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H29共通テスト試行調査 日本史

【H29共通テスト試行調査 日本史】  

第1問は前近代のテーマ史(5問)、第2問は原始・古代史(4問)、第3問は中世史(4問)、第4問は近世史(4問)、第5問は近代史(5問)、第6問は近・現代史(8問)。問題の構成や前近代史と近・現代史の出題の比重(57:43)で旧行のセンター試験とさして変わらない。しかし、センター試験が歴史的事象の正しい理解を直接問う問題が主だったのに対し、本問では資料や図表がふんだんに盛り込まれ、問われているテーマを発見し、必要な知識を援用しながら、論理的に答えを導くような問題が目立っている。その形式に慣れる必要はあるが、ともあれ、歴史の文脈にそれぞれの事象を位置づけ、他の事象と比較しながら、歴史の総体を体系的に理解していく、という学びが必要なのは言うまでもない。  

第1問(「意思決定」のあり方についてのテーマ史、易)  

問1から問4まで各時代の資料を分析し、仮説を立てるという流れの中に空所が設けられている。問1は『小右記』(藤原実資)などを参考に作られた現代語の資料から分析される「議事の進め方」と「決定の方法」についての正しい説明の組み合わせを選ぶ問題である。ただの読み取り(あえて必要な知識をあげると参議が大臣より下位であること)で容易。答えは②。  

問2は、『御成敗式目』(1232北条泰時)の原文史料から分析された内容について、空所ア・イ(アの理由)に入る正しい説明の組み合わせを選ぶ問題。少し戸惑うかもしれないのは、空所アに入れる内容が二つ(I、II)ありうるとした上で、それぞれの理由をイの選択肢から選ぶところだ。史料の解釈の現場において多様な解釈が成り立ちうることを示唆しているのか。ともあれ、問1よりは資料が原文である分厄介にうつるかもしれないが、超重要史料でもあるし、「道理」「権門(注あり)」についての正しい理解があれば容易だったはず。答えは①。  

問3は、惣村に関するの図式化された資料(その内に原文史料として『今堀日吉神社文書』(→惣掟)が繰り込まれている)から分析された内容と、そこから導かれる仮説について、空所ウ・エ(ウの背景)に入る正しい説明の組み合わせを選ぶ問題であふ。ウは「寄合」で決められる内容についてだから、原文史料の惣掟を参考にすればよい。すなわち「咎(→注:罰金)」についての規定になっているからウはY「…裁判権の行使に関すること」となり、その背景エは資料より「寄合」が「惣村の自治的協議機関」であることを踏まえ、b「…村の秩序を自分たちの力で共同して守ろうとした」となる。むろん「自検断(地下検断)」について問うているのである。答えは④。  

問4は、戦国時代の堺が会合衆によって治められ、それがベニス市の執政官に対応する(←ガスパル・ヴィレイラ)という調べ学習と、そこから参照される「『フリードリヒ1世事績録』におけるベニス市などの記述」という翻訳資料(A)をもとに導かれた、堺の町の運営についての仮説に当てはまる図を選ぶ問題である。「会合衆=執政官」とみなしていいならば、会合衆の説明は執政官について述べたAに求められることになる。Aより「命令者よりも執政官の意見によって治められている(B)」「執政官は…各身分から選ばれる。また支配欲が出ないよう…ほぼ毎年交代する(C)」に着目すると、幕府-大名から「自立」していて(Bと対応)、会合衆が町衆を「代表」している(Cと対応)、③が正解となる。  

問5は、以上の問4までの資料と考察を踏まえた上で、それを総合した2つの見解の正誤の組み合わせを選ぶ問題である。「ルールにもとづいて」「階層によって参加が制限」はともに正しい。答えは①。  

第2問(原始・古代史、標準)  

問1は、邪馬台国からヤマト政権にいたる3世紀から5世紀の歴史の展開を、邪馬台国=近畿説でまとめたノートがあげられ、4世紀のところが空所になっている。前後の3世紀「邪馬台国を中心に、30カ国ほどが連合…」と5世紀「近畿地方の王権が関東から九州まで勢力をのばし…」の間の4世紀にあてはまるものを考えると、「近畿地方の勢力が力を強め/墳墓や祭祀の形式をもとにする政治的統合」がふさわしいということになる。ヤマト政権が確立した4世紀は古墳時代の前期にあたり、5世紀の軍事的支配に比して、祭祀的支配が依然として優越した時期でもある。答えは④。③は「仏教の信仰」がダメ。仏教の信仰がヤマト政権で一般化するのは、それが公式にもたらされた6世紀以降となるからである。  

