2009東京大学/国語/第四問(随想)/解答解説
【2009東京大学/国語/第四問(随想)/解答解説】
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2010東大国語/第四問↓↓ #小野十三郎
https://m.facebook.com/story.php?story_fbid=960661204124900&id=156247554566273
2011東大国語/第四問↓↓ #今福龍太
https://m.facebook.com/story.php?story_fbid=949928421864845&id=156247554566273
2013東大国語/第四問↓↓ #前田英樹
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〈本文理解〉
出典は馬場あき子「山羊小母たちの時間」。
①~④段落。いなかに、山羊小母(めんこばんば)と呼ばれている百一歳の叔母がいる。山羊小母の家に行ったことは二、三度しかないが説明するとなると結構大変である。一見、藁葺屋根のふつうの農家だが、入口を入ると土間があって、その土間を只見川の支流から引き入れた水が溝川をなして流れている。土間から上った板敷には囲炉裏が切ってあり、戦前までは小作の人たちが暖を取っていたという。板敷につづく少し高い間にはぶ厚い藁茣蓙が敷かれていて、大きな四角い火鉢が置かれ、太い炭がまっかに熾され鉄瓶の湯が煮えたぎっていた。そのまた奥に一段高い座敷があり、そこが仏壇のある当主の居間であった。
土間からの上がり框には腰かけて休息の湯を飲む忙しい日の手伝い人もいたり、囲炉裏のまわりの人の中にはすぐに立てるように片膝を立てて座っている若い者もあったという。「農業が盛んだった頃の一風景が、段差のある家の構造自体の中に残っているのだ」(傍線部ア)。
⑤⑥段落。戦後六十年以上たって農村はまるで変ったが、家だけは今も残っていて、山羊小母はこの家に一人住んでいた。夫は早く亡くなり、息子たちも都会に流出し、長男も仕事が忙しく別居していた。私がこの叔母の家に行ったのはその頃だった。家は戸障子を取りはずして、ほとんどがらんどうの空間の中に平然として、小さくちんまりと座っている。「さびしくないの」ときいてみると、何ともユニークな答えがかえってきた。「なあんもさびしかないよ。この家の中にはいっぱいご先祖さまがいて、毎日守っていて下さるんだ。お仏壇にお経は上げないけれど、その日あったことはみんな話しているよ」というわけである。家の中のほの暗い隅々にはたくさんの祖霊が住んでいて、今やけっこう大家族なのだという。それはどこか怖いような夜に思えるが、長く生きて沢山の人の死を看取ったり、一生という命運を見届けてきた山羊小母にとっては、「温(ぬく)とい思い出の影がその辺いっぱいに漂っているようなもので、かえって安らかなのである」(傍線部イ)。
⑦⑧段落。私のような都会育ちのものは、どうかすると人間がもっている時間というものをつい忘れて、えたいのしれない時間に追いまわされて焦っているのだが、山羊小母の意識にある人間の時間はもっと長く、前代、前々代へと遡る広がりがあって、そしてその時間を受け継いでいるいまの時間なのだ。築百八十年の家に住んでいると、しぜんにそうなるのだろうか。村の古い馴染みの家の一軒一軒にある時間、それは、そこに生きた人間の貌や、姿や、生きた物語とともに伝えられてきたものである。破滅に瀕した時間もあれば、興隆の活力をみせた時間もある。そんな物語や逸話を伝えるのが老人たちの役割だった。
⑨~⑪段落。冬は雪が屋敷の一回部分を埋めつくした。いまは雪もそんなに降らなくなり、道にも融雪器がついて交通も便利になった。それでも一冬に一度ぐらいは大雪が降り車が通らなくなることがある。長靴でぶすっぶすっと膝まで沈む雪の庭を歩いていると、山羊小母はそのかたわらを雪下駄を履いてすいすいと歩いてゆく。ふしぎな、妖しい歩行術である。どこか山姥のような気配があった。こういう「ばっば」とか「おばば」と呼ばれているお年寄りがどの家にもいて、長い女の時間を紡いでいたのだ。(本家のおばばの例)。命を継ぎ、命を継ぐ。そして列伝のように語り伝えられる長い時間の中に存在するからこそ安らかな人間の時間だということを、私は長く忘れていた。
