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生きる理由
生きる理由。生まれてきた理由。
それがわからないから人間は悩み苦しみ続ける。思春期の多感な十代の青臭い厨二めいた悩みでもあるが一生をかけて追求しなくてはいけないものでもある。
思春期真っ盛り、今思えば辛い思いも悲しみも苦しみも何もない様な、周りより早く初体験済ませてぇくらいの焦りしかないお気楽な時期でさえ自分は生きる理由、生まれてきた理由とは何かと考え悩み苦しんでいたし、『イヤ、俺なんか寺継ぐために生まれてきたからね???』とやや半ギレで食ってかかってきた寺育ちの橋本に『生まれてきた理由が用意されてるだけマシだ寺を継げ』と返し坊主マジギレさせていたことも最早懐かしい。
そもそもお前坊主なんだからお前こそ生にちゃんと向き合えや貴様。橋本この野郎。
大半の人間は生きる理由などない。と半ば諦めて理由を探すのをやめる。
気持ちは分かる。考えても無駄だ。だがしかし私はそんな不明瞭な人生をぼんやりと生きて行けるほど強くはないし、自らの生と向き合うための思考を巡らす事を放棄する程脆弱でもない。
自分は殺された自己肯定感を取り戻すために生きていると思っている。
皮肉な事に。皮肉な事にだ。思春期のお気楽な時代には決して得られなかった生きる理由。自分が幸せにまともに生きていたら得られなかった真理。失ったものを取り戻すための逆上。心を病み魂を腐らせ罪悪感と後悔で台無しになった人生と自分に納得して死ねるだけの何かを探して生きている。
それは物かもしれないし、人かもしれないし、景色かもしれない。それはわからない。だからこそ私は色々な場所に行き、色々な人に出会い、色々な物を感じる。今までの自分の恥ずべき忌々しいろくでなしの人生をそれでも生きていて良かったと思えるような救いを求めて、最期に肯定できるだけの理由を求めてまだこの世界に期待して生きている。
自分は助けて欲しかった。
自分はきっとまだ助けられたい。
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