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2018筑波大学/倫理/第三問
【2018筑波大学/倫理/第三問】
問三 キリスト教における「隣人愛」に対するミルの見解を述べよ。(400字内)
〈GV解答例〉
功利主義は、幸福すなわち快楽を最大化し苦痛を最小化する行為を結果として善とする思想である。その創始者ベンサムが幸福を量的に捉えて「最大多数の最大幸福」を実現するよう外的制裁に基づく社会設計を図ったのに対し、ミルは「満足した豚よりも不満足な人間の方がよい」として幸福を質的に捉え直すとともに、個々人の道徳心を重視して自由な社会を構想しようとした。そのミルにおいて「自分が他人にしてほしいことを他人に対して施せ」というイエスの黄金律こそが功利主義の理想的な構えである。それは、まず消極的な意味で他者への危害を抑制することで自由を最大限確保する原理となる。さらに積極的な意味では自己愛を利他精神に接続させ、人々の幸福の質をより高尚なものへと引き上げる規範ともなる。その黄金律を人間普遍に適用するのがイエスの言う隣人愛であるから、ミルにとってそれは自らの功利主義思想を完成させる上で中核となるべき規範である。(400)
〈ChatGPTくんの答え〉
ジョン・スチュアート・ミルは、キリスト教における「隣人愛」の教えに対して、個人の自由と道徳的自律を重視する観点から一定の評価をしていますが、同時にその教義が個人の自由に与える影響について批判的です。ミルは、隣人愛が持つ他者への配慮や善行の推奨は社会的道徳として有益であると認めつつも、キリスト教がしばしば強調する「自己犠牲」を伴う愛は、個人の幸福や自己実現を妨げる可能性があると考えています。
彼にとって重要なのは、個人が自らの幸福を追求する自由であり、他者への奉仕が強制的なものとなると、個人の自由と幸福が損なわれるという点です。ミルは、隣人愛が個人の道徳的選択として自主的に行われるべきであり、それが外部から強制される場合には、個人の自由が侵害され、社会全体の活力が損なわれる可能性があると警告しています。したがって、ミルは「隣人愛」の理念に対し、自由と自主性を尊重する視点から批判的な見解を持っていました。