虐待なんて言葉が広辞苑から消えた日にきっと会いましょう
祖父のことが嫌いだった。いや、現在進行形で嫌いだ。祖父は人の傷つくことを平気で言う人間だった。ボケてしまって丸くなり、日がな一日ぼんやりとテレビを眺める無害な人になった今も別に好きではない。お葬式で泣かないと思う。
わたしは数年前に大学を退学した。うつ病が治る気配がなく、このまま大学という名の希望、つまり絶望を抱えたまま鬱の相手をするのは少々無理そうだと判断したからだ。でも出来ることならやめたくなかった。当たり前だ。高校時代、わたしは結構勉強を頑張ってきた。学年1位を何度もとったし、センター試験も8割取れた。一足先にAO入試で合格した友達が「毎日暇なんだよね。おすすめの本ある?」とヘラヘラしながら聞いてきた時も引っ叩かず、単語帳をめくることに専念した。第一志望には受からなかったけどそこそこの大学に合格出来た。が、いざ通おうとしたらうつ病になった。こんな悲惨な未来が見えていたら、わたしはあれほど勉強しただろうか?
でもそんな努力も未来への希望も将来性も根こそぎ奪うのが鬱という病気なわけで。
大学はやめた。後悔はない。
しかし、わたしの祖父は人間の心がない。ないないづくしである。
年が明けるとしきりに増える大学のCMをみなさんも覚えがあると思う。それを見ながら祖父は、「ここに行っておけば良かったんだよ」と言い放った。
わたしは目の前が真っ白になった。比喩表現である。だが、それくらい激昂した。怒りのあまり言葉が出なくて、祖父の家を飛び出した。わざわざ会いにきた孫に言うべきことではない。うつ病で大学を辞めざるを得なかった孫に、偏差値が30も下のFランに入っておけばよかっただと?
そうだ。わたしは高校時代の努力と、入った大学を誇りに思っている。「ここに入っておけば」とまるでわたしが間違った選択をしたかのような言い方と、言うに事欠いて内部進学生ばかりのクソバカ大学を大学受験のことなんてなーんにも知らない祖父が「自分が正しい」と言わんばかりに言ったのが本当に腹が立ったのだ。
わたしは夜道をずんずん歩きながら悔しくて、憎くて、つらくて、本当に悔しくて悔しくて悔しくて悔しくて、大声で泣いた。泣きながら歩いていた。
しばらく歩いていると、父が追いかけてきた。父は悪くないのに、ついてくんじゃねぇ!と思った。父に見せつけるようにわざとゆっくり歩いた。
父は駆け足でわたしに追いつくと、「泣くな!」と小声で言った。
わたしが全然言うことを聞かずにおいおい泣いていると、
「この家は子供が虐待されて死んでるから。この家の前で泣くな」
わたしは思わず口を閉じた。
一見普通の家だ。でもわたしはそのニュースを覚えていた。家族が子供を殴って死なせたのだ。祖父の家の近くだから覚えていた。
父に連れられてわたしは夜道を歩き、車に乗って家に帰った。
その被害者の女の子は小学生だった。
その女の子は、お母さんに殴られてどう思っただろう。最期、何を見たのだろう……。
あれから会わないうちに祖父はボケてしまって、今はわたしに早く嫁に行けと言う。うるさいので無視している。
その家の前を通る時、わたしはいつもその女の子のことを考える。小学生で亡くなったその女の子。母親に殴り殺された子。ニュースで顔も名前も見たけど、覚えてない。検索する気もない。わざわざ調べることは彼女への冒涜な気がするから。でも、わたしがあの夜、泣き喚いていた時、天国でも来世でもいい、彼女がどこかで、笑って過ごしていたことを祈ります。
そして、虐待なんて言葉が広辞苑からもニュースからも何もかもから消えて、「ぎゃくたい? なにそれ?」みたいになった時代に、何百年後に、あなたに会えたら嬉しいです。