破片ちゃん(2023年度南日本文学賞もらいました)
こんにちは。詩を書いています。
2023年度南日本文学賞(鹿児島の地方紙、南日本新聞が毎年開催している文学賞です。)をいただきました「破片ちゃん」ほか15篇を公開します。数が多いので、目次を見て気になったタイトルの詩に飛んで読んでみてください。
破片ちゃん
破片となって動けない私を
かがんだ上司が拾い集めた
たまにこうなってしまうから
私は「破片ちゃん」と呼ばれていて
私もその呼びかけにハイとすぐに答える
やっと元通りになったねと
椅子に戻った上司は言ってくれて
元通りにされた私は右目が左目のところにある
口を動かせるようになったので
ありがとうございますと言ってから
自分の席に戻ると
右目から左目の涙が出てくる
左目は壊れたので右目の涙は出てこない
一体どこに行ったんだろうと考えていると
大事な電話に出ることができない
トイレに入ると大量の水が回っている
その中から出てこない涙を探す
激しいノックの音が響いて
見つけたはずの涙を取り逃がしてしまう
大丈夫なのかと聞かれると
大丈夫だと答えることは決まっていて
破片には神経が通っていない
脳が逆向きの頭の中で
裸の私が縛られていて
水曜日に縄を解いて動き出す
いつも没収しているはずなのに
つるはしをどこからか持ってきて
私をまた破片にする
裏返り
帰り道を歩きながら私は裏返る
足の指から軽く折り曲げてできるだけ力を抜いて
ゴムのように厚い皮をべろべろと裏返していく
不格好な楕円となった私は
頭皮の裏側を地面に擦りつける
私の表面だった部分(目もある)は
前向きな日光から守られて
暗やみでじっとしている
植え込みの近くで転んでもいい
誰も人間だとは思わない
アパートの一階角部屋で
ご飯も食べずに窓のそばに止まる
潜り込んだ耳は少しずつ音を拾って
確かに外の世界はある
朝になるともう一度裏返り
ご飯を食べて目抜き通り
騒がしいまでの音は
何も聞こえないのと同じ
鏡のような目は
崩れかかった建物を映して
玄関マットは裏返りかけていて
私も他の人もその上を歩く
おっぱいがあるため
おっぱいがあるため
ぐるんぐるんと布団に巻き込まれ
転がった先のベランダで二人花火をする
私の顔には覚えがない化粧が施されていて
目の前の男性を知らないまま
リモコンを押して女性に変える
女性は友達のゆりこちゃんで
しばらく楽しく話していたけど
酔ったようで私に覆いかぶさってきた
いつもより念入りな化粧で
目がきらきらしていて
いくら近づいても毛穴が見えない
きついファンデーションの匂いで
またリモコンを押すと
すね毛が急激に伸びてきてジレットの剃刀を使う
ゆりこちゃんはトイレに行き
代わりにかずひろくんが目の前にやってきた
僕はこんなところに来るつもりなかったんです
ただ見ているだけで良かったんです
でも花火楽しいよ
線香花火ならやりますと二人でまた花火をする
ゆりこちゃんはトイレから戻ったらしいのに
バケツを突き合わせて花火する私たちに加わってこない
ガラスにべったりと頬をくっつけながら
私たちを見ている
ベランダには二人分のスペースしかないから
柵を破壊して隣のベランダと繋げた
窓を開けてゆりこちゃんを呼び寄せると
バケツを思い切り蹴られて
私たちは水に溶けて消える
手頃な石
お気に入りのコートを羽織って、
修学旅行で拾い集めた石、
左右にバランスよく入れて、
重い裾を引きずりながら歩く、
石たちはいつも乗り気じゃなくて、
道路にしずくのように溢れる、
左のポケットが毎回破れて、
小さい石は火花を立てて地面にぶつかり、
大きな石は裏地の細かい目をすり潰す、
右のポケットは変わらず静かで、
蜘蛛のいない巣のように、
細く深く広がる、
ポケットの底に石は沈んだまま、
何か言うのを諦めている、
なだめてあげたいのに、
前に進むふりをし続け、
前とは水のあるところ、
一刻も早く到着しろ、
画面のついた電話がうるさくて、
黒く光る水面につける、
連絡先の重さで沈んで戻らない、
手頃な石を拾う、
逃げた石と同じ顔をしているが、
もうちょっと素直そうな石、
不思議そうに私を見ている
八階の鍵
