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今日もコーヒーは苦かった4

落ちている、どこかに向かって落ち続けている。
ちょうどジェットコースターが落下するときのあの感覚がつづく。
どれぐらい落ち続けただろうか。
それは突然何の衝撃もなく静かに終わりを迎えた。


どこだここは。
景色は無かった。
色も、音も、匂いも、感触も、温度もない。
無の世界とはこのことを言うのか。
そうだ、他の部員は無事か?
とよぎったと同時にすぐ近くにいることに気が付いた。


声を出すことはできない。
何かを触ることもできない。
でもみんながすぐ近くにいることはわかる。
水中にもぐっている時に聞こえる地上の声くらい小さな声の感覚が頭に直接飛び込んできた。
その小さな声に集中していると次第にその声はハッキリしてきた。
声の主は佐々木だ。
「先輩!井上!三宅!山中!」
「佐々木、きこえるか?」
「先輩、無事だったんですね。」
「この状態が無事かどうかわからないけどね」
「どこここ?」
三宅の声がした。
井上と山中が怯えてるのが分かった。

俺たちは、会話するようなやり取りをしていたが、次第に相手の考えていることが手に取るようにわかるようになり、さらにはそれぞれの思考や知識までが自分の中に流れ込んできた。

佐々木がこのキャンプ数日前、俺への思いを打ち明けた。
「先輩、僕先輩が好きです。すみません突然。」
俺は佐々木の思いには薄々気が付いていたが告白されると思っていなかったので少し驚いた。
「おう、ありがとう。俺も佐々木のこと好きだよ。」
「いや、その、友達同士の好きとかそういうのじゃなくて・・・」
「うん、わかってるよ、ありがとう。」
「先輩の言う好きってなんですか?」
「そうだね、人間の部分っていうのかなぁ。佐々木の考え方だったり、一生懸命の物事の取り組み方をリスペクトしてるってことかなぁ。だから俺も別に友達同士の好きとはちょっと違うよ。」
「僕は先輩のそういうところ好きです。だから何かどうこうしたいって訳じゃないんです。ただ伝えたくて。なんかすみません。」
「謝る必要ないよ。すごいよ佐々木は、自分の気持ちに正直だし、なんでも一生懸命だし。気遣いもできるし。俺が卒業したらユーティリティー部よろしくね」
佐々木は満足げに頷いて
「任せてください。先輩の遺志を継ぎます」
「俺卒業するんであって死ぬわけじゃないからね」
二人で目を見合わせて笑った。

井上は家庭環境があまりよくなく、そのことでも頭を悩ましていた。
父親の酒癖が悪く、井上が小さい頃に自分を置いて母親は出て行ってしまった。
母親は自分を捨てた。
そう思う度に泣いた。
小、中学生の頃は勉強もスポーツも周りのペースについていけず苦労した。
夜に父親と会うのが嫌で帰ってくる前には寝床についた。
もう父親とは5年程まともに喋っていない。
高校を卒業したら就職しあの家を出ると決めている。

山中には優秀なお兄さんがいる。
いつもお兄さんと比べられ、それがプレッシャーだった。
高校も親には最低レベルを決められていたが、成績が足りず親は自分に期待するのはやめた。
プレッシャーから解放されたと思っていたのも束の間、今度は親の蔑むような視線に毎日ストレスを感じている。
ユーティリティー部にいる時間が唯一そんなプレッシャーやストレスから解放された。


三宅は、自分の見た目や性格にコンプレックスを感じて自信を持っていない。同級生の女子みたいに可愛くなりたいと女子力を高めようとしたり、女子グループに入ろうとしたが馴染めなかった。
家も毎日食べるものに困るほどお金がなかった。
今日もガスが止まっているのでお風呂に入れない。
除菌シートで体を拭いた。
部活終わりや休みの日は軽作業のバイトをしている。
給料のほとんどをお母さんに渡した。
そのお金であまり働かない父親もご飯を食べていると思うと異様に腹が立った。
何とかその怒りやもどかしさを抑えようと布団に入って声を殺して泣いた。

俺は、理想ばかり追いかけ自分がない。
テレビでカッコいい俳優が朝にジョギングしていると聞いたら真似して走るが、三日坊主。
ドラマで英語をしゃべってる主人公にあこがれ英語のテキストを買うが、これに関しては開いてもいない。
成績は中の下、スポーツは下の上、ルックスに関しては下の下だ。
すべてに置いて中途半端。
将来就きたい仕事もなければやりたいこともない。
悟った表情をしているがやる気ないだけ。

たった今入ってきた新しい記憶を回想していると、
どこからか微かに子どもたちが騒ぐ声が聞こえた。


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