日記②
20211023
月に一度、自分が汚らしい怪物になった気持ちになる。全身が不快で、いやな匂いがして、無性にいらいらする。わたしの、女体に対してある種の嫌悪感を抱く理由としてその複雑さが挙げられる。いくつもの曲線によって構成され、謎の機能が多く、使い勝手が悪い。女でも男でもない生き物になれたら楽だろうなと思うこともしばしばある。女の子のことは精神的にはむしろ好んでいるけれど、身体的特徴…膨らみや柔らかさやそういった類のもの…を思い浮かべると恐ろしい気持ちになる。ああ、臆病なシスジェンダー・ヘテロセクシャル…。
ところで、夢野久作の『瓶詰の地獄』を読んだ。全部で7篇あるうち、お気に入りは『死後の恋』だけど、裸体に撃ち込まれた宝石…なんとも衝撃的で官能的な描写だ。『鉄槌』や『支那米の袋』では悪魔だ猟奇的だと思う心もわからなくなり、綱渡りのような人間の心の危うさを感じられる。夢野久作の描く女体はなんだか生々しくて、グロテスクに感じる。作者の殺人衝動や自殺願望、狂気によるものなのかわからないけど、女という生き物が恐ろしく感じられて、それと同時に今日の体調不良があり女体についてやけに意識せざるを得なかった。
女体に性的欲求を向ける人々は、その複雑さやグロテスクさを好むのだろうか…それとも、恐ろしさの先にあるのが魅力や性欲なのだろうか…などと神保町の街を歩きながら考えていた。
20211024
寺山修司の『家出のすすめ』を読んだ。ああ、この本に思春期の歳で出会っていたら…!「さあ、あなたの家のなかへ、こころの姥捨山をつくることをはじめてください。」と当時家という国家の奴隷と成り下がっていた自分に言ってもらえていたなら、学生時代は随分救われただろう。
第一章の家出のすすめから始まり、悪徳のすすめ、反俗のすすめへと進んでゆく本書であるが、個人的に好きなのは『サザエさんの性生活』という項目。神保町の喫茶店で読んで爆笑してしまった。"サザエさんのエロチシズムへの無関心と家への忠誠が一夫一妻の死ぬまでのものだとする諦めから出発していることがこの漫画の最大の特色"…なんてことを言うんだ。
『許してはいけない』の項目では"日本人はすぐ許す、しかしなかなか忘れない"から"みんな、もっと復讐の血を、つねにあたためておかなくてはならぬのではなかろうか"と続く。怒りに敏感に生きてもいいのかも。
日本における「家」の国家性にはかなり頷ける。"家という単位は構造的にはきわめて政治的であって身分と経済の面は家父長制の中で父という首長に委ねられていました"…これが今では"両性平等の上に立った双系体制への変化と進展"とあるが、わたしの家庭において父は常に長であったように思う。時に暴君ですらあった。家における愛情的機能に縛られ圧されていた。22歳になった今ですらあの日の少女を解放できていないのだから、なるほど子どもというものは早々に家出をするべきだろう。
カネコアヤノの歌で『家族について』というものがあるけれど、「私あなたの子供、嫌でもあなたに似ちゃうみたい 立ち姿に笑い方喋り方に怒り方」…この歌詞がなんだかずっと頭に残っている。
20211028
橋本治の『蓮と刀』を読んだ。橋本治の本を読むのは初めてだったけど、内容も話し方も衝撃だった。脳みそを直接殴られたような感覚!(ってわたしはよく言う。笑)というか、この本が1986年発売なの凄すぎる。この時代にこんな本が世に出るんですか、わたしが生まれる13年前に。
ともだちが読んでいたので気にはなっていたんだけど、幼児語で男性論を語る本…それって結局どういうこと…?と詳細を掴めずにいた。
感想を言うのはむずかしいのだけど、なんとなく、男性について不思議に思っていたことが解消された気がする。"男は本質的にウジウジしている"のが「おとうさんこわい」に対する抑圧であり、おじさんは年齢関係なく思春期を越えられなかった時点でおじさんになり得るのであり…。男のひとはお父さんにも男友達に甘えられない、人生でお母さんにしか甘えたことがないから恋人なり妻なりに対して甘えたがる…肉体的な繋がりよりむしろ"楽園状態"を求める。たしかにそうなのかもしれない。そう考えると、わたしの父親とかは完全に"おじさん"なのだけどさらにそのお父さんである祖父に対してはある種の抵抗をしたんだろうな、でも結局"おじさん"になっちゃったんだろうな。笑えるな。わたしは男のひとが苦手だし、理解もできないと思っていたけれど、なんとなく男という生き物が(とくに"おじさん"について)わかってきたように思える。