八階の鍵を手に入れた。花のついたゴムサンダルに、水をかけた。もう一生、車で笑い合うことはないのだった。ステーキハウスの前に止まる、でかいアメ車。郊外の道路を音楽流しながらひたすら走っていたね。言葉を交わしたことは一度もなかったね。
風邪薬を飲みすぎたのだった。キッチンは縮んでいて、書斎などというものはなかった。ユニットバスに無理やり入浴剤を入れて、足を畳んで体を沈めた。乳房は張って瑞々しかった。エプロンをつけることなどなかった。買うこともなかったし、つけたいともこちらでは思わないのだった。
瓶が転がっていたのは子どもたちの仕業ではなかった。風邪薬を美味しいと飲んだのは私だった。怖いことになるのよと私は怒ってみせるが、肝心の子どもたちはいない。そろそろ洗い物をしなければならなかったが、ママ具合悪いのと思う。野菜ジュースの紙パックが延々と積まれている。
もう五年目だから、花を買いに行きたい。夏生まれにぴったりの、ひまわりに似た黄色い花がいい。花束が無理なら鉢植えでもいい。レコードを聴く書斎の窓辺に置いていてほしい。私が花屋を探すし、気が向いたあなたが探してくれてもいい。あなたが選んでくれた花は、五十年を経て八階の鍵になる。
花のついたゴムサンダルは、水に濡れて綺麗になった。足の指が濡れるのが気持ち良かった。八階に出ると、海が広がっている。いつか海水浴に行ったよね。三人くらいの、子どもたちと。私の髪は茶色に染められていて、きめの細かい肌だった。経産婦ではなかったし、生まれる前の粒子だった私。夜遅くまで起きては朝寝してしまうあなたの顔に、少しだけ張り付く粒子。海の中に飛び込むと、その粒子にまた戻れる。
リボンのついた身体
呼吸していることは
生きていることにはならない
水の中で沈みながら
濡れ切ったシャツの柄
何一つ分からなかったから
膨れた泡と目を合わせた
口の中で魚を飼っていた
小さい頃に言い付けられて
決まった時間にご飯を食べた
何か喋ろうとすると
水が溢れて
魚が死んでしまう
ずっと黙っていると
魚は歯の間でぴちぴちと跳ねた
鏡は湖だった
身なりを整えようとすると
決まって波打って朝の邪魔をした
目の位置は歪んで
鼻の形も崩れた
遅刻して泣きそうになると
静かな水面になった
特に必要はなかったが
どうしてもリボンを結びたかった
口から飛び出した魚は
広い流れに馴染んでいって消えた
髪が逆立っている私は
呼吸ができない場所に
とても安心している
金色の跡
金色の液体は、意識を失いかけていた。あともう少しで液体から気体になるところだった。私はキッチンの瓶に入っていたんです。丸くて注ぎ口の細い、可愛らしい瓶でした。ジャムの横に置いてあると、よく蜂蜜と間違えられました。蜂蜜よりは軽かったです。何かにつけるのではなく、そのまま飲むのが良かったようです。
同じ液体を、ホテルに泊まった俳優が飲んでいた。スイートルームの小さなベッドサイドテーブルに、丸い瓶が常に置いてあった。壁のように大きなガラス窓から、朝になる前の光が差していて、金色の液体を激しく光らせた。その光は毎回俳優の目を焼いた。疫病が流行っていたから、窓は少し開けることが推奨されていた。白いカーテンは俳優を守るように広がっていたが、それより彼は外を見たかった。これ以上ベッドに寝ていたくなかった。液体の瓶を毎日スタッフに届けさせるのも嫌だった。初めは丸く輝く瓶を外に投げようとしたが、少し考えてやめた。より大きなものを投げてみたいと思った。
そしてできた大きな金色の跡は、三十年経って女を苦しませた。金色を美しく思うなんて馬鹿げてる、と女は思った。菓子箱を触った時に手についたにおいを何度も洗い落とそうとした。小さな仕切りのような、薄暗い給湯室。電気をつけたら必ず消してね。一生光り続けるものなんてないからね。白熱電球の下で、浮かび上がった自分の手に泡をつけた。
木になるドライブ
