光の計画変更、再び。(タイトルに迷った。)
昨日4月3日、朝起きた時に「あれ?何が変わったの?」と激しく思ったんですよ。
もう、午前中ずっとその事が頭から離れなくて、ずっと「なんだ?なんだ?なんだ~~~~~?」ってなってました。
で、ウェブでなんか情報が出ていないかを探してみたんですが、ピンとくる物は無かったんです。
でも、いつもなら初めの方で絶対チェックするはずの発信者の情報をチェックしていなかったんです。
その内容を今朝、他の方の翻訳で知りました。
そしたら、「よしっ!今日は書いておこう!」ってなったんです。
今回はそんなお話です。
目覚めて久しい方たちの多くは、
「何にも変わらないじゃん!何も起きないじゃん!」
となっていらっしゃる方が多いと思います。
かつての私は「目覚めない」多くの人々が知らず知らずの内に「闇」に加担しまくっている事に腹を立てていました。
「貴様らのせいで新地球への移行計画は100年コースになるんだ!」
ってな感じで、怒り心頭でした。
なんなら、「闇」に対する怒りを超える程だったかもしれません。
今ではそういう人達にあまり腹が立たなくなってきました。
なんでこんな事を書くかと言うと、皆さんも「集合意識」や「自由意思」と言う言葉を見聞きした事が有ると思うんです。
つまり、多くの人々は目覚めていないどころか「今の地球」を望んでいるんですよ。
自分が「奴隷」だと認識も出来ないし、愛や平和や調和を望んでいないんですよ。
税金やら保険やらスマホやら、色んな仕組みで搾取されているのを拒んでいないんですよ。
新地球への移行をサポートしてくれている高次の存在達はきっと、
「えええ~!これでもまだ判らないのぉ!」
とびっくりして、そのたびに「神の計画」を少しずつ変更してきたのですが、今回、またもや「計画変更」を強いられた訳です。
で、今回の計画変更と言うのは一言で言うと、今までよりもほんの少しアグレッシブに「地球の移行」をアシストしてくれるという内容です。
そうなる人は自然とその情報に辿り着くと思うので書きませんが、少なくとも悪い事では無いとは思います。
でもね、
だから何度も言ってるでしょ!
こんなんじゃ人類は目覚めないって!
って今回も言わせてください。
過去の記事でも何度か書いてますが、高次の存在達は甘いんですよ。
人類がどれほど愚かなのかを知らないんですよ。
まあ、他力本願の立場でお門違いの文句を言うのはこれ位にして、先へ進めましょう。
「直接助ける」のがどうして出来ないかと言うとですね。
「自転車の補助輪がいらなくなる。」みたいな事なんですよ。
一回練習しただけですいすい乗れるようになる人もいれば、中には毎日練習してるのに一か月もかかったなんていう人もいるんですよ。
これが、「覚醒」や「アセンション」に置いても起きるんですよ。
自転車の補助輪がいらなくなるには大体こんな要素がポイントになります。
コーチの良し悪し
これは結構大切です。
多くの人は親兄弟に教えてもらっていると思いますが、中には私のように一人で練習した人もいると思います。
これは「教わる必要性」と「教え方」に関わるテーマですね。
学校が終わってから毎日1時間程度練習して5日位かかりました。
補助輪を外すのに5日かかりましたが、周りの誰よりも早くハンドルを握らなくてもスイスイ漕げるようになりましたし、少し広めの道なら手放しで曲がれる位になりました。本人のセンス?
これも「練習期間」に影響が出ますよね。
自転車の場合は「感覚」として「物理」を知っているかどうかという事だと思います。
慣性、ジャイロ、摩擦、脱力・・・
みたいなのを解る人は教えられなくても知っているんだと思います。本人の心持?
これが最も大切かも知れません。
転んでも疲れても、怪我しても、それでも「補助輪が取りたい」とどれくらい強く思うかですね。
どうです?
みなさんの中にも補助輪無しの自転車が簡単に乗れる方法を上手く説明できないって言う方がいらっしゃるのではないでしょうか?