問2は、『「魏志」倭人伝』の原文史料が提示され、下線が引かれている「下戸」「難升米」がそれぞれ考えたと思われることの正しい組み合わせを選ぶという、一見ファンタジー感あふれる出題である。「下戸」は「大人」に対して身分の低い者、「難升米」は卑弥呼が魏に遣わした使者(もちろん朝貢形式)であることを史料から確認し、一方で選択肢のaとdが対で「下戸」の項目、選択肢のbとcが対で「難升米」の項目であることを整理し、①を正解として選ぶ。  

問3は、6世紀の梁(南朝)の武帝への外交使節の姿を描いた「梁職貢図」の中で、倭国史と百済史の描かれ方が違うことの理由の正誤を、6世紀前半の梁と倭・百済の外交関係を表した年表を手がかりに答える問題。こうして、問題意図を整理するだけで答えは半分出るようになっている。年表によると、その間、百済が6度梁に朝貢するなり関係を結んでいるのに対し、倭は初めに将軍号を受けたきりである。これより、X「百済/中国から積極的に文化を受け入れている/中国風の身なり」は正しく、Y「倭/ひんぱんに朝貢していない/古い時代の風俗で描かれている」も正しい。答えは①。  

問4は、藤原道長が埋納した経筒の写真と、そこに記された埋経の趣旨が資料として提示され、この経筒に示される仏教信仰を表す文化財として適当でない写真を選ぶものである。はっきり言って経筒の写真はどうでもよく、趣旨文の「極楽浄土に往生することを願う」の一節から、ここでの仏教信仰が10世紀以降(国風期)に末法思想とともに広まった浄土信仰だとつかむことが肝要である。あとは写真の文化財が、浄土信仰を表すそれかどうかの判別だ。
①は六波羅蜜寺の空也上人像である。鎌倉時代の仏師康勝の作だが、言うまでもなく空也は市聖と呼ばれ10世紀前半に早く浄土信仰を広めた僧である。②は曼荼羅(教王護国寺、金剛界)でこちらは弘仁・貞観期(9世紀)の密教文化。③は平等院鳳凰堂。末法元年とされた1052年の翌年に藤原頼通によって建立された代表的な阿弥陀堂建築。④は来迎図(高野山聖衆来迎図)。もちろん浄土信仰を表す絵画様式である。②が正解。
本問の正答率は30.6%で低い。問題としては、あまり面白くない最初のひねりがあるだけで、該当する文化財を写真で選ばせるのは従来のセンター試験と変わらない。文化を整理するときには、同時代の政治史などと関連づけること、前後の時代の対照的な文化と比較しながら併せて理解すること(ここでの弘仁・貞観文化と国風文化のように)がコツになる。  

第3問(中世史、標準)  

問3までは、資料として「伯耆国東郷荘下地中分絵図」とその拡大図2枚、注釈、絵図の裏書(現代語)が示してある。問1は絵図が描かれた時代を問う問題。地頭請と併せて下地中分が起こるようになった契機は、1221年の承久の乱で幕府が勝利し、朝廷方の支配していた西日本に地頭(新補地頭)が広く設置されるようになったことである。地頭の年貢の未納などに悩まされた公家方の荘園領主は、その対処として地頭請や下地中分を地頭に認めるようになったのだ。
Aは荘園公領制について述べており、その成立は院政が始まる11世紀後半となる。Bは頼朝が朝廷から得た守護・地頭の設置権についてであり、平家滅亡直後の1185年となる。Cは承久の乱後の新補地頭の設置について述べている。Dは戦国大名の領国支配により荘園制(土地の重層的支配)が解体したことについて。1467年の応仁の乱勃発により戦国期に入る。以上より、答えは④。
正答率は37.0%で低め。こうした時代整序の問題も、問い方は違えど、センターから継続して重視されるだろう。普段から歴史の因果をしっかりおさえて理解することである。  

