小島信夫を読んで考える12(PINFU240813)
野本さんの手紙が死の話からはじまっていて、どうしたんだろう、と思ったら俺がその前の手紙で死について書いていたところで終わってたから、あぁそうか、となりました。
以下、野本さんの手紙からの引用です。
「ここでも、現妻・京子との交流と彼女への妙な断言と並行して、前妻・陽子の挿話と新しい墓 地に彼女の骨を移すことという進展が同時に起きている。わたしは、ここに悲しみというか、さびしさというか、そういったものを感じはしない。凡庸な言い方になってしまうが、むしろ思い起こすことがひとつの愛情の形のようだ。」
ほんとそう。俺も野本さんが引用したここを読んで、今はじめて読んだけど、「そこの小さい西洋墓地がようやく五回めにクジで当って、陽子の骨をうつすことになっていた。」で、「ぷっ」って笑っちゃった。
「なんで笑ったんだろう?」って考えると全然笑える一文じゃないんだけど笑った。
で、悲しみとかさみしさを感じないっていうのも俺もおんなじで、なんだろうねこの感じ笑 うまいこと言えないんだけど、ドラマの悲しい場面に悲しい音楽をかけるのとか、感動的な場面に感動的な音楽かけるとか、もうああいうのは俺はすごく居心地がわるくなって、見られなくなったので、でもあれは「演出」じゃなくて「ウソ」だから、「ウソ」とか「罠」とかそういう領域のものになってしまってるから、見たくない。「悲しいときは人間は悲しい顔してるんですよ」って、あれウソやん。
「永造の思考は、わたしたちのなかで日頃起きているが、見えないように制御しているだけであって(なぜなら、それはとてもひと言では説明しきれず、聞き手によってはまとまりを欠いていて、何を言わんとしているかが掴みづらいだろうと、自身が勝手に想像して押さえつけてしまうから)」
今ね、『菅野満子の手紙』について書きたくなって昨日から書き始めた文章があるんだけど、まさに今日、野本さんが書いていることを俺も考えてただけど、「聞き手によってはまとまりを欠いていて、何を言わんとしているかが掴みづらいだろうと、自身が勝手に想像して押さえつけてしまうから」、だから読みやすいように改行したり、記号でくくったりするんだけど、ほんとうはそんなものなくて、頭ん中には記号なんてない。ずらぁ~とつながっていて、でもそういう一本の紐みたいなイメージも違う、海ん中に手ぇ突っ込んでなんか引っ張り出したみたいなイメージ。基本的には自分の言葉で書いてるけど、その自分の言葉にもくだけた言葉とか、フォーマルな言葉とかいろいろ種類があって、まさに今の妻のことを考えつつ、前の妻のこともよぎるみたいに、いろんなTPOの自分(TPOの使い方まちがってるかもしれません。なにしろはじめて使ったもんで笑)が飛び出してくるから、それをそのまま書いちゃえばいいのに、ここはフォーマルだからそういう言葉遣いはやめよう、とか、ほかの言い方に変えようとかしてるんだけど、そんなのは「社会」生活してる自分に任せておいて、好き勝手やりゃあいいじゃん。だから子どもの作文はおもしろいわけで、でも卒業文集に載ってる作文は「卒業文集に書くべきことを書いている」からつまんないわけで、小説に書くべきことなんかねぇよ。若いうちからそんな態度じゃダメだよ、みたいな。山下澄人の受け売りで書いてるけどさ、でもほんとにそうだと思うんだよね。
『菅野満子の手紙』のことをずっと考えてるから、あれも「著者」「作者」「私」って人称が変わっていて、最初は「どれも一緒じゃん」って思ってたけど、読み進めるうちに全然違うってことに気がついて、だからこの手紙だって誰が「わたし」に書かせてるのかわかんないんだけど、それはどうでもいい。あんまりそれを追及したいわけではない。好きにやんな。
