小島信夫を読んで考える11(野本240804)

 死について考えるには、わたしの経験はまだ十分ではなくて、身近な人間や動物の死はこれまであったことはあったのだが、俗に言う悲しいとかさびしいだとか、そんな感情は生まれてこなかった。ただ、ああ、死んでしまったのだな、と感じているうちに、いろんな人が黒服で現れて、葬儀を進めたり、話したり、とにかくバタバタとしているうちに何もかもが終わっていて、淡々とした日常生活に戻っていく。日常のなかで、死んだものたちのことを不意に思い出す瞬間があって、今すぐにでも会えるような気がしてしまう。わたしは死を悲しいものだとかさびしいものだとは考えていないのかもしれない。

 永造がタバコをやめるようになったのは、ゴルフの真似事を家の庭でやっているとき、ドライバーをつよくふった拍子に腰を痛めて動けなくなり、治療に都心の漢方医にかかりに出かけたとき、タバコや酒をやめて食餌療法をするようにいわれたことがきっかけになっていた。
 新しいハイ・ウエイを京子が運転して車を走らせた。その車の中に永造は座席に身体をくくりつけるようにして、腰かけていた。永造が前の妻の陽子を都心の病院に連れて行く頃は、至るところ道が悪くて、こうしたハイ・ウエイなどはまだ出来ていなかった。反動があればいつでも、両手で身体をもちあげるように、待ちかまえている、顔をしかめた夫を助手席において、近道を人をかきわけながらハイ・ウエイに辿りつき、シートの上で尻を動かして坐りなおし、気合いをかけるようにして一直線の広い道を走る京子を、彼は、これが京子のいちばん幸福なときで、あとになって、きっとそんなふうに思うかもしれない、と思った。事実確かに今がいちばんそうなのだ。それは、彼にとっては、そうありがたいことではないが、もし自分が妻であるなら、そうであることに違いないのだ。腰はおちついた。彼はタバコもやめかかって、また吸いはじめたし、毎夕食にいつも酒を飲むようになった。その代り外へ出ることは少くなり、夜は家で過ごした。
 ある日また永造は同じようにして、ドライバーを一ふり振ったとたんにしゃがみこんで、這うようにして家の中へもどってきた。それから京子は助手席にくくりつけられたようになった夫を運んで治療へ連れて行った。誰が見ても甘ったれていることは歴然たるものだが、この二人をのせた車がハイ・ウエイを走って行くと、道路の片側から大きなパン工場のいいにおいが、どんなに窓をしめておいても、忍びこんできて、工場が見えなくなってからもしばらく漂っていた。道路の反対側に大きな都の墓地があって、そこの小さい西洋墓地がようやく五回めにクジで当って、陽子の骨をうつすことになっていた。

(小島信夫『別れる理由 Ⅰ』p.47、講談社、1982年)

『別れる理由』で、作家の永造は、以前の妻・陽子を亡くし、新しい妻・京子と暮らしている。京子との生活の中で、永造の中に、ふいに以前の妻・陽子の姿が現れるときがある。永蔵の思考の道筋の中では、京子と生きているいまも、陽子と暮らしていた以前も、すべて同一線上にある。よくよく読むと、この文章で永造がタバコをやめたんだか、やめれてないんだかすら、明確に言い切ることができない。はじめに「永造がタバコをやめるようになったのは」と書いてあるのだから、おそらくやめたのだろうが、読んでいくと、「彼はタバコもやめかかって、また吸いはじめたし、」とあるから、やめれていないのかもしれない。少し本数を減らすくらいの意味合いなのだろうか。ともかく、小島信夫の文章は、うねうねと入り組んでいて、ひとつのセンテンスに多層な要素が含まれていることは、PINFUくんも読みながら感じていることだろうと思います。ここでも、現妻・京子との交流と彼女への妙な断言と並行して、前妻・陽子の挿話と新しい墓地に彼女の骨を移すことという進展が同時に起きている。わたしは、ここに悲しみというか、さびしさというか、そういったものを感じはしない。凡庸な言い方になってしまうが、むしろ思い起こすことがひとつの愛情の形のようだ。永造の思考は、わたしたちのなかで日頃起きているが、見えないように制御しているだけであって(なぜなら、それはとてもひと言では説明しきれず、聞き手によってはまとまりを欠いていて、何を言わんとしているかが掴みづらいだろうと、自身が勝手に想像して押さえつけてしまうから)、複数の時間軸やその場には生じていない出来事をつねに生起するようにできているだろう。わたしはこうしてPINFUくんにむけて文章を書きながら、亡くなったものたちのことを思い出したり、部屋の片隅で鳴く飼い鳥(セキセイインコのキーちゃん)をかわいいと思ったり、甘いものが食べたいと感じたり、オリンピックのバスケの試合を思い返したりしている。別に集中していないとかそういうわけではなくて、常に自分がそういう状態なだけかもしれない。学生のころ、テスト勉強をしているときも、常に集中しているわけではなくて、イヤホンから流れる音楽のリズムに合わせてペンを叩いたり、気にいったメロディーや楽器のフレーズを反芻したりしていたのだから。

 テスト勉強をしながら、くるりを聞いていて、それ以来何度かライブに行こうとしたけれど、どうにも都合がつかないことばかりで、ライブを見ることができなかった。それが、ついこの間、フジロックに行ったとき、タイムテーブルと自分のきもちがぴったりと重なって、ようやくライブを見ることができた。「奇跡」からはじまり、「Morning Paper」からの「ロックンロール」が演奏されたときに、部屋でひとりイヤホンで聞いていた感覚がぶわわわわー!っと蘇ってきた。わたしはくるりの中でも『アンテナ』という作品が特に気に入っているのだ。その後、岸田繁さんがMCで、「人間は孤独なもので、そんな人間のちょっとそばにいていっしょに走る音楽がロックちゃうかな」といったようなことを言っていた。テスト勉強をしていたときのわたしは、今よりももう少し内向きな心持ちで、そんなときに救いになったのは、ロックに限らず音楽だったので、色々と感慨深い気持ちになりました。ライブはすばらしかった。

 ここ最近は、書いていた小説がなかなか進まなくて、それ以上にいま小説を書き、読む、という行為にいったい何ができるのだろうと考えてしまうと手がつかなくなってしまう。音楽や映画よりも確実に受け手に負担が大きいし、とりわけ小説となるとよりその傾向が強いだろう。それでも、小島信夫がもう何十年も前に書いたことにわたしは励まされるのだ。私生活が忙しなくて、『別れる理由』を読むことが一旦ストップしていたのだけれど、今日からまた読み返すことにした。(つづく)

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