【この話は】ホントはサッカーなんか【ながい】
何かしらのスポーツを定期的に観戦するといった習慣は、結婚するまで皆無。私はスポーツというものに無関心だった。
強いていうならオリンピックの開会式と閉会式を気まぐれにみる程度だったし、肝心の競技には特に心惹かれるものがなかった。みんな頑張っているらしい、ということをニュースで眺めて知るというくらいの温度感だ。
しかし、夫は違った。
筋金入りのサッカーファンだった。
忘れもしない2010年サッカーW杯の決勝、朝の5時前に叩き起こされ、スペインvsオランダの試合を観戦した。
拮抗する試合になんの感情も揺さぶられないまま迎えた後半、イニエスタの決勝ゴールが決まった瞬間、夫は隣で号泣していた。
付き合って2日目くらいの出来事である。
以降、私は夫との同棲期間を含めた8年間、W杯や代表選、リーガエスパニョーラにプレミア、セリエ、ブンデスリーガを観戦するようになった。
夫は私の真横で解説者より解説者らしい見事な解説をシャワーのように浴びせてくれる。
特にレアルマドリーを贔屓にしていて、大事な試合は全て一緒に観ていた。
サッカーを定期的に観戦するようになって何年か経つと、その年月は私に潤沢なサッカー知識を与え、あらゆる場面で知った顔をできるようになった。
サッカーの話題というのはアイスブレイクにちょうどよく、初対面のサッカー好きの人に出会うと話はどんどん転がり、夏の移籍市場なんかについて熱く語り合う場面も多くあった。
「ほんとうにサッカーがお好きなんですね。」
いつからか、そんなふうに言われる事が増えた。私は知らず知らずに「サッカー好きのぴんこさん」になっていたのだ。
だが、その人物像にはちょっとした恐ろしさというか、プレッシャーのようなものを感じてしまった。
そして気がつけば「サッカー好きのぴんこさん」でいるために思いつく限りの努力をはじめたのだ。
各リーグの進捗を確認し、どの国のリーグでどんな事が起こっているのか、いつなんどき何を聞かれても応えられるよう準備するようになった。
チームの瑣末ないざこざや選手の美談を頭に叩き込み、代理人の動向まで調べるようになり、ついにはミックスゾーンのインタビューをいち早くキャッチするためにスペイン語をyoutubeで勉強していた。
もうこうなってくると、サッカーが好きどうこうではなくなってくる。
なんだかとても息苦しくて、しんどかった。
そんな日々を過ごしていたある朝、私は大事なダービーの日に寝坊してしまう。たしか2015年頃のことだ。
前の晩に夫と一緒に見ようと約束していたのに、目が覚めたとき試合は既にずいぶん進んでいて夫はリビングで一人大騒ぎをしてサッカーを観戦していた。
ビセンテカルデロンでレアルがボコボコにされている試合だ。
スコアを見て、私も血の気が引いた。
夫はいつもの解説も封印し押し黙っている。そして89分にマンジュキッチがトドメの4点目を決めた時、私たちはリビングのソファで屍のようになっていた。
もう魂が抜けてカサカサになり、会社を休んでやろうかと思うほどだった。
そのあと夫はぷりぷり怒りながら朝ごはんのお雑煮を食べ、息子を抱っこして保育園に送りに行ってから出勤した。
その背中のなんと愉快なことか。
私はその時、何故だかサッカーというスポーツが本当に心の底から好きだと思えるようになった。「サッカー好きのぴんこさん」という虚像を維持し続けるよりも、大騒ぎしながら一喜一憂する夫と一緒に観るサッカーがいい。
そして私は片っ端から試合を見たり、情報を集めたり、YouTubeでスペイン語講座を見たりするのをさっぱりやめてしまった。
気まぐれにgoal.comを見たりもするが、前ほど熱心では無い。サッカーダイジェストも買わないし、エルゴラも買わない。
たまにレアルの試合を見て、ケラケラ笑ったり怒ったり泣いたりする。
監督がフロントと仲違いしようが、代理人がせこい交渉してクラブと破断しようが、解任されようが、移籍しようが、フォーメーション変えようが、変えなかろうが、私はいつもあのマドリードダービーの日に見た夫の背中を思い出す。
サッカーとはあの瞬間にこそ、その魅力の全てが詰まっているのだろう。
「サッカー好きのぴんこさん」という虚像に振り回される日々はとうに過ぎた。
そして昨晩、ジダンのニュースをみた我が家に激震が走った。夫と泣く寸前までニュースを片っ端から読み漁り、やれポチェッティーノが、とか、イエロが、とか、ラウールはまだ早いとか、とにかく私たちは右往左往してしまった。
辞任て、おまえ。
やめるて、おまえ。