見出し画像

トップ論のようなもの

私がユーフォになるまでの経歴の影響が多分めちゃくちゃ大きいですが、「自分がユーフォ持って右端に座っている時に考えていること」についてなんとなーくまとめてみようと思います。

<attention>
すこーーーしだけ、ほんの少しだけ数学用語が出てきます。苦手な人は薄目で見るか回れ右してください……

ユーフォ以前の経歴

私の楽器遍歴について完璧に覚えようとする変人なんかいないと思いますが、、

3歳?〜小5:ピアノ
4歳?〜高1:バイオリン
中1:ホルン
中2〜高3:アルトサックス
高2〜:ベークラ

我ながら、、なんやこれ。

まあこんな感じで、色々な楽器を経験してきたピノさん。
まず4歳ぐらいから習ってたバイオリンでは、何年かに1度発表会がありました。実はそこで最初の試練と出会っていました。
ソロでの演奏に加え、同じ先生に習っている生徒全員での演奏。
当時の写真を見返すと、その中での「トップ」を任されていたみたいです(全く記憶にないですが…)。
周りに中高生もいる中、小6か中1でのトップ。我ながらだいぶ恐ろしい…。
まあそんなこんなで無意識にトップ奏者としての演奏を身につけることとなっていたピノさん。怖いのはまだまだここから。

中高での部活

中一の時、学校楽器が余っていなかったサックスを諦め、人が少なかったホルンを演奏することになりました。中高一貫校だったので、部活も中高一緒に50人ぐらいで活動していました。
その中でもホルンは割と人がいて、(当時)中一2人,中二2人,中三1人,高一1人の6人でゆるゆると生きてました…たしか。
高一の先輩がまぁあああ上手くて、音も人も大好きだったんですけど。まあそんな事は置いといて。
楽器初心者ばっかりなのに入部して1ヶ月も経たないうちに合奏に乗る機会がやってくるという鬼畜仕様だった弊部。つまりですね、すぐに自分のポジションを理解する日がやってきました。
多分対楽器のポテンシャルが飛び抜けているピノさん(さすがに自覚済み)、そこまで培ってきた音感や音楽観のおかげか、ホルンの2番手を任されます。えー、この時点で中一、しかも楽器を始めたばかりです。
さすがにこの時のトップは高一の先輩。色々あって1年間しか一緒にいれませんでしたが、動き(ザッツ)や音で「トップとして」の振る舞いを学ばせていただきました。

さて、中二以降のお話へ。
よくある話。ピノさんが中一の時の部活はまあ荒れてました…。荒れてたという言い方が正しいのかは分かりませんが、部活に来ない先輩がいっぱいいて…。そこで顧問が打ち出した案(これが割と最悪)が「出席率があまりにも悪いので、次の部活の日に部室に来なければ退部したとみなす」というものでした。(塾や習い事で次の部活に来れない人はその時点で先生に言いに行って、退部は免れてました)
まあ多分、そこまでも顧問と色々あったんでしょう、色んな先輩方が辞められました。ホルンの先輩も。

あ、あと、この後関わってくるので言っておくと、当時のアルトの人達は高二と中二でした。当時の部活は高二で引退だったので、高二の先輩は引退。中二の先輩は2人いらっしゃったのですが、彼らはこの事件で退部。つまりずっとやりたかったアルトの枠が空いたんですね。というか最早サックスパート全体で0人という恐怖な事件が発生してました。
しかも親からは「ホルンなら中三、アルトなら中二で買ってあげる」という悪魔の囁きが。
「そりゃ自分の楽器欲しいし、人おらんなら移れるやん。ホルンまだ4人おるし。」と、当時のちょ〜楽観的で短絡的なピノさんはアルトサックスへの移動を決断します。即決でした。
これにより、アルトサックス自持ち初心者(中二)、サックスパート1人という状況が爆誕したわけです。

そんなことは置いといて。

アルトサックスになってから、(既にこの時次期部長枠ほぼ確定してたんですが)コンミスを任されます。えー、サックス初心者、中二です。
でもまあそこまでにバイオリンでトップに座っていたことが功を奏します。
今と違って、この時の考えはあくまで「コンミス」としての考えでした。
「みんなが自分に着いてきて」とか「みんなが自分に合わせて」とかそんな感じです。多分。

で、高二ぐらいにコンクールに出ることになったのですが、そこでの持ち替えでクラリネットを担当することに…。(まあ理由はクラの子が辞めちゃったから、なんですよね。はい。)
こうして正式に(?)コンミスっぽいコンミス(クラリネット)が誕生します。
この時の考えも、やっぱりまだまだ「コンサートマスター(ミストレス)」としての考えしかありませんでした。

