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潜在意識書き換わるっていうのは、こういうこと

こんにちは"(*´˘` )♥(´˘`๑)"こんばんは



引き寄せの法則のエイブラハムの感情のスケールを久しぶりに見て、気づいたことがあります。

どんな感情であってもOKすることで、自然と一つずつ感情は上がっていきます


暇だなぁ、って日々を過ごしてます。
しかし仕事は忙しいです。一日があっという間に過ぎていき、データ作るので一日終わる、、、こんなんでいいのか?と自問することはやめられません。


仕事で思考を使う、ヒートアップする、でも二つの目で二つの世界を同時に見れるようになりました。
二つの目というのは、
3次元の物理的な考察ができる目と
5次元の無の境地の絶対的な現れの目と。

二つの世界が両立して、現れてるというか、
3次元的な解答、動き
現れなだけの解答、動き

と2つ、ふたつというか、中間地点を捉えます。そんなことできようができまいがどちらでもいいですが、私はそうすることが、今は楽しいのです。

それで、仕事で頭ぱんぱんになっても、さてこの現象は、ただの現れだよね???と自問するだけで、冷めていきます。それだから、暇、、、ということです。

そんな中思い返したことは、エイブラハムのスケールをみて一喜一憂してた4年前に比べたら、今は分析したり、眺めるだけに留まりますから、すごい進化だな!と自分を褒められます。そして、本当に玉ねぎの皮を一枚ずつ剥くように、気づくことはやってきます。どれだけの数の玉ねぎの皮を一枚ずつ丁寧に剥いたでしょうか・・・(シェフには負けるかもしれませんが)


気づくことは気づこうとして気づくのではありません。
それは大抵ぼーっとしてる時に、ばさっと布団を被せるように、どーんと覆ってきます。気づきは唐突にやってくるのです。ですのでとても大事なのです。

エイブラハムのスケールに、「退屈」があります。
ポジティブの切り替えの分岐点みたいな位置付けです。
だからこそ
『退屈はダメなんだ、、、』

と無意識に言葉にならない思いを持っていました。



退屈、え?退屈 ?

退屈はいけない、退屈では気分がいいとはいえない、退屈で暇は、成功法則から外れてる、こんなのダメだ、、、


と初めて言語化しました。
言語化する前は、もやもやと、
その気持ちのようなものが空中に浮いてる感じですが
一個一個林檎の木から林檎をもげるように、言葉を文字にしてみて、声にしてみました。

「退屈はダメ?」と声にしてみましたら、

あああああ、
退屈はダメだ、と決めつけてたのか・・・
と同時に
楽しくなければダメだ、と思い込んでたことがはっきり分かったんです。

こうして私たちは、無意識に『言葉に反射的にイメージをくっつけた』ものを記録(記憶)してます。「退屈=ダメ」→「楽しい=OK」
だから、一人一人の解釈は異なり、すれ違いも起こるのです。

同じ夕焼け見てるのに、感じ方が違うなんてのはよくあります。まるでアンジャッシュのコントのようなすれ違いをし続けて、人生を彩っているのですね。退屈はダメでもないし、楽しくなければならないというのも制限的な決めつけに過ぎません。


(景色を美しいっていう人もいれば、思い出を重ねて辛い色だという人もいます。
退屈と縁遠い人にしたら怠けてるという人もいますし、退屈が幸せだという人もいます)



となると、
人間関係というものは本当は容易いものだという前提を作ることができます。

人間関係が厄介だ、と思う多くは
情報の扱い方という「捉え方と感じ方の差異」によるところでしょうか。

同じ価値観だったと思うけど、夕焼け見るシーンは特に同じであって欲しかったのに、そこが違っていたことで付き合うのをやめようかな…と判断する方もいますし。


ついでに言いますが、
同じ価値観とか似た価値観なんて「ない」とキッパリ思うことと、
価値観はお互いに尊重すること、と意識することで人間関係は「楽」になります。

しかし時代背景を読み取れず古い価値信念のままの人は、人間関係の大元が自分発信であることを気づかない(ふり)で、相手や環境がこうあるべきだ、あなたもそう思うでしょとか、こっちがしてやったんだからそっちもやるべきだ、あなたもそう思うでしょとか、普通さこうだよねー、あなたもそう思うでしょ…などと古い常識を持ち出して、同調者を都合よく見つけ集合になり、あたかも正論を言ってるように振る舞い、事態を責任転嫁することが大得意でもあります。

・こうあるべき
・見返り(してやったんだから・してもらったんだから)
・普通さ

捉え方と感じ方の差異を知らないことで、この3点を即刻手放す=意識を改めることができないまま、いつまでも人間関係という呪縛に取り憑かれて生涯を終えてしまいそうですよ。今はそんな時代ではないのですから、誰かが作った「こうあるべきのべき論・見返りの強要・普通さ…の多用と同調圧力」を始めとする価値観や常識、制約を、

一旦「本当にそうなのか?。それは必要なことなのか?
と問うことが、自分なりの価値信念を作り変えるいい機会でもあります。


話を戻しますが、
大抵慣れ親しんだ言葉にジャックされて自動思考が頭の中でおしゃべりをし続けています。脳内会議のように思えるかもしれませんが、いいえ、これはただの自動思考で、言葉によるジャックを受けています。

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