問2は、絵図中に何本もの中分線が見られる理由について聞いている。資料の絵図の裏書きの「ただし」以降を読めば書いてある。そこを見つければおしまい。答えは②。  

問3は、絵図から読み取ることのできないものを選ぶ問題。①「どのような宗教施設があったか」→置福寺、木谷寺、一宮。②「どのような仕事をしていたか」→何より田畑がある。③「年貢や公事はどのような方法で徴収されたか」→徴収法の説明は絵図には馴染まないだろう。読み取れない。④「下地中分は政権により承認されていたか」→絵図の注釈により執権・連署の署名があったことが分かる。答えは③。  

問4は、仏教の社会的役割に関する3枚のカードを参考に、仏堂の内部を上から見た3つの模式図を古いものから並べる問題である。まず左のカードは「国家の安定を目的」とあるから鎮護国家の奈良仏教を指す。模式図との対応を考えるときに、「僧侶だけが仏堂の中で読経(A)」という空間についての説明部を拾っておく。真ん中のカードは「民衆を救済する仏教が成立」とあるから一般的には鎌倉仏教のことだろう。同じく、「信者が一斉に集まって祈る場としての仏堂(B)」を拾っておく。右のカードは「仏の加護を願って…仏堂にこもる習慣が貴族の間に広がっていった(C)」とあるから、仏教が個人救済のものとして貴族に浸透する平安仏教を指す。カードを古い順から並べると、「左(A)→右(C)→中(B)」となる。
上の整理の後に各模式図を見ると、ウからイヘと礼堂が加わった分、空間が拡張していることが分かる。これがAからCの変化と対応するのではないか。また、アには大きな広間が設けられているが、これがBと対応すると考えれば筋が通る。よって⑥が正解。読み取りの上に、論理的推論が必要となる問題であった。正答率は28.9%と低い。  

第4問(近世史、標準)  

問1は、戦国大名と江戸時代の大名を比べた表の中で、間違った記述を選ぶ問題。ただのもったいぶった正誤問題で、江戸時代の大名についての記述の⑤「幕府の指示がなくても、常に城郭を整備・修復するように求められた」が明らかにおかしい。すでに最初の武家諸法度(元和令1615)の時点で居城修築の届出制が定められており、福島政則はそれへの違反で改易に処せられた。よって⑤が正解。  

問2は、参勤交代を通して大名が江戸に愛着をもつようになったという複数の資料を基に立てた仮説として、成り立たないものを選ぶ問題。①「江戸文化に親しんだ生活→出費が増加し財政悪化」は成り立つ。②「幼少より江戸住まい→大名や嫡子の交流が盛んになる」は成り立つ。③「上げ米の制→大名に歓迎」という論理だが、上げ米の制とは大名に1万石につき米を百石上納させる代わりに参勤交代の在府を半年にするという制度なので、大名は別の意味で喜ぶとしても「江戸好き」から導かれる仮説に適合しない。④「廃藩置県による旧大名の東京集住→抵抗なし」は、一方で強い抵抗もあったはずだが、「江戸好き」から導かれる仮説としては適合する。よって③が正解。上げ米の正確な知識を前提として、論理的な整合性を問う問題であった。  

問3は、近世の藩政改革について、改革が必要になった状況と改革の施策とを矢印で結んだ4つのカードのうち、両者の関係が適当でないものを選ぶ問題。①「17C寛永の飢饉→治水・新田開発による財政安定化」は適当。②「18C後半、年貢減少等の財政危機→特産物の増産、自由販売」は不適当。自由販売なら藩財政の立て直しはできない。専売制の導入が正しい。③「19C前半、国内外の危機→有能な中下級武士の登用」は適当。この時期は村田清風(長州)、調所広郷(薩摩)が有名。④「19C前半、藩の財力・軍事力強化→専売制の強化・洋式技術の導入」は適当。よって②が正解。これも、基本的なしくみの理解を前提に、論理的な整合性を問う問題。正答率は37.7%と低め。  

