2024年10月18日(金)
2日ぶりかな?腰の痛みは治まらず、生理が来ると落ち着くかと思ったら全然治まらずに終わってからも居座り続ける腰痛…
整骨院とかに行ってもその場しのぎの気がするので、真面目にストレッチとかをしようと思っている。
最近はジブリの作品「思ひ出ぽろぽろ」のように
思い出が心の中を大きく占めることが多く
日記なのに思い出話ばっかりするのもなーと思いつつ
結局現実としては腰痛が酷すぎて歩くことが出来ないので、たまに軽減した時はここぞとばかりに買い物に行ったり、料理をしたりするんだけど
食欲が全然ないので、せっかく決死の思いで買い物や料理をしても、2口でお腹いっぱいとかになってしまって「なんやねーん!!」と1人ツッコミをして虚しい気持ちになったりしてます。
リハビリも少しずつだね。急に動いたりしない。
この間のイベントは無理しすぎたかも…でも感動したことには間違いないので、それでよしとして。
最近、思い出も相まって自分の年齢感について考えることが多い。
「さすがにこの歳なんだから…」とか
「この歳としてこう考えないと」とか
多分人よりはかなり少ないとは思うけど
あるには、ある。
「あれ?これって老化か?」とか
「もうそこまで若くは無いなー」とか
そう感じる事が多少なりともある。
あと、乙女でいることの境界線とか。
「そろそろキャッキャ言ってないで落ち着けよ」
とも思う。この歳でcharaの昔の楽曲を聴いて
救われてる場合じゃねえよ、とも思う。
けど、正直そういうのは全部どうでもいいんじゃないかと思ったりする。
もちろんそれなりに責任感や、ある程度の自覚、謙虚さは必要だとは思うけど
身体が衰えるのは自分の怠慢だと思うからその辺はメンテナンスしていくにしても
心は別にそのまんまでいいんじゃないかな、と思う。
むしろ、子供のまんまの素直な気持ちでいたいすら思う。
ただ、そんな無垢な気持ちでいようと思うと大人になればなるほど傷つくことが格段に増えたり、究極のところを言えばそんな所まで誰も助けてくれないので、それなりの強さは必要になって来ると思う。
でもさ、それで良くない?
や、知らんけど。
子供の気持ちをむき出しにしてると
騙そうとしてくる人が容易に寄ってきたり
上手いこと使おうとする人があれこれやらせようとしてきたり
飴玉をエサに子供を誘拐する大人みたいになる人が多すぎる。
だからその辺の危機管理能力も必要ですが。
誰にでもついて行かない。これは鉄則です。
私の場合は自分に悪いことをしてる場合、必ず身体や行動に結果が出てくるから
その辺は分かりやすく出来ているので
身体から拒否反応がでたらすぐ引き返す。
これに今まで気がつくことが出来てなかった。
自分の身体が止まるようならしなくて大丈夫。
動こうとしたらもう少し頑張ってみる。そこは身体に正直に居ればと思っている。
普通に、気の進まない人と一緒にいると寝ちゃったりするしな。身体って正直です。
その前に寝てしまってどうなのか、というところはあるんですけども。
そこはごめんなさいって感じだけど
でももう会うことも無いだろうしって思ってたら気が楽です。
そのくらい限定的に付き合っていこうと思う、
もっと自分に敏感でもいいと思う。
あと、そういう人たちと出会えることにも感謝。
なんか一瞬でも一緒に居ようとしてくれてありがとう。
あと、その人たちともちゃんと向き合う事はやめないよ。
ご縁ってこういうことですよね?っていう確認が出来る。
繋がる時は繋がるし
切れる時は切れるんだから
その備えと、自分への確認は怠らないように。
自分に余裕があり過ぎる時も気をつけてね。
その時はもしかしたら自分がその人のことを「洗脳」しようとしてるかもしれないから。
ギリギリのラインで、出せるだけ出せて
それでも受け止めてくれる、理解しようとしてくれる人が1番いい関係なんじゃないかな、と思う。
自分を出せるって、心を許した人にしか出来ないからね。
あと、こっちはバッチリ受け止めの体制は取れているので、その辺はまるっと飲み込みます。
雑食だしな。基本どんな感じでもOKです。
でも、途中でペッて捨てちゃうこともある。
それは自衛のためだと思っていただけるとありがたいな。無責任だけどね。
でも、悲しいけど他人ってそんなもんよね。
どれだけ近い人でも「あー、伝わってなかったんだー」って思うこといっぱいあるしね。
そのジレンマも、逆に他人でいてくれる事の良さだよねって思えたら最高。
だからやっぱり、孤独を充実させるべきね。
紛らわす訳じゃなくて、きちんと備えるべきよね。
はー、久々に書いたらすっきりした。
やっぱりこの日記の存在はありがたい。
ここまでの文字数書くことなんて本当に久しぶり。
144文字の呪いに縛られすぎてたかな…
さて、今日は眠れるかなー
おやすみなさい。