日記⑦
20240520
久しぶりに日記を書く。思い返すと、大学院の最後の一年間はほとんど死んでいたようなものだった。ゾンビのことをliving deadって言うの、最初は意味わかんないなと思っていたけど「意思がないのに動くもの」って「生きる屍」としか言いようがないね。この一年、大好きだった映画も小説もあんまり触れられなかった。映画は観る時間の確保も場所もなくて、いざ観ようとするとどうしても集中できなくて、イライラした。小説は読もうとするとどうしてか目が滑ってしまって、内容が頭に入らなかった。物語の処理が上手くできないものの情報処理はできるみたいで、投資や税金関係の本を読んだ。執筆ももちろんできなかった。怒りとか、悲しみとか、いろんな感情がちょっとだけ薄れていたみたいで、何かを書こうとしても井戸の水が涸れてしまったみたいに脳内に言葉が何も見つからなかった。日を越すたびに心がすり減って、マリー・ホール・エッツの『もりのなか』の動物たちみたいに、感じるべきだったこと・書くべきだったことは一つずつ姿を消していった。彼ら、いつの日か戻ってくるといいのだけど。
20240521
度々見る夢があった。わたしの前に痩せ細った男がいて、わたしはどうしてか彼への憤りが止められない。怒りなんて言葉では表せないくらいにわたしは激情に駆られ、衝動的に行動し、容赦なく腕を振り上げる。鈍い音とともに男を殴るわたしの姿が見え、恐ろしい行為に反してわたしは晴れ晴れした気持ちになる。誇り高くすらある。わたしは正しくて、素晴らしい人間のように思う。痩せ細った男は思い返せば誰かに似ているような気もするし、そもそも顔なんて詳細に作り出されていなかった気もする。「わたしはここにいる」と叫び続ける可哀想なわたしの暴力性。わたしの柔らかい肉体に眠る、黒々とした容貌でこちらをじっと見つめる生き物。
20240527
何の面白みもない東京で生まれて、一度も離れることなく生きていく。不自由も自由も知らない。この場所での呼吸の仕方しか知らないから離れられないでいる。
故郷へ帰っていく友人たちは、人の姿を借りて会いに来てくれていた人魚みたいだなぁと思う。彼らは金剛石のようにきらきら光る尾びれをもち、海の中でしか息ができない。一時的に二足の脚を得て、乾いた土地でわたしに出会う。彼らはわたしを羨む。東京にはなんでもあるね、と楽しそうに笑う。
故郷から離れて東京にきた友達はたくさんいる。多くの時間を共有して、大好きだったのに、やっぱり地元が落ち着くからと帰っていく彼らをわたしは何人も見送ってきた。ここが好きって言ってたのに、うそつき。わたしはきみにとって止まり木に過ぎなかった?って、置いていかれるといつも寂しくなる。
東京は綺麗なようで汚くて、新しいようで古くさくて、満ち足りているようで乾ききっている。24年間も東京で過ごせば息をのむほど美しいものも、逃げ出すほど悍ましいものも、飽きるほど見た。素敵な人間もいるけど、掃き溜めみたいな人間もいる。高級な香水の匂いがするのと同時に、腐った生肉の吐き気をもよおす臭いがする。
人魚の友人たちは最初こそたくさんの人や新しいものに囲まれた新鮮な冒険に興じる。彼らの瞳がガラス玉みたいに喜びの光を純粋に反射するとき、どきどきするほど眩しくて、羨ましい。しかし彼らにとってここは通過点であって、目的地ではない。彼らはふいに気づく、「ここは自分たちの生きる場所ではない」と。その瞬間、彼らは全てを持っているように見える。わたしには岩陰に隠した宝物も、波に打ち付ける美しい尾びれも、海底に待つ神秘の故郷だって、なんにもない。
谷崎潤一郎の『人魚の嘆き』で、こんな台詞がある。
「・・・・・・私は地上の人間に生れる事が、此の世の中での一番仕合はせな運命だと思って居た。けれども大洋の水の底に、欺く迄微妙な生き物の住む不思議な世界があるならば私は寧ろ人間よりも人魚の種属に堕落したい。」
わたしにとって幸せな運命とは何だろう。わたしの帰る場所、わたしの心が真に満足する地はどこにあるんだろう。
去年の夏、村上春樹の『海辺のカフカ』に憧れて、ひとりで香川県に向かったことを思い出した。一週間くらいの旅の中で、もちろん高松にも滞在したけど、瀬戸内海に浮かぶ島に泊まった数日間が特に思い出深い。宿泊していたこじんまりしたゲストハウスは小高い丘の上にあって、縁側に座るといつでもきらめく紺碧の海が見えた。突き抜ける爽やかな青空に真っ白の雲がふわふわと浮いていて、祝福するみたいな夏の日差しが降り注いだ。縁側で呆けていると飼い猫がやってきて、すぐ隣で腹を出して寝転がり、撫でてやると「良いですね」とばかりに目を細めてやがて寝息をたてる。
