本当にすべての道はローマ(目的地)に続くのか?あなたは自分に満足していますか?
「Q:今の自分はこんな風になっていませんか?」
一生懸命に、ローマ(=目的地)を目指して歩いてうちに、歩いて努力している自分(=ローマへの道)が目的になってしまい
苦痛を伴うようになってしまいます。
本当は最初のPUREな願であるローマにいくんだ!私は!という目的が・・
あっという間に、消え去り・・道をあるくことが目的になってしまい・・目的が曖昧になりローマにたどり着く前に消えてゆく人が多いのではないか?
そういう思いをこめて、自分自身を内省するためのブログ記事です。
上記のイラストは、
目的までの手段や方法が何通りもあることを表す「すべての道はローマに通ず」という言葉は、
ローマ帝国時代には首都ローマへの道が非常によく整備されていたことが
語源となった言葉です。
「本当にすべての道はローマに通ずるのか?」を目で見て確かめられる地図「Roads to Rome」が公開されています。
デジタル地理学者とデザイナーが、白色の世界地図の上にヨーロッパ各地地点からローマに続く道を”細い線”で表しています。
これはGoogle Earthを眺めていても、絶対に見えない”細い線”です。
人間の創造力の素晴らしさがこのDataにあります。
絵画(=ART)のような美しさがあります。
「ローマ」は、目的地です
【目的の明確化、旅する時間が長くなると時間とともに
目的が曖昧になってくる】
「ローマに続く道」は、手段です。
【旅をつづけていくうちに、歩いていること、
つまり手段が自目的化してきてしまう】
【病気や不妊治療で行き詰まっている方へ】
治療だったら、時間を割いてクリニックに通っていることが、安心になりそして目的になってしまう人が多いです。特に体外受精の治療では。
「私はなぜ?ローマを目指しているのだろう。なぜ?ローマを目的地に据えているのだろう?」とかんがえてほしいです。
ビジネスでもおなじです。しらない間に売上が落ちてきた!シゴトが全く楽しくない!最初はあんなに楽しかったのに・・」と
思う人のためのブログ記事を書いてみました。
「あらゆる知識のはじまりは、知覚である」
byレオナルド・ダ・ヴィンチ
これは”知覚力を鍛えろ”と天才は伝えています。
観察しろ!知覚しろ!すると 知識と知識が点と点としてつながってなにか新しいものが生まれてくる。
クリエイターは、何もゼロからイチを生み出すものではないから、
デッサン(アイディア)の数が勝負だと。
ここからは、ダ・ヴィンチのことばの私なりの解釈ですが・・
目に見える3次元のものにばかり、目をむけていると今の時代は大切なものが見えなくなるような気がします。
いえ、道徳を言っているのでもなく、
スピっぽい話をしているわけではないです。
スピリチュアルはFACT(根拠のある証拠)の裏付けがないから好きではないです。
それは天からくるものではないから、地から出ているものだと思います。
でも・・安心してください。
▓6次元で発想してみる。サワれるものでは3つ程足りない
3次元の外には、人の感情(UP&DOWN)や、時間の流れ(Time Line)そして情報などの流れ(Information flow)の3つが加わり
6次元で発想しないと全体像をみえてこない。
見切り発車して、全体像を抽象化しないで、安易にバラバラの本人もよくわかっていない具体的なDataを、お客さん(私の場合は患者さん)に
横流しをしたらどうなるか? とんでもない悲劇が起こります。
あとでボディーブローのように効いてくる悲劇が起こります。
最初は持っていた、WANT TO(=自分がやりたいこと・・お金がもらえなくてもやりたかったこと)が消えてゆき、
現状を維持するためのが
自分の背中に”子泣きじじい”のように覆いかぶさってくる。
そして・・苦しくなって逃げ出したくなる。
だから、状況は更に悪化してゆく。
さあ どうしたらいいのだろうか?
ビジネスをやっている人だったら、時間をかけて自分の枠中でのみかんがえたコンセプトをサービス商品化しても売れないでしょう。
コンサルテーションをしている人だったら、ロジックは合っているけど相手にまるで響かない的外れな提案をして、しょぼしょぼ帰るでしょう。
家庭生活でも、家族とギクシャクして家で居場所を失うでしょう。
▓ ここまでを自分ごとに変換てみた。私の大切な2つのART
私はART(体外)の医療機関のラボで働いてきた経験をいかして
体外の医療コンサルテーションのシゴトをしているのですが
私は2つのARTをライフワークのテーマにしています。
① 1つ目のART: これは高度生殖医療(体外受精、アート)の研究
② 2つ目のART: 絵画(=アート)の観察力を鍛えて、
シゴトと生活のためにアイディアを生み出すためのレッスン
そのためには、カトリック信者としても旧約聖書や新約聖書の
読み込みといかに、目の前の日々の生活にいかすか?