二人で木になりたいと話していた。人一人ぶら下がっても大丈夫なくらいの丈夫な木に。森原はコートを着込んでいた。林野は寒くないの? 森原が言った。マスクのせいでメガネが曇っている。寒くないよ。暑くもないけど。そう、なら私より木に向いてるね。森原は悲しそうに言った。森原の方が木に向いてるよ、だって私よりずっと背が高いし、力が強いし、季節の変化に敏感だから。喘息の咳を出しながら、喫茶店で森原は頓服の薬を飲んだ。どういうタイミングで彼女が薬を飲むのか、私は知っている。森原が木になったとしたら、どれくらいの時間で通学路の街路樹と並ぶ高さになるか、予測することができるだろう。
林野は、木になって台風が来ても大丈夫だよね。私、台風が来たらきっと折れると思う。硬いタルトをフォークでばらそうとしながら、森原が言った。折れないよ。私は言った。林野の方が高い木になるし、高い木はしなやかだから、風が来てもきっと揺れるだけで折れはしないよ。窓からは枝を剪定された街路樹が並んでいる。私たちが並んで街路樹になったら、葉をたくさん落として人に迷惑をかけるだろう。それでもいいんだと、人間の姿の時に言われたかった。
運転免許を取ったので、お手本となる生き方をしている木を森原と見に行った。南から北まで、色々な木を見に行ったが、一番良かったのは北海道の木だった。森原みたいな木がたくさんあった。ドライブの途中で、森原は車に酔って道端で吐いた。コンビニのビニール袋で処理しようとする私に、彼女は弱々しく微笑んだ。ごめん、木の先輩の前でこんなことさせて。木の先輩たちは、夏の空の下で青々と立っていた。冬になると揃って葉を落とすのだろう。私もその中に人のままで混ざって、雪に埋もれたかった。
木になりたいのは結局森原だけで、私は木になった森原の近くにいたいのだった。そう告げると、森原も木になった私の近くにいたいのだと言った。お互いがお互いにぶら下がりたいのだった。結局それでは木になる意味がなかった。木にならない人間のままで、私たちはドライブを続けるのだった。
秋の男
男は素肌で感じなかった
パンツを浸した水もなかった
樋口さんがそのことはやっていて
いつも最後に電話を取った
ワイシャツを脱ぐと服がない
書斎に葉っぱが置いていた
窓はいつから開けっぱなしで
カーテンが覆って隠していた
葉脈が小さく男を呼んだ
お前は我らの跡継ぎである
庭に植えられたイチョウは
やたらめったら実をつけて
秋になったら地面に広がる
成人した長男がむずかり
パパ、ぎんなんとって
茶碗蒸しが食べられない
ご飯に味がしたことがない
雰囲気のおいしさ
娘は料理をしない
性別の気まずさ
葉っぱを拾い窓を閉めて
カーテンを開けよう
私が全てやりますよ
樋口さんは俺を無痛にする
カメラに映された俺の身体は
書類のようにコピーされ
光になり波になり
五万人ほどいるのに
何も感じない
レプリカ
街の生活振興センターに
置いてあった
レプリカの型
確かに人型をしていたが
手足は短く頭は丸すぎて
普通には身体が入りそうにない
膝を折り曲げて股下を調節し
手を折り曲げて指を一本ずつ合わせて
頭に食い込む紙の痛さに耐えて
何とかレプリカにはまった
街の生活振興センターの職員さんは
わあ偉いねちゃんとはまれて、
と私を褒めた
街の生活振興センターでは
毎年置かれているレプリカが変わる
去年はもう少し股下が長く
手は長く頭は大きかったようだ
来年はもっと股下が短く
手は短く頭が小さくなりそうだという
使わなくなったレプリカは
街のゴミ収集センターに
毎年運ばれていくという
規定年齢に達した私は
本物の型にはまりにいく
本物の型は鉄で出来ていて
レプリカの型よりずっとかたい
私は深呼吸して
型の中に入り込む
股下が短く足を切り落とす必要がある
手も短く切り落とす必要がある
指は四本に切り落とす必要がある
頭が大きいので削る必要がある
多くの工程を重ねて私はやっと型にはまった
審査員たちはそれでもまだ隙間がある、
と私を叱った
ピンクの水泳
起きた布団はピンクに濡れて
私は少し薄くなったみたいだ
路地裏を通ることも検討する
トンカツ弁当はちょっと高くなっていて
何切れも一気に頬張るとおいしい
干からびたピンクを洗わないまま
花柄のにおいに耐えて寝た
夢の中で私は人間で
大きな魚と泳いで暮らした
目覚ましは本能で鳴いていて
私はさらにピンクに濡らした
布団はうっとり付着してきて
皮膚は剥がれて悲鳴を上げた
遅刻するのは簡単だった
理由を言うのは難しかった
