1.範囲
藤岡訳『全体性と無限』p.376 - p.380
第Ⅲ部 顔と外部性
B 顔と倫理
6 〈他人〉と〈他人たち〉
2.解題
他者の顔は、私の自由を問いただし、応答せよという義務(責任)を課す道徳的審級として、すでに何度も語られてきている。しかし、ここで重要なのは、顔が私という一個人のみならず、「私たちのあいだ」=「公共的秩序」に対しても関わってくるという点だ。つまり、レヴィナスは、私と他人以外の、第三者としての他人たちが登場する公共空間における顔の地位について議論を進めようとしている。
「公共空間」とはすなわち「社会」である。この社会は一見すると、ひとりひとりを、種としての人類の一部=全体性のなかの部分として包括してしまうのだが、顔が公現することにより、顔は主体に呼びかける。呼びかけられた主体にたいして応答するための「責任」が呼び起こされる。言語を発話する責任が生まれるのだ。顔が応答を迫るという意味で、それは「命令」である。
言語は人類という種への包摂を停止させ、ひとりひとりの「人間性」を開いていく。人は他の誰にも包摂されない、その人自体で分離されている。分離されたひとりひとりが集まった共同体が「人間共同体」であり、それは「類縁関係」によって結ばれている。
類縁関係によって成り立つ人間共同体は「父性」の「唯一性」によって支えられている。「父性」は「唯一性の創設」人間ひとりひとりの唯一性を保証する。それはひとりひとりを分離したまま結びつける原理である。このような類縁関係は「兄弟関係」とも呼ばれ、「複数の個体性」と「父の共通性」によって結ばれる共同体である。