2019大阪大学(文以外)/国語/第一問/解答解説
【2019大阪大学/国語(文以外)/第一問/解答解説】
〈本文理解〉
出典は水村美苗『日本語が亡びるとき──英語の世紀の中で』。
(前書き) 次の文章は、ベネディクト・アンダーソン『想像の共同体』を素材として、著者が言語について考察したものである。
①段落。今人類の多くは、自分たちの〈国語〉を、おのが民族が太古から使ってきた言葉だと思いこむにいたっている。ところが、『想像の共同体』によれば、〈国語〉とはいくつかの歴史的条件が重なって生まれたものでしかない。
②段落。〈国語〉の成立にかんしてのアンダーソンの歴史的分析が画期的なのは、資本主義の発達という下部組織のヴェクトルを入れたことにある。…「アンダーソンによれば、グーテンベルク印刷機の発明がのちの〈国語〉の成立に意味をもったのは、そのときヨーロッパでは資本主義がすでに十分に発達しており、書物が商品として市場で流通する下地ができていたからだという。書物が商品として市場で流通することによって、市場原理が働き、それが最終的には〈国語〉の成立を可能にしていったのであった」(傍線部A)。
③段落。グーテンベルク印刷機が発明される前、ヨーロッパの書物は、僧侶が一語一語羊皮紙に写しとる聖典や教義書でしかなかった。そしてそれらは、当時ほぼ唯一の〈書き言葉〉であったラテン語で書かれたものであった。ラテン語とは、二重言語者の言葉であり、二重言語者は極めて限られた数しかいなかった。だが、一語一語そのラテン語を羊皮紙に写しとるのでは、そうした二重言語者にさえ潤沢に行き渡るだけの書物も作れない。そこへ、グーテンベルク印刷機の発明とともにラテン語の聖書がまず印刷され、市場に出回るようになったのである。だが、それが商品として市場に出れば、それを買って読みたいという二重言語者の読者がすでに存在していたということであり、すでに供給に見合うだけの需要があったのであった。
④段落。のちに〈国語〉を可能にした〈俗語革命〉は、アンダーソンによれば、需要と供給という同じ市場原理によって、その次の段階におこるべくしておこった。
⑤段落。聖書に続き、さまざまな本がラテン語で出版されるようになるが、ラテン語を読めるのは薄い層に限られ、市場はじきに飽和する。新たな市場を開発するために、人々が巷で話す〈自分たちの言葉〉で書かれた本が、まさに市場原理によって出回るようになる必然性があったのである。かくして〈俗語革命〉が起こる。
⑥段落。「出版語」とは、〈書き言葉〉に昇格した「口語俗語」を指す概念である。人々が巷で使う「口語俗語」は地域、階級で数限りなくあるのに対し、「出版語」は自然に数が限られてこざるをえない。本が「大量生産工業製品」として利潤を生むには、ある程度の規模で出版されなくてはならないからである。かくして〈俗語革命〉を経たあと、ヨーロッパ全土にあった「口語俗語」が、いくつかの「出版語」に吸収された。これらの「出版語」を地域別に共有するうちに〈国民国家〉の基礎ができていったのである。
⑦⑧段落 (略)。
⑨段落。不思議なことがある。ここまで影響力をもった本、しかも〈国語〉にかんして深く広く述べている本に、すべての〈国語〉を越える〈普遍語〉としての英語にかんする考察がまったく欠落しているという点である。『想像の共同体』では英語という言葉はあまたある〈国語〉の一つとしてしか出てこない。アンダーソンには、英語がふつうの〈国語〉とはまったく別のレベルで機能する言葉となりつつあるという現実は、まるで見えていないのである。
⑩段落。なぜ、アンダーソンには、英語がほかの〈国語〉とはちがうということが見えなかったのか。
⑪段落。それは、何よりもまず、かれが英語を〈母語〉とする人間だからだとしか考えられない。…英語を〈母語〉とする人間は、自分が〈母語〉を書いているとき、実は自分が〈普遍語〉でも書いていることに、しばしば気づかないものである。…
⑫段落。〈普遍語〉にかんしての思考の欠落。
⑬段落。それが顕著に現れるのは『想像の共同体』にある「「聖なる言語」というもののアンダーソンの理解」(傍線部C)である。…
⑭段落 (略)。
⑮段落。「聖なる言語」をもっとも特徴づけることは何か?
