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下戸と飲み会
こんにちは。
CMプランナー、ときどき、副業ライターの松田珠実です。
飲んべえのあなたに、聞きたいことがあります。
飲み会に「下戸」の人がいるのって、どう感じますか?
わたしは2年前まで、お酒の味がわからなくなるほど、たくさん飲んでいました。
でも今は、抗がん剤の副作用で「下戸初心者」になりました。
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抗がん剤で、わたしが「一番残念だった副作用」は、肝臓の値が、全体的に跳ね上がったことだ。
「肝臓の値」の中には、AST(GOT)、ALT(GPT)、γ-GTPなどの種類があり、そのすべてが正常とされる範囲から大きく外れてしまった。
主治医「肝臓が悪くなると、正常に戻すのには時間がかかるよ〜」
わたし「それはイヤですね。お酒は飲まない方がええっちゅうことですか?」
主治医「そうね〜。でも、松田さんにできるかな?ハハハ」
主治医が、わたしの闘争心に火をつけてきたので、スパッとお酒をやめることにした。まんまと主治医の術中にハマって、ちょっと悔しい。
20代半ばで、広告業で働き始めてから、友だちと飲みに行くことがぐんと減った。
仕事終わりが24時を回ることも多かった。たまに20時ぐらいに終わっても、緊急対応で会社に戻るなどもザラ。
土日は一応休みだったけど、月曜日の企画会議のために、準備が必要だ。若かったから、準備に時間がかかったし、のんびりするわけにはいかない。
そんな状態で、大切な友だちとの約束は難しい。
最初は必死で、待ち合わせ時間にたどり着こうとしていたが、毎回遅れたりドタキャンしたりしてしまう。
「行きたい!けど、仕事が……」
友だちに「仕事とわたし、どっちが大事なん?」と聞かれたことはないが、申し訳なさすぎて、やがて、友だちとの飲み会に参加すること自体をやめてしまった。
コロナ禍でもなかったのに、学生時代など、広告業と関係ない友だちとは、年賀状やLINEのやり取りぐらいとなり、リアルに会うことはなくなっていった。
飲みに行くのは、1人か、会社の同僚やスタッフと。
例えば、22時に仕事が終わって、それから飲む。
みんなで行く場合は「1杯だけやで!」と言っても、もちろん1杯では終わらない。夕食も兼ねているから、シメのごはんものや麺類にたどり着く頃には、終電の時間を越える。
自ずと、タクシー帰りになり「2軒目行く?」という流れに。夜中から始まった宴は、街がうっすら明るくなるまで続くことが多かった。
乳がんを告知される3日前も、わたしは朝の4時まで、日本酒を飲んでいた。とある、雨の金曜日のことだった。
なぜ覚えているかというと、取引先の方と飲んでいたにも関わらず、49歳にして記憶をなくし、10年以上着ていたお気に入りの皮ジャンも、オカンの形見の傘もなくし、同僚に家まで送り届けてもらったまま、リビングの床で、昼まで寝ていたからである。
しかも、なぜか上半身の白いニットが泥だらけ。
愛猫も、お腹をすかし、イラついていたのだろう。
ふだんなら絶対やらないのに、頬を引っ掻かれ、あまりの痛さで、目が覚めた。
そこまで、ひどい酔い方をすることは、30代前半以来だった。
今にして思えば「たいがいにせえよ!」という、カラダからの警告だったのだろう。
あの忌まわしき金曜の夜を思うと、わたしは正直、またお酒を飲むのが怖い。
肝臓の値が高いままなのはゴメンだが、このままお酒を一生飲めなくても、平気なのではと思う。
がん治療が終わり、肝臓の値を下げる薬を飲みながら、わたしは「下戸」として飲み会に参加している。
以前の酒量を知っている同僚からは「下戸だと、飲み会に行っても楽しくないんじゃない?」と心配されるが、そんなことは全くない。
むしろ、めっちゃめちゃめちゃ楽しいです!!!
「自分は、ノンアルでも場に酔えるタイプなんやな」と分かったからだ。
どんなに遅くなっても、アルコールが入っていないだけで、カラダがダンゼン軽い。
疲れが軽いから、仕事のない土日に、丸一日死んだように寝ていることが、なくなった。
休みを有効活用できるようになり、学生時代の友だちとも会えるようになり、習いごとにも休まずに行けるようになった。
「下戸」いいことずくめである。
わたしが、飲みまくっていた時代。
飲み会で「下戸」がいると、なんでも覚えているんやないか、下手なことしゃべれんのやないか、とちょっと構えていたけれど。
自分が「下戸」になって、そんなに全てを、覚えているわけではないんやな、と知った。
おいしいものを食べて飲んで、おしゃべりする。
いつも会ってる誰かとでも、久しぶりに会う誰かとでも、はじめましての誰かとでも。大人数でも、少人数でも。飲めても、飲めなくても。
そこにいる誰もや、わたしが、最後に「また行こう!」と本気で思えたら。それは「いい飲み会」なんだと思う。
そんな当たり前を感じながら「とりあえずウーロン茶!」で乾杯する、今週末の飲み会を、月曜日から楽しみにしているのである。