至高の現代文/解法探究29〈対比・類比①〉
【至高の現代文/記述解法の探究・肉】
ここでは、本書に収録した全200題(記述小問)の解法を、汎用性のある形に分類して提示する。あわせて、各解法ごとに本書収録の参照問題を挙げる。略称は以下の通り。東→東京大学、京→京都大学、東北→東北大学、九→九州大学、北→北海道大学、阪→大阪大学、名→名古屋大学、橋→一橋大学、神→神戸大学、筑→筑波大学、広→広島大学。例えば「19東一.一」は、2019年東京大学の大問一の小問一をあらわす。
10.対比の基本形式
対比の答え方は、「XとYはZ(Z1,Z2…)という点で異なる」(一括型)という場合もありうるが、たいていは「Xは(X1,X2…)だが、Yは(Y1,Y2…)である」(分離型)という形式をとる。分離型では、できる限り要素をそろえ、対比を明確にして答える必要がある。できる限りとしたのは、場合によっては対比要素のうち、片方に重きが置かれることもあるので、その場合は「Xが~なのに対し、Yは~」といった形で後ろに厚みを出してまとめることになる。以下は典型的な対比問題。
→19九二.二、19阪一.四(1)、19阪(文)一.三、18広一.五、17橋一.四、18阪(文)一.五、18九一.五、18九一.七
(例題) 「今度のわからなさは最初のそれとは異質である」(傍線部B)とあるが、両者のわからなさはどういう意味で異質なのか、説明せよ。(六行:一行25字程度)〈19九大二.二〉
内容説明問題(対比)。主に④段落を根拠に、「今度のわからなさ」(X)を「最初のそれ」(Y)と対比しながら整理する。まず、Yは「他人が何を考えているのか」(Y1)という「対象への疑問」(Y2)であるのに対し、Xは「Yの問いへの他人の応答から派生する/他人がなぜその行為をしていたのか」(X1)という「理由への疑問」(X2)である。次に、Yが「他人に聞くことで解消するもの」(Y3)であるのに対し、Xは「どこまで問答を続けても晴れない場合があるもの」(X3)である。では、どういう場合に疑問が「晴れる」のか。⑤段落「異なる規範に従う者が、すなわち他者なのである」を逆利用して、「規範が重なった場合に」疑問が解消する。つまり「自他の行為規範が重ならない限り、解消されない」(X3+)のである。
以上より、「Yは(Y1/Y2/Y3)。Xは(X1/X2/X3+)」とまとめる。
<GV解答例>
「最初のわからなさ」は、他人が何を考えているかわからないという対象への疑問であり、他人に聞くことで疑問は解消する。「今度のわからなさ」は、先の問いに対する他人の応答から派生するもので、思考対象となる行為がなぜなされたかわからないという理由への疑問であり、自他の行為規範が重ならない限り、解消されない。(150)
<参考 S台解答例>
「最初のわからなさ」とは、他人が何を考えているのか、微に入り細をうがって外から観察して見ても、言い当てることは絶対に不可能であるという点であるが、「今度のわからなさ」とは、なぜそのそうなことを他人が考えていたのか、その答えを聞いても理由が納得できないという点である。両者は内容と思考の理由という点で異なる。(153)
<参考 K塾解答例>
「最初のわからなさ」は、路上でたまたま見かけた友人が必死で考えていることについて、外から観察しても理解不可能だが、当人に聞けば解決するというわからなさである。一方「今度のわからなさ」は、その友人が路上で暗算する理由を聞いても、それが自分には納得できないものであったというわからなさである。(144)
11.パラドックス(逆説)の基本形式
パラドックス(逆説)とは、一見矛盾するが、実は真である事態をあらわす。パラドックスの説明が問われている場合は、矛盾するように思える二項を、対比が明確になるように示す。その上で、その二項が真として結びつく理由を加えることになる。基本構文は「Xは、Rであるので、かえって(逆に)Yである」となる。
→19九一.五、02東一.三、09東四.二、17東北一.四
(例題)「温(ぬく)とい思い出の影がその辺いっぱいに漂っているようなもので、かえって安らかなのである」(傍線部イ)とはどういうことか、説明せよ。(60字程度)〈09東大四.二〉
内容説明問題(逆説)。傍線部が逆説(パラドックス)の一部になっている。逆説の基本的形式は「Xは/かえって(逆に)/Y」となるが、一見対立する二項(X/Y)に加えて、それをつなぐ理由Rも合わせて指摘する。傍線部を一文に延ばして、記号化して表すと「Xだが/~叔母にとっては/Rなので/かえってYだ」(傍線はR以下の部分)。そこで⑤⑥段落より、Xは「がらんどうの空間/ほの暗い/寂しい/(よって)怖い」ということだが、それが叔母にとっては、「この家に生きた祖霊に囲まれているよう」なので(R)、かえって「安らか」(Y)なのである。
さらに、傍線部を承けて次⑦段落で、「(都会の)えたいのしれない時間」と対比して「山羊小母たちの意識にある人間の時間」について指摘していることに着目したい。その山羊小母の時間は、「前代、前々代へと遡る広がり」のある時間である。そうした時間の中にあって、山羊小母は、仏壇を前に祖霊に「その日あったこと」を報告するのである(←⑥)。築百八十年の家という空間における「過去から今につながる時間の共有」こそが、山羊小母に安らぎを与える。こうした見方の正しさは、⑪段落「列伝のように語り伝えられる長い時間の中に存在するからこそ安らか」という記述からも裏付けられる。