聖書のシーンがまず浮かばないと、ヨーロッパの絵画は作家
が何をどう?表現しているのかも理解できないからです。
[詳細説明を]
①のアートについて
患者さんが、初診で専門医に出す資料(決まった問診票のFormat)を
渡して、
先生にお任せで治療を進めてきた時代は、もうとっくの過去に置いてきたばかりを来た人ばかりを観てきました。25年も・・。
患者さんも日本在の方たちばかりでなく、
海外在の方もたくさんみて来ました。
すると海外在の日本人の方(日本にクリニックで治療を受けるために一時帰国や飛行機で通院)
とよく話をします。
▓ 日本のARTは村社会で、ローマへ続く道のようにOPEN ではない理由
ここが日本の体外受精のクリニックのおかしな点という話をよくします。
「村社会」なんです。ローマのような、パリのような、広場に向かって道がたくさん流れ込んでくる開かれた街は日本にはないのです。
すくなくもとも生殖医療(=ART)の世界では。
なぜ?ローマの地図をUPさせたかというと、ここなんです。
◎ローマは、目的です。
【目的の明確化、旅する時間が長くなると時間とともに目的が曖昧に
なってくる】
◎ローマに続く道は、手段です
【旅をつづけていくうちに、歩いていること、
つまり手段が自目的化してきてしまう】
海外の患者さんと日本の患者の大きな違いは、
また別のブログ記事でも書こうと思っていますが。
一言でいったら「患者力の違い」です。医者と患者が同等なんです。
病気になった時の患者意識の差です。自分のことを一番に考えられるのは自分だからと経験でわかっているのです。
日本の患者さんみたいに「受身」ではないんです。大きな病院にいけば最高の医療を受けられるとかの幻想を持たない。
病院ランキングとかのコンビニの雑誌レベルにも(どうせ恣意性が入っているだろうから)鵜呑みにはしない!
自分の頭でかんがえて、情報をあつめて(検索Wordの入れ方で医療情報はよりエビデンスの高いものがみつかる)
主体的に自分の治療に参加して、医師に質問と疑問んを投げるのが当然として小さな時から育ってきた背景が違う。
極論を言ってしまうと
皆、自分の人生を自分で納得できるように、
後悔しない主体的な選択をしたいだけなのです。
たとえ、治っても治らなくても、自分が納得できるか?がどうがかが
一番大切。
もう一度いいますが、その理由は 何よりも自分の身体なのだから。
▓ログブック(治療のフライト・ログブック)をどうつけるか?
治療のログブックをつけている患者も少なくないです。
おくすりノートは雲泥の違いがあります。
Q:どの医者からどう言われて、どんなクスリを処方されてどうなったか?
Q:そしてどうなって自分はどう思ったかを自分のことばで綴ります。。
ログブックとは、航海日誌みたいなものです。
飛行機ならば航空乗務員飛行日誌(=フライト・ログブック)です。
ここに自分のDataがすべて書かれているわけです。
そのDataを次の診療にどういかすか?は知覚力しだい。
必要な知識は、動き出せば・・その時の自分(患者)に何が必要かフライトを続けているうちにわかってきます。
そのためには膨大な知識を精査する別のスキルが必要になる。
ただの日記はないから。
過去のDataこそ書いてはいるが、
実際に患者さんがみているの未来のDataです。
彼女たちは、何故?(Why)を繰り返し自問するクセを自然と
身につけてるのです。
▓ 自問のWHYには2つある。過去に投げるWHYと未来に投げるWHYと
①過去の自分に「WHY」を投げると・・
失敗の原因追及がはじまる
➤ 日本の患者の多い行動。
:意識が内に向かい、気持ちが凹んでくる。【収縮】
でも
②未来の自分に「WHY」をなげると・・
自分の目的(なんのためにやっているか?)が明確になり、
解決策が向こうからやっている
➤ 海外の患者さんに多い行動
:意識が外に向い、智慧が拡散・拡大してゆき、
明るい気持ち凸になる。【拡散】
人間だから ①と②はセットでやってくる。
凸凹が一緒になってやってくる。
フローでみて凸傾向で・・最終的には凸に収束するのが一番いい。
最後に・・
レオナルド・ダ・ビンチが晩年にくさるほど
デッサンした「グルグルな渦巻き」を書きました。
なぜ?彼は渦巻きをあんなにも書いたのだろうか?
私は思うのです・・
人のWHYの収縮と拡散の葛藤の螺旋にみえたのかも知れません。
気がきいた人は、流体力学?の発明案??」と。
私は違うと思います。
いや もっと人間の本質的な洞察をしていたのだと私は思ってます。
▓追伸P.S
これから、ノートに色々と私なりの気づきを書いていきたいと思います。