"おじさん"にならないような男性を愛したいものですね。そのためには、自分にきちんと向き合える人が良い。おとうさんこわいって、きちんと言えるひとがね!♡
20211030
不安を抱えながら兵庫にいく。
好きってどういう気持ちだろうとわからなくなるとき、『星の王子さま』を思い出す。王子さまはどうして自分の星に咲いた花をとくべつだと思ったんだっけ。同じような花がたくさんあるとしても、ほかと違うと何が思わせてくれたんだっけ。きつねは何を教えてくれて、毒へびは何を与えてくれたんだっけ。わたしは何を忘れてしまったんだっけ。
「愛は月や星のような大げさなものではない」というのはたしか、ドラマ『セックス ・エデュケーション』の台詞だ。そうかもしれないけれど、当たり前に埋もれてしまうというのは月や星にも似ている。わたしは何か大切なことを埋もれさせてしまったんじゃなかったか。見るべきものを見ないで、聞くべきことを聞かないでいるんじゃないだろうか…。
頭の中が少し混乱していて、散らかった部屋みたいだ。宮沢賢治の『ひかりの素足』で、「にょらいじゅりょうぼん第十六」という言葉から地上世界は常に天国になりうるという思想を知った。こころが損なわれていると思っても、見方を変えてみたら何も失ってはいないのかもしれない。
20211108
『ピーターパン』で、大人は空を飛べない。『ナルニア国物語』で、大人はクローゼットの先を知らない。『ロック&キー』で、大人は魔法を忘れてしまう。
子どものときはあったものが、大人になると失われる…そんな感覚がここ数年ずっとある。
子供のころ怖くて仕方なかったものが、怖くなくなった。心が激しく動かされる感覚が鈍くなった。素直に信じていたものを信じられなくなった。大切に集めていたものの価値がわからなくなった。綺麗なものにあまり感動しなくなった。悲しいときにすぐに泣けなくなった。大人になったと気づいたときにはもう遅く、わたしは多くのものをとっくに失っていた。
幼いころ、自分の背より大きいクリスマスツリーが家にあって、12月になると飾り付けをしてサンタクロースを心待ちにした。寒い夜、温かいココアを飲みながら赤や緑や様々な色に点灯するツリーを見るのが好きだった。読書が大好きで、何時間も図書館に篭って本の世界に没入した。一度に何冊も借りるので、部屋の中は常に本の山ができた。キラキラ光るものが好きで、宝石のおもちゃを瓶に詰めて集めた。綺麗な色の石や缶バッチ、キーホルダーなど小さな宝物がたくさんあった。
様々な色に変化する空は、神様が住む世界と信じた。雲が人や動物に見えるのは天使様の悪戯に思えた。夕焼けの桃色と橙色は絵の具のバケツをひっくり返したようで、学校の屋上に集まって見た星空は金剛石やルビーやサファイアをちりばめられた宝石箱みたいだった。幼稚園の卒園式、聖歌を歌う子どもたちが光に包まれて、天使様が祝福しているのが見えた。嘘みたいだけど、子どものころはわたしの世界で何だってできた。
ピーターパンに憧れる一方で、大人になることは悲劇だと幼いころ感じていた。「わたしも大人になる。わたしもこの気持ちを忘れてしまう」子どもにしか見えない巨大な世界とかつての冒険を、わたしは段々忘れてしまう。損なわれる感覚がわたしを焦らせる。本をいくら読んでも真の没入には至らない、昔のような本の世界の構築ができなくなっている。いつしか損なわれたことすら忘れてしまって、子どものわたしの世界は完全に閉鎖される。
大人になったわたしは力を持ち、知識を持ち、知性を持った。大人になったわたしは大人の世界を知った。大人になったわたしはもうネバーランドには行けない。
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