愛の祈り

悲劇のヒロインぶってんじゃねーよ!!!
って怒鳴られたのが小学生で
そこから私の主人公が自殺願望を持ち始めた。
いつだって誰だって自分が人生の主役なことは
希望であるべきだったのに、それが絶望のようになってしまったのだ。私の思想や私の存在そのものは1番だいすきな人にとって"不快"で、彼女の心臓をざわめかすモンスターである事が受けいれられなかった。

小学校の頃、ずっと長く私を持ってくれた担任の先生は卒業式の見送りすぐ先にバスの待つ靴箱の前ですれ違いざま私にこう言った。
『貴方の感受性は素晴らしいから、それを生かした職業に就いてね。そしたらきっと素敵な人生になるわ』

私は、それがとっても嬉しくて自分だけがなんだか特別なような気持ちがしてずっと今の今まで宝物として心にその言葉を置いてきた。

自分が、自分の事を、自分の人生として誇らしく過ごせるようにお守りにしてきた。

中高6年間寮生活を選択した私は小学校を卒業して直ぐに家を出た。だから、両親と過ごした時間は他の子達とは少し短いのかもしれない。

だけど、寂しくなかった。私の1番の友達は私と私の作る世界と私が歌う歌で特に歌に集中している時は世界の全てが華やいで見えたし、悲しい時も寄り添ってくれた。友達のこと、家族のことなんだか誰も信じられなくなってもそれだけが絶対でそれがあったから私は生きてこられた。

誰よりも過剰に、光に感動して泣き暗闇に絶望して泣いてきた。自分でもこれが自分だって知っていたから気に止めて来なかったけど、今思うとやっぱり何だか異常だったのかもしれない。だからこそ作れるメロディがあって詩があってその時の美しい瞬間を都度色んな形で閉じ込めていつでも思い出せるようにと作ってきたのが今思えばはる陽。のはじまりのような気がする。

高校を卒業して、実家に帰った。
お母さんは私以外の家族のことでかなり心労していてそれでも私を見なきゃという親の責任感からいっぱいいっぱいになっていたように思う。だから、上手くいかなかった。当たり前に家族だし気心知れている相手のはずだから生活がそこにはあるから無論ぶつかるけれどお母さんの些細な言葉を私は過剰に受けとってしまったのだと思う。きっとそれがお母さんにとっては不思議で更に苛立つポイントだったのだと思う。

お互いのために家を出た。私は、どうにか"自立"しないといけないと思ったし大好きなお母さんに『もう大丈夫だよ!お母さんとお父さんのこと大好きだし、たまには帰ってくるからさ私の事大事にしてくれる友達だっているよ!心配しないで』と言いたかった。

優しくされる度泣いてしまう、ぶつかる度泣いてしまう。現実で天国と地獄を行き来する。

私はきっと、家族と向き合うことが怖くて
天国と地獄を行き来する悪夢を体験する可能性がある場所に行くのが怖くて、それと同時に同時に避け続けることによってお母さんとお父さんが私に会いたいと思っているのに、みんな生きているうちにそれなりに思い出が作りたいと思っているのに私のせいでそれが叶わなくなることが怖いんだと思う。

お母さんやお父さんや今私を大事に思ってくれている全ての人と、私のために

自分の事をめいっぱい愛するために

なるべく周りの人に泣き顔より笑顔を見せれるように乗り越えたい。本当はきっとそんなに泣くことじゃないんだ全部怖くなっちゃってるだけで。

君がいる、みんなが居るって
いつかなんかの形でぶつかって
はぐれることになっても
ぶつかれずに背中合わせでさよならでも
大好きだったな、大好きだなって思って強く立ちたいしいつかまた巡り合えることを楽しみにしたい。はじめましても、長らくありがとうもめいっぱいの愛で包みたいからそのためにはちゃんとこれ乗り越えないといけない。私が1番愛されてるって思えて、私が1番みんなや家族のこと愛してるって思わなきゃいけないし思いたいの。

だから愛と祈りで、飛び抜けていいとこがあればその分飛び抜けて悪目立ちするとこもあるけどだからこそ作れる立てる歌える舞える伝えられるしきっと伝わる。から、ぎゃんばるよ!向き合うことを!以上!



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