黒いスーツは私を守って
溶けた身体を見せはしない
ヒールを投げ出して
廊下に転がって
ピンク色は部屋中に溶け出して
夢の中の私はおしっこを漏らす
海の中だから気付かれない
目覚ましは沈んで鳴らなくなって
小さな肉のかけらは寝たまま
洪水の流れを掻き分けて泳ぐ
バーチャル総務部
時間通りに起動して
スーツを着た姿で登場
脳みそに顧客のデータを送られ
手を使わずに電話する
設定された声に合うように
記号を入力して口を動かす
大きい口の時は目を見開き
小さい口の時は目を閉じる
人間の仲間には入れない
無数の記号の組み合わせ
計算せずに瞬時に編み出す
アイドルみたいな顔で
少しだけ選べる髪型で
賃金のいらない存在で
スイッチ押されて一緒に消える
営業部の中田さんは
私のことがお気に入り
総務部に入り
ブラウスのリボン揺らして
動けない私に接吻する
光でできた私の体と
実物大の中田さん
抱きしめられて私の体は
ドットの布地に投影される
設定されていないから
声は出せない
私からは会いに行けない
私そのもの
近所を散歩していると
私にそっくりな人が
向こう側から歩いてきたため
思わず呼び止めそうになった
その人は
私より長く髪を伸ばしていて
爪を黄色く塗っていて
水色のジーンズを履いていた
歩き方も
音楽を聴いている耳も
うつむいた顔も
私そのもので
まじまじと見ているうちに
通り過ぎていってしまう
黒髪はちょっといい匂いがして
私のシャンプーの匂いと同じだった
帰ってからふと思いついて
鏡の前に立って自分を点検した
肩くらいの髪に
右頬にあるほくろ
爪には何も塗っていなくて
紺色のワンピースが似合っている
私は確かに私なのだと思っていると
呼び鈴が鳴った
慌てて玄関に出ると
白いスニーカーを履いて
茶色のシャツを着ていたのは
確かに京ちゃんだった
親しげに話す京ちゃんは
裏側が真っ白で
うなじから背中にかけて
罫線が印刷されていた
そこには文字が小さく書かれていて
よく見ると私の右上がりの字だ
その背中を軽く押すと
京ちゃんは
ドアから吹き込んだ風に
勢いよく飛んでいってしまった
それを追って廊下に飛び出すと
髪の長い私が目の前に立っていた
私は悲しそうな私に見守られながら
薄い体をしならせ
風に乗って飛んでいった
ひでのり
ひでのりは車に変身する 銀色のレクサス 背びれのあたりがガソリンでかゆい 十年経ったローンも忘れて 好きだったヨーグルトのことを考える 波が静かな夜は 名刺を切らすこともない 星のようなプランクトンを食べ 白内障の瞳が輝く 出て行った娘とそばにいる息子 顔を思い出せないまま サンゴ礁の中を探す
たまには会いに来てください
高速道路を走っていると、首に札を下げた子どもたちが並んでいる。車は猛スピードで走るので、子どもたちの顔は残像になってはっきりとは見えない。見えないのだけれど、その中に自分の顔があったような気がして、目をこする。
子どもたちだと思ったのはヤシの木だった。どうやら立たせていてもしかたないからヤシの木に変えられたらしい。ヤシの木は県境に立っていて、北から来た客を並んで出迎える。北から来た客はこれが南か、と思う。「これが南です」。子どもたちだったヤシの木は最新の注意を払って思う。気をつけないと、また先生に怒られるよ。
台風が来る。ヤシの木は強風をもろに受け、高い頭を危なっかしく揺らす。叩かれた時の脳震盪に似たような感覚がヤシの木を襲う。ここは海沿いだから毎回台風が来る。背の高い私たちはそれにいつも怯えている。ここに並ぶヤシに変えられたのも罰だったんだ、と思う。
何十年後のテレビでは、何重にも札を下げた人がラーメンを食べている。テレビに出るためにはできるだけたくさんの札を下げなければならない。昔の粗末なものと違って、首の紐はカラフルで全十種類。札も木製ではなくプラスチック製で、涼しげなクリアカラーは夏におすすめです。
何十年後の子どもたちは、服に木の破片をたくさんつけている。あまりにも細かい破片なので、彼らは全く気づいていない。彼らの曽祖父母はヤシの木になっているので、墓参りの代わりに道路沿いを見にいく。私もそこにいるので、たまには会いに来てください。