小島信夫を読んで考える⑤(野本240411)
わたしは怒られてばかりでした。前回の手紙で話題にした、高校生のころ、ベースを無許可で購入したらどつかれただけでなく、そのようなことが多すぎて「怒られた」という記憶の総体でしかなくなっている。公文式の宿題をサボっては怒られ、家で自分が出ているバスケの試合のビデオを見ては、過去のミスした自分に対して怒られ……両親だけでなく、バスケ部のコーチからも怒られの対象でした。チームメイトがミスしてもさほど気にもとめないのに、わたしが同じミスをすると練習を中断してまで、怒られる。わたしは過疎地域で生まれ育ったので、周りに同級生の遊び相手がおらず、遊び相手だったのは、二個以上年上の子たちばかりでした。小さいころの年齢二個ちがいというものは、体格的にも精神的にもかなり大きくて、わたしが何かヘマをするたびに、年上の人たちは馬鹿にしてきました。いま思い返せば、年が違う年下の子を遊びに混ぜていただけでもかなり立派だと思うので、彼らのことは悪く言うつもりはなく、むしろ楽しいこともたくさんあったのです。ただ、保育園や小学校となると、近所以外の子たちがもちろんいるので、彼らはわたしと近所の年上の子たちのやりとりを見ると、どうもこいつは弄ってもいいんだ、と思ったのだと思います。怒られる、というか、弄られることが多く、弄られることは大嫌いでした。なので、下手に主張するとひどい目に遭うかもしれない、と思い、意見や主張を抑えて道化っぽく振る舞うことも多々ありましたが、いっぽうで、好奇心などは割に旺盛なほうで、内から出るエネルギー出力はかなり高かったのではないかと思います。そのせいで、人を傷つけてしまうこともありました。中学、高校、大学に進むにつれて、内のバランスをじょじょに取ることができるようになりましたが、それでもたまに暴発してしまうことがあり、特に年上と揉めることが多かった。お酒を飲めるようになってからは、閾値を超えると箍が外れてしまい(立川談志の言う通りの行動をしてきました、わたしは)、人に迷惑をかけてしまうことも多々ありました……ああ、書いているだけで、色々なことを思い出してきた。気分がBADなときに、過去の失敗ばかりを思い返してしまい、さらにBADになる、という負のループに時々陥ります。今も下手をするとそっちに嵌まり込んでしまいそうなので、これ以上書くことはやめておきます。もちろん会社員になってからも、なにかとたいへんに感じることが多く、鬱々としてしまいがちだったのですが、次第に、別に自分を押さえつけたり、周囲に無理に適応することはせず、単純にわたしのエネルギー出力量を抑えればいいのだ、と思うようになりました。何がきっかけかは、明確に答えることができませんが。
わたしを裏切ることなく、発散する総体的なエネルギーを抑えればよい。もちろん理不尽な目にあったり、許せない出来事に出会したりした際は、フルボルテージしますが、そうでない場では時速30km、自動車教習所の運転速度くらいにするようにしました。
ピンフくんのいう「社会くん」は、「社会くん」という一言でくくることが難しい、複層的なものだと感じました。ピンフくん(ピンフくんのいう『わたし』、書いている『わたし』と書かれている『わたし』との距離についても言及すべきでしょうが、一旦は友人としての安藤くんに向けたものと思ってください)が書くときに聞こえる「社会くん」は、「おいおい、そんなんでいいのかよ」と常に書いたものへのリアクションを欠かさないイマジナリーな大衆であるいっぽうで、「本当にこれでいいのか、こんなふうに書いていいのか、おい!自分!」と己を律する番人でもある。そして、誰かと実際にコミュニケーションを取る際に、「いま油断しすぎじゃない?」と気を引き締めるために発動するものでもある。ほかにも「社会くん」には、さまざまな面がありそうです。
これについては、実際に会ってピンフくんが言わんとすることをもっと知りたい、聞きたい、と思うので、現段階で明確なことは言えないのですが、書くもの、については、わたしは最近、正直そんな「社会くん」の声なんて聞かずに、フルスピードで突っ走っちゃえ! と思いながら、夜な夜な書き進めています。
ピンフくんから小島信夫の『残光』でなにかやりませんか、と誘いを受けて、小島信夫作品を改めて意識的に読むようになってから学んだことのひとつは、自分にストッパーなんてかけちゃだめだ! ということです。すでに読んだものを読み返したり、読んでいなかった作品を読んだりしていると、ますます、「この人(本当は小島先生と呼びたいが、わたしなりの愛着を込めた呼び方)、ぜんぶ書いてる!」と思ってしまう。この「ぜんぶ」には、小説ぜんたいの問題に関連しつつ、まだわたしが言葉にしきれず、抽象的なイメージで心内に浮かべているものも含んでいますが、一例を挙げると、わたしだったら書きたくないようなことも、あますことなく作品に含んでいる。『美濃』を読み終わり、興奮覚めやらぬうちに『菅野満子の手紙』を読んでいますが、「2」の後半から出てくる、作家仲間(大庭みな子っぽい人や河野多恵子っぽい人や由起しげ子っぽい人)に言われた言葉を、どこまでが現実にあったかどうかはさておき、自分に対するしんらつな意見も何もかも作品に描こうだなんて!