まとめると、がらんどうの寂しい実空間は、それゆえに、山羊小母の心に祖霊たちの存在を呼び込み、この家に長く横たわる時間を共有して、山羊小母は安らかな気持ちになるだった。
<GV解答例>
がらんどうで薄暗い一人寂しい空間であるからこそ、この家に生きた祖霊に囲まれ、これまでと今の時間を共有して安楽でいられるということ。(65)
<参考 S台解答例>
一人で家に居ることによって、自分を見守る祖霊や生をともにした人々と交感し、むしろ気持ちが穏やかになるということ。(56)
<参考 K塾解答例>
一人だけで住む家も、そこに暮らした家族や先祖たちの霊との交歓を実感しながら生きている叔母にとっては、むしろぬくもりや安心を感じる場だということ。(72)
12.対比の設定(発見)
直接、対比を問うていないような場合でも、そこに対比が隠れていることを発見することで、一気に解答要素がそろうことは少なくない。また、対比を発見したら、情報の多い片方から、その情報を裏返す形でもう片方を具体化していく、という手法も汎用性の高いものである。
→ 19東一.一、19京一.三、19京二.三、19東北一.四、19東北一.五、19九二.四、19橋一.四、15東一.一、10東一.四、10東一.五、05東一.二、16東四.三、11東四.二、09東四.三、17神一.四、17神一.五、16京一.四、18九一.一
(例題) 「声によって、人間の世界と野生の世界との交流が、二つの世界の共存が、人間の文化を超えた深層において成就されている」(傍線部(ウ))とあるが、「声」によって成就される「交流」や「共存」とはどのような状態か。本文の内容に即して四十五字以内で説明せよ。〈19東北大一.四〉
内容説明問題。長い傍線を整理して、問いを再構成してみる。「声」により、「人間の文化(A)/を超えた深層(B)」において成就される「交流/共存」とはどのような状態か。ここでAと対応するのは、傍線の次⑭段落の「言葉」であり、われわれは「言葉というクモの巣のとりこ」になるが、それは世界の「局限」された姿でしかない。一方、Bとは、同じく⑭段落より、「言葉→声→音→音以前の世界」である。「音以前の世界」での「交流/共存」とは何だろうか。
傍線は「カロンさんの声を聞いているうちに」に導かれる部分であった。カロンさんは、さまざまな鳥、けものの声を驚くほど上手に真似てみせる、のだった(⑫)。言葉の世界は「観念」の世界であり、人間と動物、人間と自然、というような「分節」を経て成り立つ世界である。それと対比される声、そして音によって開かれる「世界」とはそうした分節を経ない、むき出しの自然=「野生」であり、人間は自らの「野生」にあたる「身体」により「野生と一体化する」というのが、ここでの「交流/共存」であるはずだ。
<GV解答例>
言葉の意味による限定を取り払い、声として響く音を通して、人が野生と身体的に一体化する状態。(45)
<参考 S台解答例>
言葉以前の声により、合理的な解釈を超えて人間と自然とが根源的な次元で交感し合っている状態。(45)
<参考 K塾解答例>
言語化以前の根源的な次元において、野生と人間の世界とが、一体化しつつ、交感している状態。(44)
13.対立項の利用
一見、解答ポイントについて直接的言及がない場合も、先に述べた対比の性質を理解すれば、その内容を浮き彫りにできることがある。解答ポイントに対立項が想定されている場合は、その対立項と反対の要素を、語義も踏まえて解答ポイントにあてはめ、文脈上矛盾することがないかを確かめる、という手順をとる。難度の高い手法である。
→19東四.三、18東一.二、09東一.三、02東一.一
(例題) 「『理論的虚構』という意味はまったく含まれていない」(傍線部イ)とはどういうことか、説明せよ。(60字程度)〈18東大一.二〉
内容説明問題。主語は「理論的存在」(観察できない対象のこと)。それは「「理論的虚構」(A)/ではない」。否定の後の肯定を見ると次文「それは知覚的に観察できないというだけで、れっきとした「存在」であり」とあるが、これではまだAに迫れない。他にAの直接的言い換えを探しても無いようだ。
この場合、「虚構」を辞書的に言い換える、では安易すぎ。もう一つ、「対比から迫る」手法がある。そこで同③段落最後の文「「実在」の意味は理論的「探究」の手続きと表裏一体」に着目。「探究」というからには、本来的に実在しており、それを実験などの理論的手続きで確認するのである(③段落4文目)(B)。
逆に考えて「理論的虚構」とは「理論の都合で事後的に構築されたもの」(A´)と言えるのではないか。「(理論的存在は)Bという点でA´ではない」とまとめた。主語は、自明な場合、字数の都合上カットして良いだろう。
<GV解答例>
知覚的に観察不能だが、実験を伴う理論的手続きを踏めばその実在性が再現できるという点で、理論による事後的な構築物ではないということ。(65字)
<参考 S台解答例>
理論的存在とは、証拠に基づく理論的探究を通じて構成されたものであり、それを無視した恣意的な構築物ではないということ。(58字)
<参考 K塾解答例>
理論的手続きによって導き出されたものが直接知覚できないからといって、ありもしないものを捏造しているわけでは毛頭ないということ。(63字)
<参考 T進解答例>
直接知覚できないが、実在性に疑いの余地はなく、適切な実験装置と一連の理論的な手続きによってその証明は可能で、決して単なる観念的創造物ではないということ。(76字)
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