⑫段落。長男でもなく二男でもない私の父は、「こんな村の時間からこぼれ落ちて、都市の一隅に一人一人がもつ一生という小さな時間を抱いて終った」(傍線部ウ)。私も都市に生れ、都市に育って、そういう時間を持っているだけだが、折ふしにこの山羊小母たちがもっている安らかな生の時間のことが思われる。「それはもう、昔語りの域に入りそうな伝説的時間になってしまったのであろうか」(傍線部エ)。
〈設問解説〉
問一 「農業が盛んだった頃の一風景が、段差のある家の構造自体の中に残っているのだ」(傍線部ア)とはどういうことか、説明せよ。(60字程度)
内容説明問題。「AがBの中に/残っている」という構文を、「残っている」という表現(「変化」が前提)に注意し、⑤段落冒頭「戦後六十年以上たって農村はまるで変わったが」を利用して、「戦後風景が一変した今も/BはAを想起させる」と変換する。Bを、前③段落から傍線前までの記述を踏まえ、「土間から居間まで段差で区切られた広い空間」と具体化する。
それが想起させるものは? これも同じ箇所を根拠に、「当時の農村の/身分関係に基づく/賑わい」となる。「賑わい」は傍線部の「盛ん」と、「身分関係」は傍線部の「段差」と対応させた。
<GV解答例>
戦後風景が一変した今も、土間から居間まで段差で区切られた広い空間は、当時の農村の身分関係に基づく人の賑わいを想起させるということ。(65)
<参考 S台解答例>
農家の構造には、かつて人々がそれぞれの役割に応じて自然と調和しながら生き生きと働いていた様子が窺えるということ。(56)
<参考 K塾解答例>
高い奥座敷から低い土間まで段差で仕切られた家のあり方そのものが、当主を軸に小作人や手伝い人で賑わっていた昔の農家の光景をしのばせるということ。(71)
<参考 T進解答例>
かつての農業が盛んだった頃の、いくつもの段差で区切られた家のなかのそれぞれの場所での物や人の織りなす活気ある光景が、今でも思い浮かぶということ。(72)
問二 「温(ぬく)とい思い出の影がその辺いっぱいに漂っているようなもので、かえって安らかなのである」(傍線部イ)とはどういうことか、説明せよ。(60字程度)
内容説明問題(逆説)。傍線部が逆説(パラドックス)の一部になっている。逆説の基本的形式は「Xは/かえって(逆に)/Y」となるが、一見対立する二項(X/Y)に加えて、それをつなぐ理由Rも合わせて指摘する。傍線部を一文に延ばして、記号化して表すと「Xだが/~叔母にとっては/Rなので/かえってYだ」(傍線はR以下の部分)。そこで⑤⑥段落より、Xは「がらんどうの空間/ほの暗い/寂しい/(よって)怖い」ということだが、それが叔母にとっては、「この家に生きた祖霊に囲まれているよう」なので(R)、かえって「安らか」(Y)なのである。
さらに、傍線部を承けて次⑦段落で、「(都会の)えたいのしれない時間」と対比して「山羊小母たちの意識にある人間の時間」について指摘していることに着目したい。その山羊小母の時間は、「前代、前々代へと遡る広がり」のある時間である。そうした時間の中にあって、山羊小母は、仏壇を前に祖霊に「その日あったこと」を報告するのである(←⑥)。築百八十年の家という空間における「過去から今につながる時間の共有」こそが、山羊小母に安らぎを与える。こうした見方の正しさは、⑪段落「列伝のように語り伝えられる長い時間の中に存在するからこそ安らか」という記述からも裏付けられる。
まとめると、がらんどうの寂しい実空間は、それゆえに、山羊小母の心に祖霊たちの存在を呼び込み、この家に長く横たわる時間を共有して、山羊小母は安らかな気持ちになるだった。
<GV解答例>
がらんどうで薄暗い一人寂しい空間であるからこそ、この家に生きた祖霊に囲まれ、これまでと今の時間を共有して安楽でいられるということ。(65)
<参考 S台解答例>
一人で家に居ることによって、自分を見守る祖霊や生をともにした人々と交感し、むしろ気持ちが穏やかになるということ。(56)
<参考 K塾解答例>
一人だけで住む家も、そこに暮らした家族や先祖たちの霊との交歓を実感しながら生きている叔母にとっては、むしろぬくもりや安心を感じる場だということ。(72)
<参考 T進解答例>
長く祖先へと遡る時間の広がりを受け継ぎ、関わりのあった祖霊に囲まれているような思いを抱いているので、一人暮らしの寂しさはなく、むしろ心落ち着くということ。(77)
