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ワーカホリックのわたしが体験した、乳がん「見た目問題」の記録
こんにちは。
CMプランナー、ときどき、副業ライターの松田珠実です。
明日から、わたしも仕事です。
公私共に、ワーカホリックと呼ばれているわたしでも、もう少し休みがあったらええのに〜、と思ってしまう連休最後の夜。
でも、働ける場所があって、お金がもらえる、というのは幸せなことだと思います。去年の今頃は、乳がん治療の副作用で、働くことがすごくしんどかったから。
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まずは、今、がん治療の副作用で「脱毛」している、あなたに言いたい。
髪は、生える。不安になるぐらい、ゆっくりだったとしても。髪質が変わっても。量が変わっても。いつかは、生える。
人のカラダの再生力って、ナメたもんやないなと思う。
一昨年のこと。わたしは、自分の乳がんが発覚した次の日に、ソッコーで上司や仕事仲間に報告した。
もちろん「休んでいい」と言われたけど、わたしはあえて「なるべくいつものように仕事すること」を選んだ。家族のいないわたしにとって、会社は毎日「生存確認」してくれる、ありがたい存在だからだ。
結果から言うと、わたしが乳がん中「ちゃんと丸一日休んだ」のは、手術で入院した4日間。自分でも、休みチャンスを逃してアホなのかと思うし、仕事仲間には「働きすぎだ」と呆れられた。
おそらく多くのがん患者さんはそうだと思うが、わたしも乳がんを告知されたその日から、いろんな「がん患者さんのブログや本」を読みあさった。
主治医からも、抗がん剤をすると脱毛すると聞いていたし、いくつかのブログには「脱毛した」患者さんの写真も掲載されていた。
わたしの乳がんは、ステージⅡb。
最初の3ヶ月で、抗がん剤と分子標的薬で、がんを小さくする。そのあと、手術。手術後に、放射線治療と9ヶ月間分子標的薬を打つ、という治療方針だった。
手術と放射線治療は無事に終えた。が、抗がん剤はたった3回、分子標的薬は1回しか打つことができなかった。
わたしはアレルギー体質で、点滴を打つたびにアナフィラキシーショックで意識が混濁し、毎回倒れてしまう。主治医から、これ以上の点滴治療は無理、と判断されたからだ。
主治医「僕としては、抗がん剤も分子標的薬も、本当は最後までやりたい。でも、考えられる薬は全部試した。でも、こんだけ毎回倒れたら、松田さんもしんどいでしょ。今度再発したら、松田さんの治療は正直難しいかも」
わたし的に、主治医に納得できるまで何度も質問し、あらゆる方法を試した結果だ。がんで死ぬならまだしも、「がんをやっつける薬」でのアナフィラキシーショックで死ぬのだけは、イヤだった。
再発したら、治療は難しいかも。その言葉は、今でも心に突き刺さったままだ。でも、わたしには、自分のからだに「再発せんといてや、頼むで〜」と言い聞かせることしかできない。だったら、考えてもしょうがない。
そんな「がん治療離脱者」にも、副作用はやってきた。
胃の絶え間ないむかつき。全身のむくみ。爪は割れる。特に辛かったのは、尻の穴の粘膜が弱くなったこと。多分、痔の患者さんと同じ感じだと思うが、座っていても、寝ていても尻が痛い。
そして、髪の脱毛。病院で何度も予告されていたので、わたしは早々にウィッグを用意していた。
主治医によると、たった1回でも抗がん剤を体に入れると、副作用からは逃れられないと言う。点滴の回数の問題ではないらしい。
初めての抗がん剤をして1週間ほどで、髪が抜け始めた。毎日変化する頭部を見て「こりゃ、予想以上やな〜」と思った。
寝てても抜ける。髪を洗って抜ける。ドライヤーで乾かすと、鬼太郎のように髪が飛びまくり、洗面所中が毛だらけになった。歩いても抜け、風が吹いても抜け……。
早送りのようなスピードで薄くなる頭部を見るのは、けっこう萎える。さらに、1日3回掃除しても、部屋中に髪が落ちているのを見ると悲しくなる。
せっかちなわたしは、髪が抜け始めて10日ほどで、病院に併設されている美容室で、昔の高校球児のような「坊主頭」にしてもらった。
せっかくならと、美肌アプリで撮影もしてもらい、テンションの上がったわたしは、会社の同僚に写真を送った。
わたしは普段、テレビCMを企画して、実制作まで見届ける、CMプランナーという仕事をしている。
社内での企画打ち合わせ、取引先でのプレゼン、演出家などスタッフとの打ち合わせもするし、撮影や編集にも立ち会う。打ち合わせはリモートでも何とかなるが、撮影や編集は「その場」に行くことが必要だ。
坊主頭で仕事に行くのは「ちょっとおもろい」のでは?と、本気でウィッグなしで参加しようとしたこともあるが、同僚に全力で止められた。
「びっくりするし、何と言っていいのかわかんないから」
そのとき、わたしは深く反省した。思いやりがなくてごめん、傲慢よな、と。
自分が、なるべくいつもと同じように働くと決めたのだから、いっときの思いつきの「坊主頭」で、みんなの心を揺らさないようにしよう。もうみんなは、わたしの病気を知っていて、全力でカバーしてくれているのだから。
去年の今頃、3cmぐらいの超ベリーショートで、わたしはウィッグを卒業した。ド直毛だった髪は、漫画に出てくる大阪のオカンのような「パンチパーマ」状態で生えてきた。
それでも、生えてきた髪は愛おしかった。くるくるの髪を、毎日、猫のように撫でさすった。もう風が吹いても、髪は抜けない。
あれから1年。髪は随分直毛に戻り、毎月美容院に行って、手入れしてもらえるまでになっている。
がん治療は、思った以上にハードだ。
自分のことで精一杯。明日のこともわからないし、何もかもしんどく、おっくうになる。
治療中、自分は何を大切にしたいのかを考えた。
わたしにとっては、仕事だった。好きなことで、生きる糧で、生存確認してもらえる存在。仲間がいるありがたさも感じた。
だから「見た目問題」には感謝している。闘病、治療中のあなたにとって、そんな日が来ることを、心から祈っている。