わたしは特に旅程も立てずにいたから、日中は港の売店で塩アイスを買って食べたり自転車をこいで探検したり、夕方になったら海辺に腰掛けてぼーっとしながら本を読んだ。日が落ちたら宿に戻って、出会った旅人たちとお酒を飲み、星を見ながら自分たちのしてきた小さな冒険の話を集めた。泣いちゃうくらいに穏やかで幸せで、宝石箱みたいな数日間だった。
ふらふらと、よくひとりで旅をする。わたしの旅は大体計画性がなくて、行きの切符さえ買えばあとはその場でどうにかする。基本的にはゲストハウスに泊まって、夜は地元の居酒屋に行ってその土地の話を聞く。一人飲み文化のある街で生まれ育っているから、街を知るならまずそこに生きる人を知るべきだと思っている。一緒に観光したりお酒を飲んだりして、そういった儀式を経て知らない街に馴染んでいく。
旅先で出会う人々の中には今でも仲良く会う人も、二度と会えない人もいる。帰る頃にはまるで故郷を離れるみたいに悲しくなって、「また来るね、絶対に」と何度も口にする。「待ってるね」という言葉が嬉しくて、子犬みたいに笑う。好きだなぁと思った人や街に再び会うことも幸せだけど、もう二度と会わないのも素敵な気がしてしまう。一期一会って切なくて勿体なくて、それでいて大切な気がするんだよね。わたしが東京へ戻っていくのを見て、彼らも「ここでは呼吸ができないか」と思ってくれたりしたのかな。
ひとには皆故郷があり、それらはもちろん生まれた場所とは限らないが。あるひとは海に呼ばれ、あるひとは山へ導かれ、あるひとは乾いた場所でしか生きていけない。灰色の街でわたしの魂は安らげない気持ちがして、それでいて現世に安息の地なんてあるかもわからない。借り物の肉体に押し込められたわたしの魂はどこかに帰りたくて、どこにも帰れなくて寂しげ。「たましい」って実はひらがなのほうがしっくりくる。読みにくいから漢字で書くけどね。
おぼろげな記憶。夢か現実か、想像か幻覚かもわからないけれど、幼いころに雲の上で天使様と出会った。夏のひどく暑い日、大きな大きな入道雲を見ていたら聖書の天使様が見えて、わたしは天上の世界に行った。透き通る純白の中で、天使様は山のように大きな姿を持ってわたしの前に現れ、確かに何かを伝えてくれた。どんな容貌をしていたのか、何を言われたのかも、何も思い出せないけど。それ以来空を見ると心がざわざわと揺れる。夏になると雲が美しくて、海から潮の匂いを運ぶ風がやってきて、こころの空洞を吹き抜ける。風を受けて気持ちよさそうに、借り物の肉体がからからと音を立てる。
20240528
WANG GUNG BANDの新譜、楽しみすぎる。
新曲が出るたびに、秘密話を共有するみたいに、息をひそめて聴いている。好きだな。最高のバンドだな。
(5/29 0:00まで待って、聴いた)
あー良い。でも苦しい。何も言うまい。
会いたいけど会えないよ〜。
20240529
「おまえって機械みたいだよね」
大学生のころ、あんまり仲が良くない先輩に言われたことがある。よく知らんくせにうるせ~~~~~~~~~~~~~~と思うものの、まあ事実、わたしはある種機械っぽい気がする。
白黒はっきりさせたい方だと思う。苦手な人とは関わりたくないし、好きな人とはとことん混じり合いたい。好きってよく伝える方だと思う。仲良しの友達からは「いつも笑顔だね」と言われる一方で、大学の知らん男に「鉄仮面だと思ってた。笑ったりするんだね」と言われたこともある。鉄仮面って。
ひとの気持ちが全然わからない割には、「言ってほしいこと」「言ってほしくないこと」はなんとなくわかる。「言うべきことを言って、言うべきでないことを言わない」、これを徹底すればあんまり嫌われることはない。たぶんあんまり仲がよくない先輩は、わたしの受け答えが台詞を読んでいるように感じたんだと思う。自分の中にマニュアルがあって、それに沿って回答しているだけの時があるから。
ひとの気持ちが分からないのは、たぶんそのひとのことをあんまり知らないようにしてるからだと思う。顔とか身体とか、外的な部分をじろじろ見るのは気が引ける。自分もあんまり見つめられるのは得意じゃないし。目を合わせるのは好きだけど。
この世のすべての差別や偏見は結局のところ「相手に興味を持ちすぎ」というところから来る気がしている。相手に対して「どうしてこんな格好を」「どうしてこんなもの好きなの」「どうしてそんなことをしているの」みたいに思ったままに聞きまくるのって、ばかみたいで気持ち悪い。何を言わないかが品性、とも言うけど、それでいうとわたしは何よりも品性を重視しているのかも。品がない人間は耐えられない。
