寺岡呼人×八代亜紀「ブルースはね、私ずっと言い続けてきてるんですけど、浪曲なの。物悲しいリズムと悲しい言葉がね。」 https://natalie.mu/music/pp/yashiroaki02
東三光を名乗るなど、名跡に拘った松平国十郎。
金原は自分の名乗っていた雲入道を酒井に名乗らせ、自分は眠獅庵白羊というヘンな名を付けたが、いずれにしても余り有名でない芸名をp.179『浪曲旅芸人』
田舎廻りの浪曲師森田(宝中軒鈴右衛門の弟子)『浪曲旅芸人』p.320
ニセ浪曲師 浪曲という分野自体の衰えと共に、ニセ浪曲師の存在も風化しつつあるが、渾然一体として浪花節語りとしての正統性がさほど重要でなかった時代は天狗連から、有名な名前を拝借して「ニセ浪曲師」として巡業して回ることが度々見られた。例として村田英雄(少年酒井雲)。
ニセ浪曲師と思しき巡業を捉えた稀少な公的記録。NDL所蔵。福島県旧塩川町の町史の記載。「広沢虎造の一門で広沢辰一の公演回数が多く、他に関東節の重鎮で東山小円」(記憶に基づく)