日本を国際復帰、経済復興の礎を作った恩人
敗戦後の日本を慈悲と勇気で支えた人
スリランカのジャヤワルダナ大統領
野口芳宜
おじいちゃんと孫の話からはじまる
「日本が戦争で負けてね、アメリカのサンフランシスコで、もう世界中が仲直りをしようという平和条約会議があったとき、戦争に勝ったいくつかの国が、『分割統治』といってね、日本を分け合って占領しようという話があった。
それから『戦後賠償請求』といって、戦争で負けた被害から立ち直るためには大変なお金がかかる、そのお金を日本に払わせようという国がたくさんあった。
そういう大変なことが話し合われたときに、会議に出席していたスリランカ、そのころは『セイロン』と言っていた国なんだけどね、ジャヤワルダナというセイロンの代表が、分割統治に反対の演説、それから賠償請求の権利を放棄、つまり捨て去る、そういう演説をしたんだそうだ。
この演説は会議に参加していた多くの国々の代表の心を動かして、それで日本は分割されずにすんだというし、賠償請求をしない国がほかにもたくさんでたという」
日清戦争の終戦は1895年
下関条約は同年4月
日露戦争の終戦は1905年
ポーツマス条約は同年9月
第二次世界大戦の終戦は1945年9月2日
サンフランシスコ講和条約は6年後の1951年9月
どうして6年後になったのか?
植民地解放と独立運動の活発化
アジア各地での戦闘
冷戦体制
朝鮮戦争アメリカの単独占領下での政治力、経済力のなさ
ソ連代表グロイムコ代表
かなり日本にとって不利な内容
◯ジャヤワルダナ代表の演説
「憎しみは憎しみによって消え去るものではなく、ただ愛によってのみ消え去るものである」と仏教の創始者ブッダの言葉を引用
アジア諸国民が、日本は自由でなければならないと、かたずをのんで見守っているのはなぜでしょうか?
アジア諸国の中で日本だけが独り強力にしてしかも自由で、アジアの隷従人民が日本に対して抱いてきた高い尊敬のためであります
この条約の目的は、日本を自由にし、日本の復興に何らの制限をも加えず、日本が外部からの侵略と内部からの破壊行為に対して自らの軍事的防衛力を組織するようにすること、そうできるまでは日本防衛のためには友好国家の援助を要請すること、そして日本経済に害を及ぼすようなどんな賠償も日本から取り立てないことを保証するものであります
この条約案は、敗北した敵に対して、公正であると同時に寛大です
我々は日本に対して友情の手を差し伸べましょう
◯会議場の反響
鳴り止まない万雷の拍手と歓声のなか、演壇を降りた
オペラハウスの窓という窓が振動した
ロビーでは大勢の群衆に取り囲まれて握手攻めとサイン攻めにあい、自分の席に戻るのに、護衛官が出るほどだった
◯日本の全権、吉田茂首相
気高い演説に涙を溢れさせていた
その日のうちにジャヤワルダナ氏の宿舎を訪問して、心からのお礼を述べた
「セイロンの代表の如きは、実に感銘深い演説をしてくれた。
『日本の知己ここにあり』との思いを禁じ得なかったものである」
◯セイロンからスリランカへ
1972年新しく憲法が制定され、国名が「スリランカ共和国」に改まった
1978年憲法が再び改められて、国名が「スリランカ民主社会主義共和国」、政府が議院内閣制から大統領制に変わり、首相だったジャヤワルダナ氏は、同日、初代大統領になった
◯ジャヤワルダナ氏と日本
サンフランシスコ講和条約会議の前に同氏は日本を訪れた際の言葉
「禅宗の世界的権威として知られている鈴木大拙教授にお会いした
私は日本で信仰されている大乗仏教と、スリランカで進行されている小乗仏教との違いについて尋ねました
すると鈴木教授は『なぜ違いを重視されるのか、逆に共通点について考えられてはいかがか、三宝は両国で盛んであるし、一切皆苦や無我につながる八正道などは、両国で信奉されているではないですか』
私はそのとき、仏教国日本とスリランカを結びつける大変に強い絆があると感じました
私がサンフランシスコで貴国のために演説をしたとき、私は、心の底から訴え、私たちが信じる仏陀の教えの言葉を引用しました」
◯日本の復興
戦争中は世界各国と国交断絶状態にあった日本が、戦後最初に国交を結んだのはスリランカで、1952年のサンフランシスコ講和会議の翌年
1954年に「コロンボ計画」に加盟して、セイロンをはじめとする加盟国との共同経済活動を積極的に行うことにした
この加盟を記念して、日本では10月6日を「国際協力の日」と定めた
◯鎌倉の大仏さまとのご縁
高徳院大仏殿の顕彰碑
ジャヤワルダナ大統領を称える顕彰碑が建っていることは知られていない
大仏さまに向かって左側の回廊を外側に回るとある
鎌倉との縁はサンフランシスコ講和会議の前に日本に立ち寄った際に鎌倉大仏に参拝している
この石碑の除幕式にジャヤワルダナ大統領夫妻が、日本の多くの仏教関係者やアジア文化交流協会などの団体によって招待されて来日した
いろんな観光会社が出している鎌倉のガイドブックを調べてみたが、顕彰碑についての記事は、ただの一冊も、1ページも無かった
◯エピローグ
やっている戦争を批判するためにだろうか、「大義なき戦争はするな」という言葉を聞いたことがあるが、では大義があれば戦争をしていいのか、そうではない。
「大義があるなら話し合え」
戦争を始めてから話し合うのではなく、終わってから話し合うのでもなく、戦争になる前に話し合う。
日本は植民地諸国に「国益になる」からといって、結局は殺戮と破壊を散々やった。
それは大義でもなんでもない。
結局は侵略であり、加害だった。
おじいちゃんの孫の話
「歴史の勉強というのは『歴史を学ぶ』のではなく、『歴史に学ぶ』ことだ
現在がこうであるのはなぜかを過去から探り、合わせて未来を予見できるようでなければ、歴史に学ぶことにはならない」
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