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経験値についての論考

「経験値ということについて」 2023年7月23日柴田克美論考

「経験値」という値(あたい)はない。
しかし「経験値」という概念は存在する。

経験値とは一体どういう概念だろうか。

人は「経験」という時、おおよそ次の三つの「体験」を意味する。

①実体験:実際に自分自身で体験すること。アナログ体験。

②間接体験:本や映像や自分の頭の中で体験する「想像的な体験」

③擬似体験:バーチャル、バーチャルリアリティVR,ARなどの映像体験。デジタル体験。

この三つの体験が「経験」となって積み重なっていき、「経験値」を構成する。

ここで「構成」の意味は二つある。

それは失敗体験と成功体験である。

全ての体験においては当然失敗することもあるだろうし、成功することもあるだろう。
通常、最初は失敗するが「こうすれば失敗しない」というパターンを学習し、
失敗の回数は減っていく。
成功回数が増えるに従って、それは「成功体験」として
やはりパターン化して自分のものとなっていく。
これが「経験値」が上がっていくということである。

では三つの体験における脳へのエモーショナルな記憶の蓄積はいかほどであろうか。
脳の複雑なメカニズムや個人差によるが一般的に、次のような効果があるとされている。

①実体験 70~80%
②間接体験 50%
③擬似体験 20~30%

(ScienceDirectにてEmotional effects of real experiences vs. simulated experiencesで検索すると3637の論文があります。)

では、なぜこのような違いが生じるのかというと
それは脳の構造的な働きにまで話を持っていかなければならない。

実体験は見る、聞く、触る、嗅ぐ、味わう、体全体で感じるなどのいわゆる五感全てで脳に直接的な刺激を与えることができる。
本などの間接体験は見ることも聞くこともできないが、頭の中で自分の脳が想像力を働かせて自分の力で脳が構成して映像や音を作り出すという特徴を持っている。

一方、擬似体験は見ることや聞くことはできても自分の脳は働かず、見せられる映像を処理することが求められる。

ここまで書いて感じられた方も多いと思うのだが、
脳が我々の行動、経験値を規定するとすれば、脳が「主体的か(能動的)」「受動的か」で記憶に決定的な差が生じることが理解できるであろう。

イヤイヤやる宿題は定着しないが進んでやる勉強は定着する。

実体験と間接体験は脳が「能動的」であり、擬似体験は脳が「受動的」なのである。

擬似体験の良さは「危険回避」(リスク回避)である。
飛行機や自動車、あるいは宇宙船のシミュレーションをしたり、戦闘訓練をしたりして
遭遇するであろうリスクと感覚と事前に覚えておき対処する術を身につけることができる。

あるいは対象物があまりにも遠い、海外であったり海の中であったりした時に
VRバーチャルリアリティによって、工場見学や観光地巡りをしたり深海探検をしたりすることができる。

しかし脳の発達段階において、いまだVRの影響は研究途中である。

これまでのことから考察すると、
まずは実体験を積んで、失敗、成功という「経験値」を高めることが重要である。
少なくとも脳における「10歳の壁」(脳の完成)である小学校4年生まではバーチャルは必要ない。

今や学校でも家庭でもそして社会全体でも
「失敗をしない」ように大人が回り道をして子どもたちを「安全」という柵で、いや、もっというと鎖で縛っている。

登下校は「見守り隊」がいるので道草とか寄り道という言葉は死語になった。
アメリカでは子どもを一人で遊ばせれば「児童虐待」として逮捕される世の中だ。
どこの川でも「川で遊ぶな」という看板が立ち、公園では「木に登るな」「ボール蹴りはするな」という看板まで立っている。
至る所に「監視カメラ」がある。

もちろん、昨今の川での事故や交通事故、痴漢誘拐などの犯罪を見れば「昔とは時代が違う」というのは承知の上だが、「自由」がなくなったのは確かだ。

「転ばぬまえの杖」とはいうが、たまには転ばせてくれ。
転ぶことで危険を知り、「経験値」が高まるのだ。

「幼児が転んだ時、起きあげてはならない」のが親としての鉄則だった。
小さな失敗が大きな失敗を防ぐのだ。

小さな成功が自信を付け、大きな成功を導くのだ。

除菌消毒でなく、雑菌免疫の力を付けないと今後ますます人間は弱くなっていく。
実体験を奪い、「経験値」を低めているのはまさに社会全体なのだ。
失敗させ、小さな成功を積み重ねるという「経験値」を高めていかねばならない。


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