潜在意識と意味づけと思考を止めろ!のお話 つづき
こんにちは"(*´˘` )♥(´˘`๑)"こんばんは
お元気でしたか?
私は体調が優れずずっと会社を休んでます。とても眠くて、短い一日ですが、横になって、空を見上げてボーーっとして過ごしてます。これを廃人と呼ぶ人もいれば、贅沢な日常と呼ぶ人もいます。
【◯◯な一日、◯◯な過ごし方】
どう意味付けします?
ここに、思考パターンが組み込まれてるんですよね。だけどどっちでもいいわけです。だけどスピリチュアルでは、ポジティブであれ!と呼びかけるのです。
ポジティブであれば、必ずネガティブがセットであることは明白で、ネガティブも際立ちます。
ポジティブとネガティブは紙一重ですが、現象をポジティブ側から見た時、ネガティブが見えない。それはポジティブが閃光の如く眩しくてネガティブが見えないから。反対に、ネガティブ側から見た時、ポジティブが見えない。それはネガティブが暗闇の真っ只中で視認できないから。笑
そこを、スピリチュアルというツールを使い、現象をポジティブ側から見た時、『他にどんなことがある?』と思考を使って意図したら、意識を宇宙中に張り巡らせるとネガティブを垣間見ることができる。
反対にネガティブ側から見た時、重苦しい雰囲気の中『他にどんなことがある?』と思考を使って意図したら、意識は宇宙中を徘徊して、やっとの思いで、ポジティブを掴む、ポジティブを見つけた、、というような、これまた意味付けを、自分自身でやってきた、と思っていたわけですが、
この私って存在の自分は、自分でやってきたことなど、何一つなくて、これまでまったく何一つもやってないし、考えてもない。
ただそれらは、そのように現れてきただけなんだけど、先述のポジティブやネガティブの観点も思考も、それは思考だからエゴ様の仕業だ、と意味づけをして、それを自分にとっての最適解として思うんだけど、
実際のところそれを信じきって、間違いないとそう思ってきたし、エゴ様と大いなる私(ハイヤーセルフとか、超意識とかいろいろ)の境界線を設けては、大いなる私の意識でエゴ様を包んであげましょう、のような、『大いなる私が正解』『エゴ様は寝返らせろ』みたいな活動をしてましたが、
それさえも、なにもかもが
自分自身でやってきたことはなくて、思考さえ湧いてきたことです。
スピリチュアルというのは、その概念の特性上、物理次元ではない視点の精神性について無限に語ることもでき、意味付けすることにより、人間性から数歩離れるアクションをもたらします。
ですから人間性から昇華したような錯覚を起こさせます。昇華したような気にさせるのが得意なわけです。しかしそれは、皮肉なことに人間をもっとも人間らしく、エッジを際立たせる、行為になってます。つまりスピリチュアルとはツールですよね。
召喚された人間性は始めぎこちなくてウロウロソワソワしますが、湧いてきた思考にてなずけられたことに気づかず、てなずけられて、ストーリーはサクサク読める漫画のように、展開していきます。
スピリチュアルの、意味づけって、隙がなくてすっごく秀逸です。
でもそれは、長い間思考でがんじがらめだった思考パターンの思考のエゴ様側にしてみれば、ドキドキするほど新しいことなので、スピリチュアル由来の意味づけは、めっちゃ新鮮で、ワクワクした訳です。希望に溢れる意味づけが満載なので、それはまるで、フルーツパフェからフルーツがこぼれ落ちそうな、ようにです。
スピリチュアルにおける意味づけは
煌びやかで、もっと!もっと!もっと!、、、というもっと教のように、欲望で思考を溺れさします。その欲望も湧いてきた!
だから、こういう見解は、、考察と呼びましょうか。となるとですね、、、潜在意識要らないんですよ。潜在意識は、ない、と思う。確かに無意識ってのはあります。だけど、、、
あなたが思う通りに生きれないのは、潜在意識にゴミがあるからです。あなたが年収3億になりたいのに今なってないなら潜在意識にお金のブロックがあるからです。あなたは理想のパートナーに出逢いたいと願い自愛を徹底し美容に気を遣って努力してますが、それでも出逢えないのはカルマという過去世の記憶が潜在意識に留まっているからです。あなたが理想の職場や仕事で輝けないのは潜在意識に……
というお決まりのキャッチコピーは、
ファンタジー事業部の敏腕ストーリーテーラー達による、連動型広告からくる、スピリチュアル探求コンテンツです。これは単なるキャッチコピーでしかなく、人生に救いを求める者への、ショッキングなお買い物🛍️になるでしょうか。
そんなふうに、湧いてきたものですから、文字にしてみました。
スピリチュアルに良いも悪いもなくて、潜在意識がどうこうというのも良いも悪いもなくて、どれでも良い。好きなようにそのツールを使うのが良き。
だけどすべての信じてきた意味付けというものが、ガラガラと音を立てて崩れていきます、は本当にそうでした。
例えばディズニーランドのシンデレラ城のてっぺんから下界を見下ろすような感じになり、
なんだ、そうなのか、、、シンデレラ城はそんなに高くもなかったのか……と腰が砕け落ちていき、なんかもう希望に溢れたトキメキには戻れなくなるんですよ。あっさりしたもんです。
だからって希望がないのではないです。期待も希望も歓喜も共感もあります。ただ、悩ましいあの頃にはもう戻れない、ということです。
今日も、読んでいただきありがとうございました😊
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