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渋谷Niru 村上春樹的レポ

「自粛期間から数えて、夫以外と外食をするのはあなたが初めてなのよ」

その日、恵比寿と渋谷の間にある小洒落た店で、彼女はスパークリングワインがなみなみと注がれたグラスに向かって呟いた。

細長いグラスは、もちろん返事など返さない。ただ、グラスの中でプツプツと文句を言うように泡を発生させている。

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「悪いけど、その話はあとでも構いませんか?僕は、豚のココナツ煮込みかタコのトマト煮込みにするか、真剣に考えているところなんです。」

「豚か、イカ?」

「足の数がちがいます。豚か、タコ。」

僕は少し腹を立てながら、答えた。

すると、女が「どちらでも構いやしないわ。あの軟体動物が私の言葉をいちいち気にすると思うの?おかしな人ね。」と、挑戦的な言葉を投げつける。

どうして、夫の話をすれば儚げになり、豚かタコかという話になると不機嫌になるのかよくわからなかった。それが女の不思議なのか、それとも彼女の特性なのか、僕にはわからない。

「好きにしたら?豚もカニも逃げやしないわ。」

女がそう言う時は、たいてい感情が読めない顔になる。僕は慌てて「まって、豚にします。ココナツで煮込んだ豚肉です。あなたは一度も豚については間違えなかった。」と言い、なるべく目立たないように店主を呼んだ。

手短に「豚の煮込みを」と言うと、店主は黙ってキッチンにひっこむ。その様子を女は満足そうに見ていた。だからといって、豚という選択が正解とも限らない。僕らの間には奇妙な沈黙が横たわる。

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しばらくしてから先に口を開いたのは女だった。

「本当は、どちらでもよかったの。」
「どちらでも、よかった。」

女の言葉に僕は驚いた。

「つまり、どうでもいい。もしそうであれば、あなたの食に関するねじれた嗜好に頭を抱えた時間は無駄ということになるんだけれど?」

「わたしは人間の中でも特別に優柔不断だし、その自覚もあるから。
けれど、誰かが何かを決断した時、その先にもたらされる結果を考えてしまうのよ。大概の人にとっては、些末なことだろうけど、私にはこの世にとって重大な決断に思えるわ。下手をしたら誰かが命を落とすかもしれないじゃない。豚もウニも。」

「だけど豚と比較すべき対象物について、あなたがなぜ正しく認識できないのか、そういうことも重要なんじゃないかと思うんです。ウニじゃないし、イカでもカニでも無い。タコです。豚と比べるべきはタコなんです。」

まるであなたは宇宙人みたいだ、と言いかけて僕は口を閉じた。そして南アフリカ産のワインを飲みながら、燻製オリーブのごごろした種を見つめる。

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それからしばらくして、豚のココナツ煮込みが運ばれてくる。

スプーンでほぐれるくらいにやわらかな豚肉は、女を喜ばせた。おいしい、と、何回か言っていたし、それは実際においしいと言うには十分なほどの出来栄えだ。

どちらでもよかった、という女の言葉が金剛石よりも硬く確かな真実だと確信した。たしかに、どちらを注文したとしても、十分に僕らを満足させる一皿が間違いなく提供されたはずだ。つまり、そういうことだ。

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安堵しながらそれを食べ終えた時、女は端によけていたメニューを手早く差し出し、目で「次は?」と訴える。

「イカも、カニもウニもこの店には無いんです。けれど、タコの煮込みはメニューに載っている。これを頼むことにしましょう。」

この選択についてはいくらか自信があった。女をもう1度満足させるために必要なことは、オーダーの内容では無いということを僕はしっかりと理解している。あるいは完全なる主導権の掌握か、それ以上のことかもしれない。

しかし、僕らのテーブルにやってきた店主はこう言った。

「今は説明をしている暇がありませんし、込み入った事情があります。タコは海にいます、形而上的ではありますが。つまりそういうことです。」

既にこの店にいるはずだったタコは、奇妙なタイミングで、あるいは想定していなかった形で立ち去ってしまったのだという。

「なるほど、しかしそれはまったく問題ではありません。時間をいただくことはできますか?それが形骸化した概念だったとしても、僕には時間が必要ですので。」

「かしこまりました。」

それは不思議な夜だった。

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Niru
03-6450-6014
東京都渋谷区東1-25-5 1F
https://tabelog.com/tokyo/A1303/A130301/13238724/


大事な事なので追記いたします。とても素敵なお店であり、店主の方もとても丁寧に対応してくださいました。これは完全なるフィクションなので、ご了承いただけますと幸いです。またいつかの折に伺いたいと思います。


#外食 #小説 #フィクション #村上春樹 #悪ノリ

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