問三 「こんな村の時間からこぼれ落ちて、都市の一隅に一人一人がもつ一生という小さな時間を抱いて終った」(傍線部ウ)とはどういうことか、説明せよ。(60字程度)
内容説明問題。筆者の父は、「こんな村の時間」(X)からこぼれ落ちて、「都市の一隅に一人一人がもつ/一生という小さな時間」(Y)を抱いて終った。XとYとの対比が解答の中心となる。Xは、前⑪段「命を継ぎ、命を継ぐ、そして…語り伝えられる長い時間…人間の時間」を承け、さらに⑦段落「前代、前々代へと遡る広がりがあって、そしてその時間を受け継いでいるいまの時間」も参考になる。とくに、「命を継ぎ/命を継ぐ」の部分は、「時間を過去から受け継ぎ/未来へ受け継いでいく」ことと理解できる。これらより、Xを「農村の空間を基盤に/過去と未来へ広がる時間」とまとめる。
それと対比的に考えると、Yは「都市の個的に区切られた/限定された一人だけの人生」となるだろう。山羊小母らの生が、農村という空間を共有し、過去に未来に広がりをもつのに対し、そこから都市に移り住んだ父は、都市における空間的にも時間的にもセパレートされた人生を生き、終えたというのである。
<GV解答例>
農村の空間を共有して過去と未来へ広がる時間感覚から切り離され、都市に移り住んだ父は個的に区切られ限定された時間を生きたということ。(65)
<参考 S台解答例>
近代化とともに、祖先の命を受け継ぐ共同の生の時間から切り離され、都市の片隅で個としての生の時間を終えたということ。(57)
<参考 K塾解答例>
何世代も命を継承し人々の物語を伝承する共同体の生から離脱し、そうした継承のない都会で、他との関係を失った個としてその生涯を終えたということ。(70)
<参考 T進解答例>
老人が語り伝える祖先へと遡る長い時間の流れの中での安らかな村の暮らしを失い、時間に追いまわされる都市で、祖先と切り離されて孤独な個人としての生を終えたということ。(81)
問四 「それはもう、昔語りの域に入りそうな伝説的時間になってしまったのであろうか」(傍線部エ)とあるが、文中の「私」はなぜそう思うのか、本文全体を踏まえて説明せよ。(60字程度)
理由説明問題。「それ」とは、「山羊小母たちが持っている安らかな生の時間」(A)のことである。どうして、その時間が「昔語りの域に入りそうな/伝説的時間」になってしまいそうなのか。「昔語りの域」とは、「昔はあったが今はない」ということだろう。なぜそうなりつつあるのか。全文を踏まえて考える。
一つは、「私」もそうであるように都会育ちのものは、「人間がもっている時間…を忘れて、えたいのしれない時間に追いまわされて」(⑦)いるからである。それは農村においても言えることである(⑤)。つまり、農村も含めて、空間・時間ともに分立した(←問三)、都市的な生活が一般化した。よって、Aは、「伝説的時間」になってしまいそうなのである。
もう一つは、Aは山羊小母や本家のおばばのような存在(「ばっぱ」「おばば」)によって受け継がれてきた(⑩)からである。⑪段落「破滅に瀕した時間もあれば、興隆の活力をみせた時間もある。そんな物語や逸話を伝えるのが老人たちの役割だった」も根拠になる。つまり、都市的な生活が一般化する中で、農村の空間を基盤に過去から物語られ引き継がれてきた「安らかな時間」(A)は、それをありありと生きる「おばば」たちの存在からのみ想起される、「伝説的時間」になりつつあるのである。
<GV解答例>
農村も含めて時空が個的に分立した都市的な生活が一般化する中で、「おばば」たちの存在だけが祖霊へと連なる生の時間を思い起させるから。(65)
<参考 S台解答例>
利便性へと向かう都市化の圧倒的な流れは、都会育ちの筆者の感傷を越えて、今や農村をものみ尽くしてしまっているから。(56)
<参考 K塾解答例>
都会で慌ただしく暮らす「私」にとって、村に継承される安らかな生の時間は実感が乏しく、それも戦後の農村の変化とともに失われていくと思われるから。(71)
<参考 T進解答例>
村の老人たちが営む祖先につながる時間の中での安らかな暮らしは、「私」のような時間に追われる都会育ちには縁遠く、農村の変化の中で受け継ぐものもないから。(75)
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