でも野本さんがこの手紙を書きながら「亡くなったものたちのことを思い出したり、部屋の片隅で鳴く飼い鳥(セキセイインコの キーちゃん)をかわいいと思ったり、甘いものが食べたいと感じたり、オリンピックのバスケの試合を思い返したりしている」っていうのが正常で、「人間は悲しいときは悲しい顔してるんだよ」っていうのはあれは「ウソ」でしょ? 一つの小説書いてるときにその小説だけに集中してるわけないじゃん。もっといろんなこと考えてて、注意力は散漫してる。創作、とかフィクションの作品を見せるってことじゃない次元で、あれはものすごい害のある「ウソ」だよね。そんなことないんだから。遅刻しそうで食パンくわえて走って曲がり角で誰かとぶつかって恋が始まるとか、図書館で借りようと手を伸ばしたらとなりから同じ本に手を伸ばした男の子と手が触れ合って恋がはじまるとか、こっちの方がマシで、「悲しいときは人間は悲しい顔してるんだよ」は、真実味があるように見せかけてる分、悪だと思う。
ここまでが手紙をもらったその日に読み終わる前に書きはじめた手紙の内容です。
Pの手紙(つづき)
正直に言うと前回の野本さんの手紙はぼくたちが手紙のやりとりをしはじめた最初のころみたいな、文章がちょっとカタイ感じがして、あれ、野本さんどうしたのかしら、と思ったんだけど、もう一度それから一週間経って読み返したときに、とくに最後のところで書いてた、小説がなかなか進まない、でも『別れる理由』をまた読み始めてみよう、と書いていたその文章(文体?)が小説っぽい感じがして、なにが小説っぽく感じさせるのかはわからないんだけど、ちょっと考えてみると、最後の、
「今日からまた読み返すことにした。」
っていう、「した。」は過去形なんだけど、何か動いてる感じがする。
前から思っててこれは俺の小説観? なんていうのもアレだけど、描かれているものが動いているときに小説っぽいと感じます。だから過去の出来事や回想を書いていても、動いてると感じるとそれは小説になるし、現在目の前に起こっていることが書かれていても動いていない(止まっている)と小説には感じない。
ちょっと前に、発作的に野本さんに書いて送っちゃった小説の断片を送ったら野本さんが感想を送ってくれてありがとうございました。あれもなんとか駆動させようさせようとしてて、ずいぶん日記とかあんまり駆動しなくても形になっちゃうものを書いてきたからそうじゃないものを書きたくて、で俺の場合は駆動させようってなると自然とあることないことデタラメ書けるからそこは心配してないんだけど、これは本当に主観で、他人と比べられる話ではないから、自分がどんなに動かそうと思っても(そういうときはたいがい失敗しますが)、もしくは自分としてはごく自然に書いていたら動いた、これは成功だ! と思っても読む人が同じように感じとるとは限らないし、そもそも「動いている=小説っぽく感じる」はあくまでも俺の小説観なので、人には別のところに小説っぽさを感じているわけだから、他人と比べてどうこうってことじゃないんだけど、俺は野本さんの手紙の最後のところに小説っぽさを感じました。
手紙を先週の日曜日にもらって、一気に冒頭のところを書いて、そのあと一週間はほかになにを書こうか考えていましたが、とくに書きたいこともないのか、なんだろう、それは「飽きた」ってことではなくて、というか「飽きてからが本番」だと思っているので、そう書いてしまうとこの手紙のやりとりに飽きていることになってしまうけれどそうじゃなくて、山下澄人が、
「飽きてからが本番。なにも書けなくなったときに絞り出すのが小説ですよ」
と言っていたのを書けないときには思い出すんですけど、それでも書けないときは書けません。
書けないから書かずにいたんだけど、そうするとどんどん書く筋肉みたいなものが衰えていっちゃって、Twitterにだれから載せていたんだけど、名前は忘れました、知らない外国の、たぶん小説を書いたりしている人が大学かどこかの講師をしていて、その人の講義内容は、修正、加筆させずに二時間作文を書かせるだけで、でもそういう「走り込み」みたいな時間は必要な気がします。
前回の俺の手紙の中で、「『美濃』についてしゃべりたいね」と書いて、だから読み返そうと思ってずっと探しているんだけど、ぜったい家の中にあるはずなのに全然見つかりません。
前にも書いたかな、俺はフロイトの『精神分析入門』の中に出てくるエピソードで、うろ覚えで書くけど、ある夫婦がいました。結婚生活は送っているけれど夫は妻にたいして不満を抱いている。日々の些細な不満から、自分の妻にたいする愛情は冷え切っていると思っている。
あるとき夫は、妻からもらった本を探しているが見つからない。
