きれいな姿をしたゴミありませんか
皆さんのうちに「文鎮」はありますか。
今風に言えば「ペーパーウェイト」ですね。
学校の卒業記念とか、記念行事とか
おそらく使っていないで「記念」なので
処分もできずに眠っているのではないでしょうか。
ある学校に勤めていた時、卒業生を
送り出すのに記念品の選定で今まで慣習的に
「文鎮」だったのですが、僕はそれを「記念ボトル」に
変えました。実用品にしたのです。
それは上記のような理由からです。
さてそれでもやはり自分の文鎮は
たくさんあって、どうしようかと
思い悩んでいます。
写真に撮って処分すれば良いのだけれど
金属なのでリサイクル品回収に出そうかと。
ごみは汚いからごみというのではありません。
いらない物だからごみというのです。
困ったことに「きれいな姿をしたごみ」が生活の中にはたくさんあります。
きれいな姿をしているだけにごみだと気づきにくく、いらないと気づいても
「もったいない」気持ちから捨てられずにいます。
1年間一度も着なかったきれいな服がその代表で、
たしかになかなか捨てにくいことでしょう。
「いつか読むかもしれない本たち」のおかげで、
自分の部屋が本の倉庫状態になっていました。
今は買う本はほとんどKindleにしたので、だいぶ減りました。
身の回りを高級にするのではなく、
身の回りの人間関係を高級にすること(お気に入りの人)が大切なのです。
人間が人間でいられるのは人と人との間にいるときであり、
機械や物に挟まれている状態ではないのです。
現在の「テレワーク」「リモート」は
コロナ禍であり、仕方ないのですが、それはリアルがいいに決まっています。
あなたの周りにはいませんか、物たちに挟まれている人。
常に携帯がないと行動できない、物をたくさん持つことで
豊かさを感じてしまう人。
正直に言うと、私も以前はそうでした。
「いかに物を少なく持ちつつ、いかによい物を持つか」です。
私の今の生活は、物はとても少ないのですが、
所有する物に関してはいつも自分に合った一番の物を持つようにしています。
「捨てるか捨てないか」は「使うか使わないか」で決めます。
普段から使っているものは、必要な物です。
捨てる必要はありません。
「もったいない」という気持ちも出てくるでしょうが、それは
あなたに「貧乏性」がある証拠です。
「もったいない」と言えば、響きよく聞こえるかもしれませんが、
必要ないものを持っているのは「貧乏性」が働いているからです。
貧乏な人は、必要か必要でないかは関係なく、
とにかくたくさんの物を持ちたがります。
自分の貧乏だというコンプレックスを、
たくさんの物を持つことで隠そうとしているのです。
そしてさらに悪いことに心まで貧乏になってしまうのです。
ものをたくさん持つことは貧乏になることだと
言ったら言い過ぎでしょうか。
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