Reciprocity
相互性って大事だよな、と思いながら英単語を調べていたら、"reciprocity"という単語が見つかった。
語源はラテン語で、
recus(後ろに) + procus (前に)
から来ているらしい。
前方及び後方に向かって、すなわち双方向的な、と語源からも推測できるように、どうやら相互関係とか相互利益とかそういう意味を持っているようだ。
利己的な態度、あるいは自己卑下的な性質などによる一方的な関係ではなく、相互利益的な関係。
それはどちらかというと、相手のために尽くすことによって、自分にとっても良い結果がもたらされるというものだと思う。
相互的関係というものは、片方だけでは決して成立しない。だからとても難しい。個人の努力ではどうにもならない場合がある。自分から歩み寄ろうと努力しながらも、相手が歩み寄ってくれるのをひたすら待つことしかできない場合がある。多大な忍耐が必要な場合がある。
他人の課題に対してどう向き合えばいいのか、という疑問にも通じるものがある。大抵の場合、他人の欠点とか間違いとかを見た途端にどうしても助言したり正したくなったりしてしまうものだけど、干渉しすぎるのは問題がある。悪気が全くなかったとしても、その人の気分を害してしまうことがよくあるし、成長の機会を奪うことにもなりうる。
かといって全く関与せずに放置するべきだということでもない。ここで重要なのが、中庸だろう。過干渉でも放置でもない。相手の自由を尊重しつつ、正しい判断ができるよう助ける。知恵を得られるよう取り計らう。それは強いるものであってはならない。主体的に選択するというのが、自ら責任を負い、それによって成長するために、何よりも大切なのである。
その自主性を損なわないよう、適切な距離感を維持しながら、自分の持つ知識や経験に従って相手に勧告を与える方法。その一つが、言葉だけでなく、行動ならびに態度によって自らの信念を訴えることだ。同時にそれに付随する結果を提示することで、自らの言動の正当性を保証し、信頼性を高めることができる。つまり、自らの言葉が正しいことを、自らの行動とその結果を通して示すのである。
そのような働きかけに、すぐには応えてくれないかもしれない。それでも、相互的な関係が構築されることを期待しながら、最後まで諦めずに働きかけ続けることだ。いつか理解してくれる時が来るかもしれない。それがいつかはわからない。ならばその時を逃すことのないように、常に備えておくべきだろう。
相互性の意義についてはもう少し考えたいが、もし全ての人が幸福である状態が理想的であるとすれば、相互利益という考え方が、その状態に近づくためにある程度有効であるというのが、相互性の意義になりうるだろう。
ただ、全ての人が幸福である状態を、理想として抱かない人もいる。そのような人は、上の説明では相互性に対してほとんど意義を認めない可能性もある。このような場合において、全ての人が幸福である状態が理想であることを納得させるのがいいか、あるいは異なる論理を用いて相互性の意義を説明するのがいいか、わからない。
というか、なんでこんなことを書いてるのかすらわからなくなってきた。書き殴っていると暴走しがちになることがある。非常によくある。それもまた書くことの醍醐味なのだろう。
さて、最初の話に戻ろう。
語源を調べて、その言葉の背景を知ることは、とても面白い。単語の綴りと意味に深い関係を見いだせたりするし、逆に意味が変遷して全く関連がなかったりもする。世の中そんなものだ。
最後に。
互いに影響を及ぼし合いながら、人間は生きている。どうせなら悪い影響ではなく良い影響を及ぼせるようにと、そう願いたいものだ。それがわたしの願う相互関係だ。
it's reciprocity.