問4は、昆布について調べたノートを参考に、近世の流通に関して、那覇市の昆布消費量が多いことの歴史的背景となる事項の正しい組み合わせを選ぶ問題。ノートからは昆布の主要産地が北海道であることをおさえておく。近世の流通を踏まえると、蝦夷地の海産物は北前船で内地へ、西廻り航路を通じて「天下の台所」大坂へ運ばれ、そこから全国に流通した。一部、長崎から俵物として中国へ輸出された。また、近世の那覇は琉球王国の首都首里の外港であるが、その琉球との貿易は「四つの口」の一つとして半ば琉球を支配下においていた薩摩藩が独占していた。ここまで、基礎知識として整理されていることが望ましい。以上より、acの二つが関連する事項としてふさわしいことになり、答えは①となる。  

第5問(近代史、標準)  

問1は、ペリー来航(1853)の背景・原因と結果・影響の正しい組み合わせを選ぶ問題。まずaとbから背景・原因を選ぶと、a「…貿易船(→中国)や捕鯨船の安全に関心が生じた」が妥当である。一方、b「国内を二分した戦争」というのはアメリカ南北戦争(1861〜65)のことで時間的に後であり、通商条約締結(1858)直後の対米貿易が伸びなかった理由である。
次にcとdから結果・影響を選ぶと、cは「…欧米への関心が高まった」が妥当である。一方、d「アメリカは日本にとっての最大の貿易相手国」は、先に述べた理由で不適当で、最大の貿易相手国はイギリスだった。答えは①。正答率は34.2%で低い。南北戦争についての理解が弱かったのだろう。  

問2は、日米修好通商条約締結における幕府の対応について、2つの評価とその根拠の正しい組み合わせを選ぶ問題。まずXの評価は「外交経験が不足/外国の利益を優先した条約」とマイナス評価である。その根拠をaとbから選ぶわけだが、aが「のちに条約を改正することを可能とする条文が盛り込まれていた」とプラス評価なのに対し、bは「日本に税率の決定権がなく…協定関税制を認めた」とマイナス評価である。これからXとの組み合わせはbとなる。
一方、Yの評価は「日本の実情をもとに/合理的に判断し、主体的に条約を結んだ」とプラス評価である。その根拠をcとdから選ぶわけだが、dが「日本は片務的最恵国待遇を認めた」とマイナス評価なのに対し、cは「外国人の居住と商業活動の範囲を制限する居留地を設けた」とプラス評価である。これからYとの組み合わせはcとなる。答えは③。  

問3は、幕府滅亡への画期として、(ア)桜田門外の変(1560)と(イ)第二次長州征討(1866)のどちらかを支持し、その理由として適切なものを選ぶ問題だ。注意しなければならないのは、(ア)と(イ)どちらを選んでもよいということだ。よって答えは2パターンある。まず(ア)を選んだ場合。桜田門外で暗殺された井伊直弼は、幕府臨時の最高職である大老として権力を握り、通商条約に調印し(結果として無勅許調印だった)、将軍継嗣を徳川慶福(14代家茂)に決定した上で、反対派である一橋派を弾圧した(安政の大獄)人物である。その井伊直弼が水戸(一橋派)の脱藩浪士に暗殺された衝撃は言うまでもない。この理解から④「専制政治を進めてきた幕府/強権で反対派を押さえられなくなったから」が(ア)を支持する理由となる。
(イ)を選んだ場合。第二次長州征討は、再度幕府に対抗的な勢力が実権を握った長州藩を、大軍を率いて幕府軍が攻め立てようとしたものである。しかし実際は、その直前に薩長の密約(薩長同盟)が結ばれており薩摩藩は動かず、またイギリスの支援を受けて軍事面での近代化を進めていた長州藩が徹底抗戦する中、14代家茂が急死したことで幕府から休戦を申し出る形に終わった。この理解から②「圧倒的な軍事力を背景とした幕府支配が困難となったから」が(イ)を支持する理由となる。
以上より、①-④または②-②の2通りの組み合わせが正解となる。なお、理由の①「流通機構が混乱し、幕府の市場統制力が弱まったから」は日米修好通商条約調印を「画期」とする立場、理由の③「幕府は朝廷への報告を行い、諸大名にも広く意見を述べさせたため、外交を専断できなくなったから」はペリー来航を「画期」とする立場とそれぞれ対応する。何を「画期」とするかで立場は分かれても、その論理的妥当性の評価は別にあることを示唆する作問だと言えるだろう。ともあれ、歴史的事象の正確な理解が問われている。  

