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雪は豊年の瑞・日光の旅(2)


 108個もある日光の社寺の中で一番印象に残ったのは東照宮だった。江戸幕府を開いた徳川家康を祀る霊廟であり、家光の手によって造替されたこの東照宮では、何百年もの歳月を経てもその華美さはまったく衰えていなかった。境地の中にある五重の塔で刻まれた十二支の彫刻を鑑賞し、家康と同じく寅年だと感心したら、今度は清厩舎にある三猿の生き生きさにびっくりした。「見ざる、聞かざる、言わざる」。いかにもジャパニーズマナーを濃縮された言葉だと思った。

「眠り猫」


 そして階段を上り、右手のほうへ行くと東回廊の前にある陽明門にたどり着いた。その門の上に彫刻されたこの「眠り猫」が名匠、左甚五郎の作で、違う角度から見てみると猫の表情が変わると言われている。視力の弱い私にとって残念ながら寝ている猫の表情しか見えなかったが、それでもまるで猫がはりの上で安らかに眠っている様子に魅了された。
東照宮でなにより一番の見所はやはり「奥社宝塔」で、いわゆる徳川家康の墓所だろう。私は人の波に乗ってその宝塔のあたりを巡り、四つの角から宝塔を観察した。すると宝塔の後ろに回ったところで、ちょうど正午の光が宝塔に降り注ぎ、恵みの雨のように私の身も包み、冬の寒さを掃ってくれた。あとでその時のことを思い出すと、それは家康の霊なのかどうかはわからないが、ただその光の筋を目に収めた時、とても言葉には表わせない慰めと励みをもらった気がした。
 昼12時過ぎに私は宝物館のほうへ行った。今まで徳川家康と言ったらやさしくて偉い人だとぼんやりとしたイメージしかなかったが、館内にあるアニメーションや展示品、そして特に家康が残された言葉で改めて戦国時代の輝かしい歴史を刻んだ人の魅力を知った。
 「人の一生は重荷を負うて
 遠き道を行くが如し急ぐべからず」

家康の墓所(奥寺宝塔)


 一瞬、芥川龍之介の『侏儒の言葉』を思い出した。徳川家康のご遺訓を挫折を感じたとき読んでみるとまた頑張ろうというモチベーションが湧き、挫けない勇気をもたらしてくれる気がした。
 「上島喫茶店」で軽くサンドイッチを食べた後、午後は二荒山神社と大猷院へ向かった。東照宮と輪王寺はそんなに離れていなかったが、二荒山神社と大猷院は東照宮からおよそ3キロぐらいのところにあるため、これはたくさん歩くかなと思ったが散歩が大好きな私には好都合だった。そして数多くの道から一番人気のない史跡探勝路を選んで、しばらく自分の世界に浸っていた。
 

日光の道

 日光の道は延々と続いている。その無限さが好きで、途切れるところもなく考える時間も伸びそうだ。もちろん、まったく想像の世界に入りこんだのではなく、そのときはちょうど撮影にはまり始めた頃なので、私はカメラを手放さなかった。どこかで読んだ文章の中での話を借りると午後2時から少しの間だけ、それもまた一瞬だけ映えるときがあると言われている。まだ新米カメラマンの私にとっては勉強が必要だ。
 やがて古びた橋を渡ると目の前にあの有名な「白糸の滝」が目に入った。この白糸の滝は色々なところにあるのは後で知ったのだが、その時のわたしにはこれこそが本当の白糸の滝だと喜びながら、シルクのように湧き出てきた水の流れをじっと見つめていた。今まで滝は大きくて衝撃的なイメージが強かったが、こういうポケットサイズの滝も愛着を感じるだろうと思う。
 はじめて出会った滝と分かれ、隣にある階段を上ったら、今度は二荒山神社の別宮と言われる滝尾神社の境地に入った。あたりは勢いのある松の木が並んでいて、いわゆる隠れたパワースポットのようなところなのだろう、なぜか『ホタルの森』の世界に迷い込んだという感じがして、やや寒かったがなぜか日の当たるところに立つとまたそよ風が吹いてきて、神の歌声が聞こえるほどとにかく不思議な体験だった。

白糸の滝

 また滝尾神社の入り口に運試しの鳥居があって、鳥居の上にある丸い穴に小石を三回投げて、そこに入ったら一年中、好運が訪れるという。その噂に惹かれて鳥居に辿りついたとき、ちょうど家族連れのお父さんがそこに立っていて、落ちていた小石を拾い子供のエールを浴びてさっそく三回試していた。お父さんは野球選手のようなポーズを見せ、一所懸命腕を振るった。一瞬、小石が手のひらからそのゴールに向かってシュートされた。一回目、入らなかった。よし、二回目。チャレンジは大切だ。あ、残念!あと少しで入るのに…。でも大丈夫。あと一回のチャンスはある。さー、いけ!
 結局一回も入らなかったお父さんは「本当に運がないなー」と一言残して、子供の暖かい笑い声でまた前のほうへ進んだ。その一部始終を見守っていたわたしは思わず微笑んだ。そしてそのときは母国にいる父と母のことを一層恋しく思い始めた。

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