⑯段落。それは、それらの言葉が、二重言語者が使う言葉であったという点にある。…アンダーソンにとって「聖なる言語」が二重言語者が使う言葉だったという認識は、それらの言葉が、ごく少数の人間が使う言葉であったという認識にすぐつながる。しかしながら、「聖なる言語」の第一義は、ごく少数の人間が使う言葉であったことにはなく、何よりも、それが異なった言葉を話す二重言語者たちのあいだでの交流を可能にする〈書き言葉〉だったことにある。「聖なる言語」は、無数の「口語俗語」しかない世界での〈普遍語〉だったのである。
⑰段落。事実、「聖なる言語」が少数の人間の言葉であったことに強調を置くアンダーソンが、「聖なる言語」にかんして、くり返し使う形容詞がある。「Arcane」──日本語で「秘儀的」と訳されている形容詞である。「聖なる言語」が「秘儀的」だということは、大多数にとってはアクセスがないものであることを意味する。だからこそ、「聖なる言語」は、その「秘儀的性格」ゆえに、少数者にとって悪用されるものとなる。かれらは、読み書きを「秘儀的」なものにとどめることによって、自分の権力を守ろうとする。事実一千年にわたって、ラテン語の聖書はほかの言葉に翻訳するのを禁じられていた。俗語の出版物が増え、宗教改革が広がるのを見たローマ法王庁は、「ラテン語の砦を守ろう」とし『禁書目録』を作ったりもする。「聖なる言語」は、圧制者が多数を無知のなかに閉じこめるための言葉だと糾弾されるに至るのである。
〈設問解説〉
問一 傍線部Aに関して、著者はアンダーソンによる分析として、グーテンベルク印刷機の発明から「出版語」の成立に至る過程において資本主義の存在が大きな役割を果たしていると説明している。どのような役割を果たしたと説明しているか、150字以内で説明しなさい。
内容説明問題(部分要約)。「グーテンベルク印刷機の発明」(S)から「「出版語」の成立」(G)に至る過程における、資本主義の役割についての説明が求められている。注意しなければならないのは傍線部に「そのとき(=印刷機の発明時)ヨーロッパでは資本主義が十分に発達しており、書物が商品として市場で流通する下地ができていた」とあるように、始点(S)と合わせて資本主義が起動しているということである。これを踏まえ、④段落の「その次の段階 /〈俗語革命〉」を境に、Sとともに起動する資本主義の役割の第一段階(X)と、Gを導く第二段落(Y)をそれぞれ、③段落と⑤⑥段落を根拠にまとめればよい。
Xは「印刷機の発明に合わせラテン語の聖書が出回る条件として/二重言語者の需要が予め存在した」、Yは「ラテン語の書物だけでは市場が飽和するという資本の都合により/口語俗語が書き言葉となり/出版の利潤に見合うよう統合され出版語が成立した」という趣旨にする。
<GV解答例>
印刷機の発明に合わせラテン語の聖書、他が市場に出回る条件として、聖書などの写本に対する二重言語者の超過需要が欧州市場に予め存在した。さらに、ラテン語の書物だけでは市場が飽和するという資本の都合により、各地域の口語俗語が書き言葉に変換され、出版の利潤に見合うよう統合を進めながら「出版語」を成立させた。(150)
<参考 S台解答例>
ラテン語の本が流通し、少数のラテン語読者たちの市場が飽和した後、新たな市場を開発するために、口語俗語で書かれた本が流通し、さらに、ヨーロッパ全土で多数あった口語俗語を一定規模のいくつかの重要な出版語に吸収されていく過程において、資本主義は需要と供給という市場原理による商品の流通を促す役割を果たした。(150)
<参考 K塾解答例>
資本主義は、需要と供給の関係を基にした市場原理を駆動力としつつ、印刷術の発達とも相俟って、商品化されたラテン語の本が市場で飽和すると、新たな需要を喚起さるために大衆の「口語俗語」で書かれた本の出版を促し、さらには効率的に利潤を生み出すために、数多の「口語俗語」を収斂した「出版語」の成立をもたらした。(150)