この「自転車」と言うテーマはまさに「アセンション」の難しさと言う事柄を考えるのにぴったりなんですよ。
まあ、スキーでもスノボでもサーフィンでも何でも良いんですけどね。
既に出来ている人から見ると、「とても簡単」な事でもなかなかできない人から見れば「意味が解らん!」位に難しかったりするという事です。
数学の問題なんかもそうですが、「解らない人は自分が何を解っていないのかが解らない」んです。
だから「自転車を漕ぐ」という「単一の目的」で有ったとしても「同じ練習方法」で、誰もが「同じ練習期間」では出来るようにならないんです。
で、「出来てる人(高次の存在)」からすれば、「何度同じ事を繰り返せば解るの?」と思っているんですよ。
ね?自分の子供やお友達がなかなか補助輪無しで自転車に乗れなくて、何とかしてあげたいと思うなら「手を変え品を変え」、歯がゆい思いをしながら教え続けますよね。
そういう事なんです。
ちなみに私には二人の娘がいて、上の娘は私が教え、下の娘は嫁が教えました。
結果としては上の娘は2時間でいきなり両方とも補助輪が取れてスイスイ、下の娘は片方ずつ補助輪を外して2週間毎日練習してようやく乗れるようになりました。
誰に教えてもらいたいかは娘の意思で決定しました。
私が娘に教えたのは二つだけです。
物凄い顔で嫁が「そんなので乗れるようになるわけがない!」と怒っていたのを思い出しました。
嫁に取ってはいきなり両方の補助輪を外して練習させること自体が意外過ぎたようで、更にパパが訳の分からん事を娘にさせてると思ったようです。
ブレーキ
補助輪付きでゆっくりとしか漕いだ事が無い人は意外とブレーキが上手に使えません。
補助輪を外すと「スピード」が要求されるので安全上の配慮も込みで改めてブレーキの練習をさせました。
自転車は進んでないと転びますからね。最初は。
上手くなってくると止まっていても転ばないように出来たりするんですけどね。
何度も「漕いで!」、「ブレーキ!」を繰り返しました。
もちろん、パパがずっと自転車を支えながらです。転ぶ方向にハンドルを切る
これは自転車が傾いた方向にハンドルを切る、
傾きの多さに合わせてハンドルを切る量を調整する。
と言う物です。
「体重でジャイロ制御」する事を感覚的に学ぶための考え方です。
何度も何度も、「左っ!」、「右っ!」ってやってるうちにすんなりと理解し始めましたね。
その後は複合練習で発信と停止を短い距離で何度かやっているうちに乗れるようになりました。
2時間後には公園の中をスイスイしてました。
よっぽど嬉しかったらしく、「今日はもう帰ろう」と言っても「もう少し乗りたいっ」って言ってましたね。
もちろん、途中で他のお子さんにぶつかりそうになったりはしましたけどね。
最初はパパが娘の自転車を追っかけて走り回って、何かにぶつかりそうになったら前に回り込んで体で自転車を止めてあげました。
※私は自転車毎娘を持ち上げる位に力持ちで体も頑丈です。
更に練習した公園は自転車OKで広い所でした。
他の人は真似しない方が良いです。
この話は自慢では無く、教える側も教わる側もお互いに「信頼」と「工夫」と「意思」が必要で、「上手くシンクロした時に上手く行く」と言う一つの例です。
え?じゃあアセンションは?
ってなりますよね。
万人に言える事は
瞑想です!
私はあまりしなくなってしまいましたが、瞑想は大事です。
瞑想が上手くなる事よりも瞑想する事によって多くの事が変化すると言ったほうが良いでしょうか。
例えば瞑想しようと思うと最初の頃は色々準備が必要だったりしませんか?
一人の時間や静かな部屋、「普通の人」をやめてスピリチュアルモードに入ったり・・・
いざ始めてもいろんな事が頭から離れなかったり、騒音に邪魔されたりしますよね?
そんなこんな「全て」を合わせて瞑想の練習なんですよ。
慣れてくると地下鉄に乗りながらでも「瞑想モード」に入れるようになりますからね。
それまでは頑張ってください。
もちろん、瞑想中に何かを見たりできるかはその人次第ですけどね。
はい。最後まで読んでくれた方、有難う御座います。
少しでも何かのヒントになれば幸いです。
4月以降の短期的社会予想です。
ズバリ!目覚めて無い人達や闇ってる人達が加速的に「バカ」になります!
もう!付き合ってらんねぇ!
位にです。
ご注意ください。
どこまでも、どこまでも、どんどん、世界は悪くなりますからね。
多くの魂を目覚めさせる目的だそうです。
そうなんですよ。
戦国時代なら戦に行って、腕を失ったりしても「仕方ない」ってなります。
江戸時代ならその感覚はかなり変わったでしょうね。
世界大戦中も感覚は違ったでしょうね。
現在なら「誰かの暴力によって腕を失う」なんて事は考えられない位の大事ですよね?
でも、次の戦争を欲している人たちがいますね。
おそらく阻止されるとは思いますが、気分が良い物では有りませんね。
「戦争の必要性」をどんどん広めています。
「受け入れる奴隷」も大勢います。
何でもそうやって「奴隷達に受け入れさせて」いるんですよ。
・・・
では。