小島信夫を読んで考える⑧(PINFU240604)
ヤッホー。お手紙ありがとうございます。
先日は飲み会ありがとうございました。国分寺で昼すぎから飲み始めて、三時間か四時間くらい、そのあと帰って、二人とも翌日は仕事でしたけど、野本さんは、
休みの日は昼から早めに飲むと飲み終わるのも早いから次の日にお酒が残らないからいいよ
と言っていて、たしかもうすぐ30歳ですよね。「もうジジイじゃん笑」みたいな軽口を言ったかどうか、ぼくはあんまり翌日にお酒が残った感じはありませんが、毎日飲んでるからそれが通常になっちゃってるけど、ほんとは残ってるのかもしれません。でも残ってるかどうかなんて病院行って調べてもわからないわけだし、自己判断でいいし、体調わるくなったら病院行くなり、サボるとか、今日はお酒やめておこうって決めればいい。
ぼくは銭湯が好きでちょこちょこ行きます。頻繁には来ないのでせっかく来たからと、貧乏根性で長湯するのですが、みんなは平均どれぐらいの時間なのかな? と考えるんですが、考えたそばから、そんな「平均」を知ったところでどうでもいいというか、みんながみんな入りたいだけ、適度に、自分にとってちょうどいいだけ入ればよくて、その平均がたとえば三十分だったとしても、みんなが一律に三十分入ればいいかといえばそうじゃない。それだとのぼせちゃう人もいるし、ぼくは三十分では足らないです。
だから平均とか、一日にビールは350mlの缶ビール一本が成人男性には適量、だとか、それはあくまでも統計であって、ぼくにとっての「ちょうどいい」ではない。湯には指がふやけてぷよぷよになるまで入りたいし、ビールはロング缶を二本、飲めるときは飲みたい。
職場の先輩には「二十六歳すぎると太ってくるよ」と言われましたが、ぼくは今のところ、体質なんだと思うけど、あんまり太っていません。野本さんはバスケもやってるから全然太ってないし、あとやっぱり野本さん背がデカい笑笑 国分寺駅の改札で待ち合わせたとき「やっぱ、デカっ!」って思いました笑
「野本さんとこのお兄ちゃんはスラ~っとしとるね~」
と、腰の曲がった脳内親戚おばあちゃんが言ってます。ルーツが東北なのか関西なのか中部なのかわからないですけど、今、昼ごはんを食べたばっかりで、ぼや~んとまどろみながらそんなことを考えていたら頭の中に小学生くらいの野本さんが現れました。黄色いTシャツを着てます。白いハイソックスを履いているんですけど、さすがにハイソックスは履いてないですよね笑 イメージが昭和五十年代な感じがします。
どーでもいいけど、ぼくが小学生のときは、高学年くらいで「くるぶしソックス」をイケてる同級生たちが履きはじめて、俺も履きたいけど親に買ってって言えなくて、普通の足首まで隠れるやつを履いていました。
学生時代のファッションって今考えるとちょーダサいんだけど流行っててみんなそれしてるとかありませんでしたか?
俺の通ってた中学ではワイシャツの下に学校の体育着を着るのが流行っていて、ふつうの丸首の、しかも首元のフチというか、襟のところがちょーダサい緑色で、それがワイシャツの襟元が見えるのがかっこいい、ってことに当時はなっていて、流行りって、どうしてあんなものをかっこいいと思っていたのか今となってはまったくわからなくてほんとおもしろいけど、あの格好をみんな好んでやっていました。
野本さんのお誕生日まであと二ヶ月とかそんなようなことを聞いた気がするんですが、正確なことを忘れてしまいました。俺はまだあと三年あるから、「三十とかもうジジイやん!」ってジジイいじりをしようとした気がして、でも三十なんてまだまだこれからなんでも出来んじゃん、と思いました。