高二冬、アンコンに出ることになり、この時に初めて「トップ奏者」の片鱗が見え始めます。
たしか私は2nd…?とかでした。まあこれがザッツ出さないといけない場面しかなくて。この経験があったことで、バイオリンの時になんとなーく体感していたものを言葉で表すことができるようになります。(たぶん年齢的な問題もあったのかなぁなんて。)

①ザッツを出すということは、方向性を示すということ。自分が示した方向にみんなで着いてきてもらう。

これが考えその1。まだこれはわりとコンミスの考えに近いのかなと思います。
高校生で行き着いた考えはここまで…たぶん。

大学生になってから。
というかもはや3回生になってから。

まず大学生になって、一番大きく変わったこと。

「ユーフォニアムへの転向」

多分この後の考え方の変化にも、これは多少なりとも影響してるんじゃないかな〜とか思います。
今まではだいたいバンドを引っ張っていくような楽器(?)を演奏していましたが、ここに来て久々の?というか初めての?中低音。
今までとの違いが顕著に現れたのは、まず「楽譜」でした。
最近のピノさんが奏者として一番大切にしている事は、楽譜を見て、「その曲での自分の立場を考える」ことです。

ここで、まず第一の考え方の変化。
ユーフォニアムを演るようになってから、「連符」「裏メロ」「伴奏」を行き来するようになります。つまり、色んな考えを一気に学ぶことになります。
そんなこんなで、色んな見方・考え方ができるようになってきた頃のお話。

2回生のときのサマコン当日、いつも右側に座られていた先輩が左側に座られた時に、自分の考えがハッキリと分かるようになりました。
サマコンまでは学年順で並んでたんですよね。でも、サマコン当日、まあ色々あって、チューバの先輩が「そこ2人入れ替わったら?」と言ったのがきっかけでした。
ほら、ユーフォってベル右側にあるじゃないですか。右側(トップ側)に座る方が自分以外の音聞こえるんですよね。
お陰様で、サマコン当日は先輩の音をよく聴くことが出来ました。

これだけ聴くと、「お前トップちゃうやん」って思いますよね。
でもね、トップにとって一番大切なことって、「周りの音を聴くこと」だと思うんですよね。
まずは自分以外のパートの音を把握してないと、どう導けばいいのか分からないじゃないですか。
で、他パートの音聴かないと、全体でどんな方向目指してるのか分からないですよね。

それが、私が考えるトップ論の1つ、②ベクトル(音)の大きさ(中身)を補充してもらって、トップ奏者が向きや色(音色)を示す。に繋がってるんだと思います。
先輩が左側に来てくださったおかげで、どんな音量で吹いているのかが分かった。それをベースにして、「伸びやか」なり、別の音色なりに変えていくのが私の仕事。その考えに至りました。

ここからは3回生になってからの話。
嬉しいことに、「ユーフォニアム」というわりかしマイナーと自負している楽器に後輩が2人も入ってきてくれました。

その時思ったこと : 音が合わない

これに関しては、音が合わないというより、私の観察力不足でした。
rn先輩も辞めちゃった1個下の後輩も「私とは全然音色が違ったのに、3人いても別に何も思わなかった」。これにもっと早い段階で気づくべきでした。
音色が違っても、方向性が合っていれば違和感は生まれない。
そのことに気づいた時、「どんな音かを観察して分析することでどうすれば目標とする音に導くことが出来るのか、それを考えるのがトップ奏者の仕事だ」という考えが身につきます。

②と少し被ってる気もしますが、③色んな向きのベクトル(音)を観察・分析して、1本に束ねる。順番は前後しますが、この後に②があると思っています。

  1. ザッツを出すということで方向性を示し、それに着いてきてもらう。

  2. 色んな向きのベクトル(音)を観察・分析して、1本に束ねる

  3. ベクトル(音)の大きさ(中身)を補充してもらって、トップ奏者が向きや色(音色)を示す

これが、私なりの「トップ論」。

おわり。

自分の思考のまとめみたいになりました(正解)が、最後まで読んでくださった方ってどのくらいいらっしゃるのでしょう…

これから外部の演奏会に出演する機会だったり、身の回りにいる音楽経験者と話したりすることでもっともっと自分の中の「音楽の世界」が広がっていくのかなと思います。

色んな曲、人との出会いを通して、これから何が学べるのか、ワクワクしながらこの後の人生を過ごしたいと思います。乞うご期待(?)

それでは、おやすみなさい☽・:*

Pino=P(Pisco)=Pirco

いいなと思ったら応援しよう!