以前妻に、これあなたが気に入ると思うわ、と言ってプレゼントされた本で、夫はありがとう、それはたのしみだな、読んでみるよ、と受け取ったけれど、妻にたいする気持ちもあって読まずにどこかにしまったきりになっている。家中、自分の書斎とどんなに探してもその本は見つからない。
そんななか夫の母親が病気になる。家で寝たきりになってしまうが、妻は昼夜問わず、夫の母に寄り添って、献身的に介護する。その姿を見ていて夫は、今まで冷め切っていたと思っていた妻への愛情がわき上がる。
書斎に戻って、なんの気なしに机の引き出しを開けるとなかに、ずっと探して見つからなかった本が、引き出しのいちばん目立つところに置いてあるのに気がつく。
大学生のころにフロイトの『精神文学入門』(新潮文庫)を細かく読んでいくという講義があって、先生がピックアップした箇所を細かく読んでいくのではなくて、本当に頭から、先生が朗読しながら気になったところを解説していくというとても時間のかかる講義で、どんどんスケジュールが遅れていってシラバス通りにいかないし、講義を受けている学生も全体で五人しかいなくて、みんな順番コで毎週だれかは休むんだけど、みんな休みが重なるとサシで講義受けなきゃいけないから、教室のぞいてだれもいなかったら帰るみたいなこともしたことがあって、そのとき先生はどんな気持ちだったのかと考えるとちょっと申し訳ないことしたなと思うけれど、でも一回だけ俺とサシで講義を受けたときがあって、そのときは先生は教壇じゃなくて俺の目の前のイスをくるりと後ろに向けてそこに座って、雑談するみたいが授業だった。
けっこうその授業が印象に残っていて、五年間(ぼくは留年もしたので)でいちばんおもしろい授業だったかもしれない。
精神分析の話から画家のフランシス・ベーコンの話になって、この授業でベーコンのことを知って好きになったんだけど、すごく不気味で魅力的なんだけどなにが書いてあるのかわからん、人によっては難解と感じるかもしれないけれど、どんな話をしていたのかはっきりとは覚えていないんだけど、みんな芸術をやる人は自分の中心、核にあるものに描いたり表現することで近づこうとする。でそれは、自分にとっていちばん易しい言葉を使っているんだ、と。
難解なものを難解に描いているのではなくて、自分にとっていちばん易しい言葉(表現)を使って描いたら結果としては「難解」と言われるものになってしまっただけ。たしかそんな話をした気がします。
とにかくその先生(カタヤマ先生)との授業がとてもおもしろかった。俺も疑問に思ったことは言ったし、それに先生が答えてくれたし、大学で授業を受けるってこういうことなのかもなって思った。
なんでフロイトの話になったのか。
前に野本さんと小説的思考塾で会ったとき(二〇二四年六月末?)、野本さんは『菅野満子の手紙』を早々に読み終わっているのに俺は読み終わっていなくて、読み終わらないまま手紙が終わってしまうんじゃないかと思って焦っている、と言ったら野本さんが、それはそれいいじゃん、焦らなくていいよ、と言って、あれから二ヶ月弱ぐらい経って、俺も「焦らなくていいや」と思ったので、読んではいるけれど、読み終わらなくてもそれはそれでいいや、と思っています。
ほんとは『寓話』にも手を伸ばしたいけれど、やっぱりこの時期の小島信夫はすごいよ。
坪内祐三『『別れる理由』が気になって』を読んでいたらその冒頭に、『別れる理由』がもともと『町』ってタイトルで途中で変更されたってことは知ってたんだけど、その変更される前の連載十回分は『別れる理由』ではなくて、『ハッピネス』として、短篇として刊行されたってのは知らなくて、『ハッピネス』がとてもおもしろそうだったから小島信夫短篇集成で買ったら、この前おすすめしてもらっておもしろかった『釣堀池』と『女たち』というタイトルで刊行された短篇集、どちらも『菅野満子の手紙』『寓話』『美濃』あたりの時期に書かれている短篇集も一緒に入ってて、かなりわくわくドキドキしてます。
年譜を見ると小島信夫めちゃめちゃ短篇も書いてて、俺も書かなきゃな、と思います。
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