飲み会の日はずっと小説の話をしていてほんと楽しかった。行きながら、電車の中で会う前に、今日はどんな話をしようか、手紙に妻さんと義理のお母さんと一緒にピクニックに行った話をしていて、ぼくは結婚したことがないから結婚生活ってどんな感じなんですか?とか、そういう話をしようかな、音楽のことも聞きたい、と考えていたら小説の話しかしてなくて、ほんと楽しかった。小説の話ばかりしても盛り上がらないから他の話題を、と思って電車の中でいろいろ考えていたんだけど、いざ会ったら小説の話しかしてなくて超楽しかった。あのときはありがとうございました。
この手紙を書いている今日は休みで、昨日は職場の飲み会で、夜遅くまで飲んで先輩にバーに連れて行ってもらったんですが、あんまりどうしてたらいいのかわからず、座持ちが悪いので、酒をずっと飲んでいたら翌日にキて、習慣で朝七時くらいにに一旦起きたんですけど、今日はゆっくり寝るために休みにしたんだし、昨日飲み会に参加して、今日も出勤している同僚ざまぁみろと思いながらそのまま寝て、そしたらそのときYouTubeである人がジブリの宮崎駿の話をしていたから、夢の中で宮崎駿が出てきて、以前は小島信夫も出てきました。小島信夫となにか話をしていて、わりといろんな話をしてくれて、これは明日日記かなにかに書いておこう、と夢の中の自分が思っていたんですけど、現実のわたしは二人がどんな話をしていたか覚えていなくて、それは文章を書くときにも似ているんですけど、「あぁ昨日は夢を見ていたな」とか「なにか書こうとしていたな」ってことは覚えているんだけど、内容は覚えていない。でもその簡単に思い出せないことを思い出そうとすることが大切なのかもと思ったり。
『菅野満子の手紙』は飲み会以降すこし力いれて読み始めて、今14章の途中、M・Mの手紙を読んでいるところです。詳しい日づけや時期は調べるつもりもないけれど、この小説が「すばる」に連載されていた頃は、おそらく「すばる」は月刊誌で、毎月毎月一章ごとに連載されているんでしょうけど、ぼくが『菅野満子の手紙』(これから先は省略して『手紙』と書きます)を図書館で借り始めたのが今年の二月末だからちょうど三ヶ月経っていて、当時連載中に毎月「すばる」を買って読んでいた人はまだ三章までしか読めていない。野本さんはもう最後まで読んでしまったけれど、それはとても速くて、わたしは遅いけど、当時の人に比べれば驚異的なペースで14章まで読んでしまっていて、読むスピードが速いとか遅いとかそういうことが言いたいのではなくて、当時なら三ヶ月間で三章までしか読めなかった期間でわたしは14章まで、約五倍のペースで読んでいるけれど、それでもこれまで何が書かれていたかどんな話だったかよく覚えていない。ということは、当時の人はもっと覚えていないわけだから気楽に行こうぜ、ってことが言いたかっただけなんですけど、今、もう野本さんは忘れちゃったかもしれないけどM・Mの手紙がつづいてて、M・Mは小島信夫に対して手紙を書いています。たしか冒頭、最初から少し経ったころは甲田謙二が語り手だった気がしたんですけど、M・Mの手紙が始まってからは甲田謙二の話は出てこず、この前読んだところには出てきてたけど、まるで甲田謙二を実在している人かのように扱っていて……
↑でもこの感想もおかしい。小説の中の人物なんだからその小説の中では実在している人物として扱うのが当然なんだけど、なんかそれにおかしさを感じる。M・Mや小島信夫にとって甲田謙二は同じ世界線の人物なのか、『女流』の主人公なのか、どっちも並列で語るからわからない。わかろうと思って読んでもいない。小島信夫の小説ではほかの小説で問題にならないことが問題になっている。覚えているとか覚えていないとかもその一つだと思う。
ほんとに忘れたのかな?俺?
忘れたって言ってるだけじゃないの?
保坂和志の真似して。
忘れたってなにを忘れたの?