わたしの周りの友人たちはみんな心地よい距離感を保ってくれる。恋人みたいにくっついていても、隠し事がないくらいになんでも話していても、わたしが踏み込まないでほしい領域には絶対に触れない。「これ以上踏み入れてはいけない」がきちんとわかるひとは、信頼できて、落ち着く。「距離を保つ」というのは「敬意を示す」と同義だから。
他人との距離感をきちんと保とうとするところが、機械っぽいのかな。前に付き合っていたひとが3年過ごしたあたりで泣きそうな顔で「いつになったら心を開いてくれる?」と聞いてきた。そのときは何言ってるかわかんないな~と思っていたけど、あのひとはわたしの何を知りたかったんだろう。もしかしてそもそも、わたしには開くような心もない?中身すかすか、からっぽ人間だからでしょうか・・・・・・。
三島由紀夫の『葉隠入門』を読んだ。
「若い時代の心の伴侶としては、友だちと書物とがある。しかし、友だちは生き身のからだを持っていて、たえず変わっていく。ある一時期の感激も時とともに冷め、また別の友だちと、また別の感激が生まれてくる。書物もある意味ではそのようなものである。・・・(中略)・・・しかし、友だちと書物との一番の差は、友だち自身は変わるが書物自体は変わらないということである。」
これは間違いなくその通りで、友人というものは本人が変わってしまったり、もしくは自分が変わってしまったりする。書物は違う、ただわたしが変わるだけ。面白くないと感じるようになることも、逆に面白さがわかることもある。例えば宮沢賢治の『銀河鉄道の夜』は学校で絶対に読むけど、大人になってから読み返すとまた違う感想がでてくる。わたしは宮沢賢治がすごく好きで、言葉の美しさにいつも圧倒される。文章を読んでいて言葉選びが綺麗だなぁと思うのは宮沢賢治とか小川洋子とか、あと吉澤嘉代子とか。言葉の並びを見ているだけで、宝石が飾ってあるように思えるのって素敵だなぁと思う。
「武士道といふは、死ぬ事と見付けたり」「我人、生くる方がすきなり。多分すきの方に理が付くべし」これら、逆説的だけど、尊厳のある死という点でいえば「図に当たる」しかないのだよな。それら以外も、みな等しく人の死ではあるんだけど。『葉隠』は選ばれた死を勧めているようで、正しい死なんてものは結局のところなくて、戦争で国のため殉死することだったり、自ら選んだ死のことだったり、ぜんぶ本当に選んだものとは言えないのだ。三島が死について話すとき、わたしはいつもどきどきする。彼の死に様を知っているからこそ、彼の言葉はあまりにも迫真に迫っている。この世界で、彼ほど死について考えたひとはいないんじゃないかな。
20240530
貧血でだる~い ネガティブ週間でしたがようやく終わりそう 来世は男体
20240531
サン・サーンスが好きで、《亡き王女のパヴァーヌ》とか、《サムソンとデリラ》とか(特にやっぱり第3幕が好きかな)《死の舞踏》とか。少しだけヴァイオリンをやったからヴァイオリン協奏曲が好きだけど(ブラームスとか、チャイコフスキーとか、メンデルスゾーンとか)、ピアノの独奏曲もよく聴く。ドビュッシーの《喜びの島》がすごく好き。ショパンとかリストも好き。母が元々ピアニスト志望だったから、幼い頃からずうっと、ほんとにずっとクラシックかジャズを聴いて育った。そんなに詳しくないけど、聴けば馴染みある曲がすごく多い。いまでもクラシックは聴くと落ち着く。赤ちゃんが眠るときみたいに、安心する。お母さんがピアノを弾くのを見るのが好きだった。お母さんは指が細長くて爪がいつも綺麗に切りそろえられていて、鍵盤を弾くたびに正しい音、正しいテンポで美しい音楽が紡がれた。
大人になってからも音楽はずっと好きで、今ではバンドもクラシックもジャズも、あと映画のサントラとかミュージカルとかも聴く。時々お母さんがオーケストラのコンサートに誘ってくれて、ふたりで行く。演劇も好きだからよく行く。わたしはなぜか、コンサートや演劇が始まる瞬間、幕が開くそのときに泣いてしまう。理由はよく分からない。嬉しい・尊敬・興奮・緊張、そういう言葉でも言い表せない不思議な感動があって、心臓がぎゅっと苦しくなって、気づくと涙があふれている。
そういえば、去年Yogee New Wavesのライブに行ったときも、踊ってばかりの国のライブに行ったときも、気づいたらめちゃくちゃに泣いていた。心を揺らすような音楽をやるバンドだと思う。わたしの「好き」は湖に水が勢いよく流れ込むように胸をいっぱいに満たして、あふれ出した「好き」が涙なのかもしれないな。
ちなみに今度人生で初めてフェスというものに行く。好きなバンドばかりで、どきどき。
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