまう。どこか別の世界、わたしがいるべき世界への扉が開いている気がして、その扉から漏れる冷気が頬を撫でる。星が瞬く間にわたしは不安になる、わたしという存在が曖昧になる一瞬。

20221203
【人間は生き、人間は堕ちる。そのこと以外の中に人間を救う便利な近道はない】
 坂口安吾の『堕落論』、終戦直後に出版されたものだけど当時の社会情勢を考えるときっと彼の言葉は救済で、聖書のように思えただろうな。
 わたしが最も堕ちたのは、数年前だったと思う。本質的に…わたしは分裂し、小さく分かれた一個体として生きていた時期があった。身近で起きた死、そして普遍的ないくつかの絶望が合わさり、わたしの精神は崩落した。体重は8キロほど落ち、軽くなっていく肉体に反して頭が異様に重く感じ、呼吸も思考も酷く億劫だったのを覚えている。自分という存在が妙に希薄に感じられ、骨の浮いた身体や心の不安定さはゴーストみたいだった。わたしは曖昧に生き、不安定に行動した。人生でいくつか酷い状態になる時期はあると思うが、わたしは多分この時が最悪だった。
「悲しみの波が再び彼女をさらい、深い海の底に沈んでいく様をわたしは静かに見守った。奈々ちゃんなりの順番と方法で悲しんでいることをずっとわかっていた。」
 これは前に書いた『追悼』の文だけど、悲しみの儀式には順番があって当然だと思う。「涙とは感情より先にくるもの」と言った人がいたけれど、涙より先にくるものもきっとある。
【まず地獄の門をくぐって天国へよじ登らなければならない。手と足の二十本の爪を血ににじませ、はぎ落として、じりじりと天国へ近づく以外に道があろうか。】
 これも『堕落論』の一節。一度堕ちた人間が救われるには酷い苦労が付き纏う。しかし、わたしたちは堕ちることによって真に救われるのだというのも、後に理解する。
【地獄より光へ至る道は長く険しい】
 これはミルトンの有名な言葉だけど、ずっと心に刻まれている。地獄の景色も救いも、堕ちた後に知るのだ。

20221204
 物語が好き。人間の生み出す物語が好きだ。生来わたしは好奇心が異様に強く、知らなかった世界を知るのも、人の思考回路に触れるのも好き。
 例えば「あなたの好きなひと」は結果であって、「好きな理由」は過程である。結果としての情報に大した意味はなく、わたしは愛の過程や方法に興味がある。「あなたが誰を好きなのかは興味がないけれど、何に惹かれてどう愛するのかが気になるな」といったことがよく起こる。
 『The maze runner』はずっと好きな作品で、初めてちゃんと読んだ洋書でもある。あれが賛否両論なのは勿論、結果を一言で表すとThe boy did the wrong thing, everything got screwed up, and his best friend died.みたいな感じだからだろう。しかしそこには愛に溢れた過程がある。少年たちはもがき、友を守るためにどんな愚かな行為でもした。結果がどうであれ、過程が美しい作品は素敵だ。
 そういえば昔、「あれこれと理由のないのが愛だよ」と悟ったような顔で言われ、「それは言語化能力の欠如を言い訳しているだけでは」と文句をつけたことがある。そのひとは困ったように笑い、含みを持たせた瞳でわたしを見た。そして「『スプートニクの恋人』を読んでみてよ。そこに書いてあることがいま君に対して思っていることだよ」と言った。笑うとき、目を細める様が綺麗なひとだった。わたしは言われた通り村上春樹の『スプートニクの恋人』を読み、そのひとの言葉をなんとなく理解した。感情表現を小説に任せてしまうのも、なんだか洒落ている。
 好奇心は猫をも殺すというけれど、過程を愛するわたしからすればわくわくしたまま死ねたら本望じゃない、という気もしている。

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