手紙に「自動筆記」の話があって、たまにインターネットで自動筆記で書かれた文章を読むと、自分はこういう文章はあまり得意じゃないんだなと思います、と野本さんは書いていて、お笑い芸人のインタビューとか対談テレビでもよく言われているけれど、
「最近のテレビ業界はコンプライアンス、自主規制が厳しくて、昔のような番組はもう生まれないんじゃないかと思うのですがいかがでしょうか?」
という質問じたいが古いというか、ありきたりになっているけれど、わたしが昼間やっている仕事はルールが厳しくて、どの仕事もそうかもしれないけど、他所から見れば、あんな仕事息が詰まってやってられないよ、と思われるかもしれないけど、自分としては結構楽しいというか、バスケやほかのスポーツと同じようにルールがあって、その中でどうパフォーマンスするかが楽しい。今まではアウトだと思っていたことがこういう風に解釈すればいけるんじゃないかとか、ルールに限らず職場には上司、先輩がいますが、とんねるずの木梨憲武がサッカー選手のラモス瑠偉について、
「ラムちゃんはやっぱ目立つから相手選手がすごい削りにくるんだよね。でも後ろで、テレビ中継とか審判の見えないところでちゃんとをお返ししている」
このイメージで仕事をしていて、Aさんに相談すると頭ごなしにダメって言われそうだけど、Bさんだったらこっちの気持ちを汲んでくれそう、とか、自分が聞きたい答えを聞き出すために言い方を変えるとか、それはズル賢いのではなくて、処世術、会社をサバイブしていく方法、会社仕事には会社仕事の流儀・メソッドがあって、俺は会社員二年目で、まだまだ未知の世界だから、
「そんなこと相談しちゃダメだよ。相談されたらダメって言うしかないじゃん。そんなの聞かずに勝手にやるんだよ」
みたいな。
ぼくの父は会社は違うけど同じ業種で、最近仕事の話、処世術の話をよくします。前に手紙に書いたかどうか覚えていないけど、昔は父とは仲が良くなくて、フリーター生活を実家でしていた頃と、就職活動がうまくいかなかった二年ぐらいは本当に仲が悪くて、まず同じ空間に二人っきりでいることはなかったし、母はわたしと父のあいだに挟まれて辛い思いをしていたみたいだけど、最近はぼくも一人暮らし始めて二年経って、会社員生活も二年目に入って、自立して、父も安心して、やっといろんな話ができるようになりました。
石原慎太郎が唯一、いいことを言うなと思ったのが、
「父親は子どもに社会とのつながり方を教えてやらないといけない。喧嘩のやり方もその一つだけどね。
昔長男が学校で番長にいじめられるとか言うから喧嘩のやり方を教えたことがある。実際に喧嘩したかどうかわからないけどね。でもあとで弟が同じ学校に入ったとき、お兄ちゃんのおかげでいじめられないで済むって言っていたから、あいつなりに自分の力で克服したんだと思う」
と言っていて、まさに父にそういうものを教えてもらっている。社会とか組織がどういう構造で成り立っていて、そこをみんなでどうサバイブしているのか、そういうのってこの人まったく考えてないんだろうなっていうのは一発でわかる。でもその人なりにサバイブしていて、それを観察したりしている。ルールが厳しい分そういうものがどろっとに染み出ている仕事のような気がして楽しい。
ここまで書き終わって、野本さんの手紙を送る前に読み返して思ったことが二つあるので書いておきます。
「本当のことを言うと、というか本当のことって何なんですかね、わたしがいま思っていることなんてこの瞬間のことでしかないし、明日どころか寝る前にはまた変わっているかもしれないのに。そのくらい人間の思考というものは一貫性がなく、常に揺蕩っていて、明確ではないのだと思います。小島作品を読んで改めてそう感じています。」
今年の初めに書いてた『万事快調』という小説はプリントアウトして推敲していて、とくに冒頭のところはかなり書き換えてみたんですけど、ちょっと複雑になりすぎちゃってる感じがして、野本さんも「合掌」って短い小説も直せばいいってもんじゃないなって言ってて、おんなじ感じになってます。
もうあれはあれとして、ちょっと言葉にするのはむずかしいけど、もう今の自分はあれを書いていた自分ではないから、いい塩梅のところでやめるのがいい。その塩梅はむずかしいんですけど、その都度、自分で点検しながらやるしかないですね。ほかの人に教えてもらうわけにもいかないので不安は不安ですけど、この往復書簡が本になるときに一緒に文庫サイズで本にしたいと思ってます。
あと、
「一つのミスやディスコミュニケーションが、味方に不和を生じさせ相手チームに勢いをつけてしまう。オフェンスがまったくうまくいかない時間帯があれば、突如決まりだす時間帯が続くことがある。点差が離れたとしても、負けではない、ひとつひとつのプレーの積み重ねでひっくり返すことができる。」
ぼくは野球の西武を応援していますが、毎回試合の前に円陣を組んで、
「勝つぞ!」
とかやっているのに、どっちのチームもやっているのに、三時間後にはどっちかのチームは負けていることがおもしろい。どっちも勝とうとしていたのに、どっちかは必ず(引き分け以外は)負けるのがおもしろい。誰一人として負けるつもりの人なんていないのに、それがおもしろい。
P.S. はてなブログにアップされた短篇読みました。とくに「Lakeside」は笑いました。
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