人はかくも限定に弱い
街が死んでいる。
今日は在宅ではなく、都内のオフィスに
出勤し、帰りが8時を回った。
緊急事態宣言の前から、例の「まん防」
とやらで、20時過ぎには飲食店が店を
閉める状況が続いているわけだが、
出勤自体が減っているために
街の状況をこの時間に見ることが
ほとんどなかった。
灯りが少ない。
人が少ない。
車も少ない。
街が甦るのはいつになるのか。
そんな気持ちを感じながらの
会社からの帰り道。
駅構内に降りていったところに、
新しい看板を見つけた。
いつも日替わり、あるいは数日毎に
交替で、様々なスイーツのお店が
出店している場所だ。
「京都限定」とある。
続いて「黒豆塩大福」とあった
ように記憶している。
いかにもパソコンの行書体フォントに
ありそうな書体で、大きな文字で
書かれているその看板(といっても
ラミネートされた厚紙の類)の下に、
何人かの客が群がっていた。
私は、その看板に書かれている言葉に
強烈な違和感を持ち、
更にそこにそれなりの人が群がって
いるという事実に違和感を覚えた。
「京都限定」
これは一体何を意味しているのだろうか?
ここは東京であって、京都ではない。
ということは、
「京都だけで売ってます」
という意味での限定でないことは
火を見るより明らかだ。
黒豆が京都だけで採れる?
確かに黒豆と言えば丹波が有名で、
丹波市こそ兵庫県であるものの、
京都府にも京丹波という地名があって
黒豆が名産となっている。
しかしながら、全国どこでも黒豆の
生産は行われているはずだ。
塩大福だって、京都以外のあらゆる
地域で手に入るのは言うまでもない。
一体他に、どんな意味で「京都限定」を
うたえるのだろうか?
考えても分からない。
結局のところ、私の推察としては、
「限定」という言葉を使って
煽りたいだけなのではないか?
ということなのだ。
人は確かに「限定」に弱い。
期間限定
数量限定
ご当地限定
季節限定
お得意様限定
学生限定
シニア限定
ランチ限定
・・・
いわゆる「希少性の原理」で、
人は希少だと言われると欲しくなる
性なのだ。
それにしても、と思う。
「京都限定」という、
意味が破綻しているコピーでも
人を引き寄せる力があるのだ。
単に大福に惹かれているだけで、
「京都限定」の威力は微々たるもの
なのかもしれないが、少なくとも
売っている側はそれを一番の押しに
している様子なのだ。
「限定」で煽るのが全て悪いとは
言わない。
実際、煽り目的でなくとも、
限定せざるを得ない場合だって
あるのは間違いない。
ただ、せめて意味の通る「限定」の
使い方をして欲しい。
帰り道にその看板を見て、
そんな風に感じたのだった。