問4は、明治時代に作られたすごろくに対する会話の中に空所が設けられている問題である。空所はすごろくの主題を述べる部分だが、すごろくが「国会開設の大詔(1881)→…→福島事件(1882)→…→憲法発布(1889)→帝国議会(1890)=上がり」となっていることから、「立憲政治が成立する過程」とある③が正解となる。  

問5は「次第に選挙権を有する人たちが多くなっていった」ことを証明するために今後調べるべきことがらとして適当でないものを選ぶ問題。①「選挙後の政党の勢力分布が分かるので、第1回帝国議会の議場と議員の様子が描かれている絵画資料を調べる」では、選挙権の拡大を証明する材料にはならない。それに対して、②「選挙法の改正を審議している議会の議事録」、③「選挙資格を持つ納税者の推移」、④「どのような人々に投票を呼びかけているかが分かる/衆議院選挙で使われたポスター」はそれぞれ証明する材料になりうる。答えは①。論理的な整合性だけを問う退屈な問題。  

第6問(近・現代史、標準)  

問1は、1880年から1940年にいたる全製造工業生産額の10年ごとの増加分に占める3つの分野の工業生産額の増加分の割合を示したグラフを見て、その説明の正誤の正しい組み合わせを選ぶ問題である。3つの分野は、繊維工業、鉄鋼業、機械工業・造船業である。X「繊維工業は、1920年代まで日本の製造工業生産額の成長をけん引していた」については、グラフの1920/1930(→1920年代)のところまで確かに繊維工業が常にトップの割合で、その後1930/1940(→1930年代)では最下位に落ち込んでいるので、正しいと言える。
Y「機械工業・造船業は、軍備が拡大する時期に成長する傾向がみられた」について。日本の軍備拡張期は、日本が参戦した日清戦争(1894)、日露戦争(1904)、第一次大戦(1914〜)、満州事変以降の十五年戦争(1931〜)と対応する。例外的に第一次大戦後の1920年代だけは、山東出兵(1927)などの例外はあるが、概ね世界的基調であった協調外交に従い軍備は抑えられた時期であった。それを踏まえると、グラフの1920/1930(→1920年代)にいたる折れ線のみ右下がりで、他は右上がりになっていることから、Yの記述は正しいと言える。答えは①。  

問2は、1880年から1910年までの期間で、国内産業と貿易との関係を説明した文として誤っているものを選ぶ問題である。①「紡績業/機械制大量生産→綿糸輸出増加」については、紡績業を中心に軽工業の産業革命が進んだのは日清戦争(1894)前後であり、1890年に綿糸の生産量が輸入量を超えたのに続き、1897年には輸出量が輸入量を超えたことを想起する。よって妥当。②「造船条例法→鉄鋼船輸入に歯止め」については、1896年に航海奨励法とともに成立した造船奨励法で、船舶の国産化が一定程度進んだと言えるので、妥当。③「製糸業→生糸輸出が外貨獲得に貢献」については、明治期の日本の産業をともに引っ張った紡績業が原料を輸入綿花に依存していたのに対し、製糸業は国産繭を原料としたので、外貨獲得産業たりえたと言える。妥当。④「官営八幡製鉄所の創業開始→鉄鋼の中国輸出」については、そんな馬鹿なと思わなければならない。八幡製鉄所の創業は1901年だが、これによりようやく鉄鋼生産の国産化の端緒が開かれたのである。よって誤りで、④が正解となる。正答率は31.7%で低い。  

問3は1930年代の経済政策を示した資料としてあてはまるものの正誤の組み合わせを選ぶ問題。いずれも通商産業省編『商工政策史』からとってある。この時代の経済政策が、1931年の満州事変から始まる恒常的な戦争状態の中で、軍需に国内資源を優先的に配分する統制経済色を強めていったことに留意したい。ならば、I「住民の食、衣および住に必要となる商品の生産に優先順位を与えなければならない」は思想的に逆。
一方、II「八幡製鉄所および民間製鉄会社を打って一丸とする大合同会社(→戦前の日本製鉄)を設立し、その完全な統制の下におく」は妥当。Ⅲ「現在の時局を考慮して綿花の輸入を制限するとともに、これを原料とする綿製品の輸出を促進し」は、昭和恐慌発生後(1930)の高橋財政期の政策にあたり妥当。蔵相高橋是清は、金輸出再禁止後の低為替を利用して綿製品の輸出を促進したが(綿布輸出は世界一に)、イギリスなどから「ソーシャル・ダンピング」だと非難され、ブロック経済体制を促すことにもなった。以上より、答えは③。正答率は38.6%で低い。  