問二 (誤答選択)
<答>a,c
問三 (空欄補充)
<答>①イ ②ア ③エ
問四 傍線部Cに関して、次の(1)~(2)に答えなさい。
(1) 「聖なる言語」の本質についてのアンダーソンの理解と著者の理解の違いについて、100字程度で説明しなさい。
内容説明問題(対比)。⑮段落「「聖なる言語」をもっとも特徴づけることは何か」(Q)という疑問を承ける、⑯段落が解答根拠になる。Qに対する答えは、⑯冒頭「それらが、二重言語者が使う言葉であった」(X1)ということだが、アンダーソンの場合は、その認識を「ごく少数の人間が使う言葉であった」(X2)という認識に直結させる。それに対し筆者は、「聖なる言語」の第一義を「二重言語者たちのあいだでの交流を可能にする〈書き言葉〉だったこと」(Y1)とし、それゆえ「「聖なる言語」は〈普遍語〉だった」(Y2)と捉える。「X1─X2/Y1─Y2」とまとめる。
<GV解答例>
(1)「聖なる言語」の本質は、前者にとっては二重言語者が使う点にあり、故に希少な人間の言葉となるが、筆者にとっては異なる言葉を話す二重言語者の交流を可能にする書き言葉という点にあり、故に普遍語の性質をもつ。(100)
<参考 S台解答例>
(1)書き言葉である「聖なる言葉」の本質を、アンダーソンは二重言語者というごく少数の人間が使う秘儀的な文明の言葉であると理解しているが、著者は異なった言葉を話す二重言語者のあいだでの交流を可能にする普遍語であると理解している。(110)
<参考 K塾解答例>
(1)アンダーソンは、少数の特権的人間だけに使われる点に「聖なる言語」の本質を見出すが、筆者は、無数の「口語俗語」しかない世界で、二重言語者の交流を可能にする書き言葉として普遍性を持つ点にその本質を見出している。(104)
(2) アンダーソンがそのような理解に至った理由について、筆者はどのように考えているか。80字程度で説明しなさい。
理由説明問題。アンダーソンは「聖なる言語」を「少数者の言葉とみなし」(X)、「普遍語としての性質を見落とす」(Y)が、その理由はどこにあるか。Yについては、⑩段「なぜ、アンダーソンには、英語がほかの〈国語〉とはちがうということ(→〈普遍語〉としての性格)が見えなかったのか」に対する答え、「かれが英語を〈母語〉とする人間だからだとしか考えられない」(⑪段冒頭)を根拠とする。そして「英語を母語としたゆえに普遍語への視点を欠落させた」(Y+)とまとめる。Xについては、⑰段落より「アンダーソンが、「聖なる言語」にかんして、くり返し使う形容詞/「秘儀的」と訳される形容詞/大多数にとっては…アクセスがないものである/少数によって悪用される」を根拠に、「「聖なる言語」に見られる少数者による秘儀的性格に固執した」(X+)とまとめる。以上より「Y+に加え/X+から」と仕上げる。
<GV解答例>
(2)アンダーソンが現代の普遍語としての英語を母語とした故に普遍語への視点を欠落させていたのに加え、「聖なる言語」に見られる少数者による秘儀的性格に固執していたから。(80)
<参考 S台解答例>
(2)英語を母語とするアンダーソンには、自分の書き言葉である英語がすべての国語を越える普遍語となりつつある現実が全く見えず、そのような普遍語に関する思考が欠落しているから。(83)
<参考 K塾解答例>
(2)現代の〈普遍語〉たる英語を〈母語〉とするアンダーソンは〈普遍語〉に対する思考を欠いているうえに、「聖なる言語」を占有する少数者の特権性のみを焦点化してもいたから。(81)
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