「わたし」、「わたし」以外、そういった人称の明確な区別なしに、小島信夫という書き手を通すと、みな好き勝手にしゃべり、行動しだす。おそろしいことだと思います。
『美濃』を読んで、途中から一体何の話をしているのか、よくわからないけれども、とにかく文章を読むことが楽しくて、楽しんでいるうちに、いつの間にか古田信次が、自殺未遂者の転落に巻き込まれて入院し、そのために祥雲堂の息子(名前を忘れた)の手紙をそのまま掲載せざるを得ないということになって、腰を抜かしました。
少し前までは、小説に限らず、たまに更新するブログでもなんにせよ、「書きたいことがうまく書けていない……涙……」「これで十分に書けたとはいえないのでは……くやしい……」「ぜんぜん書けない……もうだめだ……」などと拗ねてしまうことが多々あったのですが、小島信夫を集中的に読んでからは、エネルギー出力全開で、とにかく書きまくるぜ! というきもちになっています。具体的に、「何を」「どう書く」のか、といったことについても、他の小島作品を読んだり、読み返したりして、ヒントにしたいのですが、取り急ぎは書くうえでの態度について、言及するにとどめておきます。ふだんの生活でエネルギー全開には、ほとんどならないからこそ、書くときくらい好きにやらせてくれ!
ただ、わたし個人としては、ピンフくんが「社会くん」と格闘するすがたや、それを乗り越えようとするすがたを見てみたい、という欲望があるので、そこはまあ、野本自身はいまそう思って生活したり書いたりしてるんだな〜、くらいに思っておいてください。それと、「ぼくの文章はだれも読んでいません。」なんて言うけれど、少なくともわたしは読んでいる! そして、ピンフくんの文章に元気づけられて、こうして書いたり、考えたりしている!
はなしは変わって、『残光』のはなしではなくて、『美濃』のはなし。どのエピソードも強烈だが、個人的には「ルーツ 前書(四)」が一番ぐっときた。平野謙の訃報、追悼文の依頼、「シナの百科辞典」、三重、アリストテレス、「オイディプス王」、「リア王」……話題は流転し、変わるたびに速度と火力は上がり、わたしはたちまち文章に巻き込まれてしまいました。
それにしても、どこまで本当かわかりませんが、『美濃』の文中でもたびたび言及されるように、だいたい締切前々日か前日くらいに、語り手はようやく机に向かい、原稿を書かざるをえない状況に至っている。そして、先日読んだ『美濃』には、意図的に、雑誌『文体』(『モンマルトルの丘』のみ『文芸』)に掲載された月が記載されている。ピンフくんがいま読んでいる、そしてわたしもいま読んでいる『菅野満子の手紙』だけでなく、『寓話』も『別れる理由』も、『各務原・名古屋・国立』も、すべて連載という形式で発表されたことが、気になっています。他の作品の原稿や別の仕事、その他生活の諸々をこなしながら、時には同時並行で作品が書かれる。ぎりぎりまで溜め込んだエネルギーを、全身全霊で放出している。
わたしは、長いものを書こうとしては頓挫してきてばかりだったのですが、この姿勢は、今の自分にとって、大きなヒントになるのではないか、と考えています。
今回は、『残光』のはなしがあまりできませんでした。『残光』の単行本のさいごのほうを読むと、どうやらこの作品は『新潮』二〇〇六年二月号に一挙掲載されたみたいですが、実際、小島信夫は、「1」「2」「3」をそれぞれ、一気に書き上げたのではないでしょうか。わたしが初読の際に感じた感想のひとつ「各章がばらばらのようでいて、絶妙に強固な何かで結ばれている」というのも、こうした書く姿勢が要因のひとつでは……と思う最近です。
最後に、ピンフくんが小説でも実生活でもキャラを演じているときがある、と書いていましたが、最近単行本が出た町屋良平『生きる演技』は、ピンフくんの問題意識に刺さる作品かもしれません。わたしもいま読み進めているのですが、これはすごいです。(つづく)
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