問4は、ある戦争画(→藤田嗣治『アッツ島玉砕』)と資料(河田明久「『戦争画』の基礎知識」)に関する説明として適当なものを2つ選ぶ問題。先に文字資料を確認すると、戦局と対応させて戦争画を3つの段階に分類していることに気づくだろう。まず、日中戦争期(1937〜)の過剰な演出をせず、兵士の後ろ姿を描き見る人の感情移入を誘う型。次に、真珠湾攻撃(1941.12)以降の「正義の味方の勝利」がてらいなく表現される型。最後に、ミッドウェー海戦(1941.6)敗北以降の戦局悪化で従軍画家が激減する中、想像力で埋め合わされた型。
こうした資料の整理から与えられた戦争画を見ると、敵味方が密集して入り乱れ、死者や負傷者が横たわる様子は、従軍画家がその場で描いたものではなく、戦局も悪化している時期のものであると読み取れよう。よって、まずは「ミッドウェー海戦敗北による戦局悪化後に描かれた絵画」とする③が正解とわかる。それとの組み合わせで、もう一つの正解は「日本兵の死という主題で、総力戦への覚悟を国民に促すもの」とする⑤となる。消去法でも、④「まもなく戦争が終わることを国民に知らせる」、⑥「社会主義運動を暗示する」は明らかに間違いだとわかるだろう。  

問5は、敗戦直後に日本人が置かれた状況に関して述べた文と該当する地域の組み合わせとして正しいものを選ぶ問題。X「ソ連軍侵攻/日本国内への引揚げ/残留孤児」とあるから旧満州国。Y「日本本土から切り離され/アメリカの施政権下に」とあるから沖縄。答えは②。  

問6は2カ所の空欄に入る語句の組み合わせとして正しいものを選ぶ問題。アは「この年」=1955年に発生したものだから、「アメリカ軍による特殊需要」=朝鮮戦争勃発(1950)による特需ではなく、神武景気以降の「大型設備投資による景気拡大」を選ぶ。イは戦前最大の輸出先で戦後は貿易が途絶えた国だから、中国となる。答えは④。なんと正答率21.1%。戦後は、まだやってなかったのかな?  

問7は1955年の頃のできごとの説明として適当でないものを選ぶ問題。①は第五福竜丸のビキニ環礁での被曝をきっかけに、翌年広島で開かれた「第一回原水爆禁止世界大会」(1955)の説明なので適当。②は労働運動が「春闘」方式に変化したのは1955年なので、適当。③「革新勢力が党勢を拡大する動き」とは社会党の左右統一を指しており、それに対して「財界の強い要望を背景に」誕生した「単一保守政党」とは民主党と自由党が合流してできた自由民主党。むろん1955年のできごとで、ここに与党は自民党、野党第一党は社会党が常に占め、社会党ほかの野党勢力で自民党の半分以上の議席数(全体で三分の一以上の議席数=改憲阻止可能な議席数)を維持する55年体制が成立した。④「(韓国を)朝鮮半島唯一の合法的政府」として認め国交を樹立した条約は日韓基本条約であるが、その調印は1965年なので時期が合わない。よって④が正解。正答率は25.8%。  

問8は、1955年度から1985年度までの5年おきの日本の食料自給率の推移を表す表を見て、その説明として正しい組み合わせを選ぶ問題。a「外国産果物の輸入自由化が広がり…」は、表より65年度以降自給率が減少傾向にあることから適当。b「水産物は輸入に大きく依存」は、85年度までの時点で魚介類の自給率は90%以上が維持されているので不適当。c「食生活の変化/洋食関連の輸入が増えた」は、小麦(パン)や肉類、乳製品の自給率が、特に高度成長を達成した70年度以降、低下しているのと対応している。適当。d「輸入米の増加」は表からも基礎知識の上でも不適当。米の輸入は1993年の緊急輸入を経て1995年のミニマム・アクセスの設定以降となる(1999年から自由化)。よって①が正解。

#大学受験  #共通テスト #試行調査 #日本史

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