そろそろマスクをするのは息苦しい季節
今日の関東地方は、午前中激しい風雨に
見舞われた。
昼頃から徐々に雨も止み、午後はうっすら
陽も差して、蒸し暑い陽気。
こんな蒸し暑い日に、マスクをして歩く
のは鬱陶しいことこの上ない。
ちょっと歩いただけでも汗をうっすらと
かくような湿度なので、肌に接している
部分がなんとなく湿っている感じがする。
ようやく政府が重い腰を上げ、
屋外ではマスク着用ほぼ不要という
内容の方針を発表した。
これを受けて、本当に少しずつではあるが、
マスクを外して歩いている人が増えつつある
と実感している。
私も、通勤時に、家と駅構内までの間、
駅構内とオフィスまでの間については
マスクを外して歩くようにしている。
そもそも、ランニングをする際は、
ほんの一時期(1か月程度)を除いて、
全くマスクをせずに過ごしてきた。
人ごみの中を、息を周囲に積極的に
吐きかけながら走るならばともかく、
普通に走る分には何ら不都合はないと
確信していたからだ。
私のそんな確信とは裏腹に、コロナが
まだ世の中で本格的に恐れられていた頃は、
マスクなしで走っているというだけで、
30mも離れているご老人が、まるで暴漢に
襲われるのを必死に避けるかの様相で
しゃがみこまれるということを、
一度ならず二度も経験した。
マスクと常に隣り合わせの生活に突入し、
早や2年以上が経過している。
記事中にもある通り、そんなマスク生活の
長期化の影響が色濃く反映され、
「着けずに外を歩くと変な顔で見られそう」
という理由でマスクを外すことに抵抗を
持っている様子がうかがわれる。
正に「同調圧力」というやつである。
周囲と密に協力関係を築き、仲間うちで
仲良くやっていくためには、みんなで
手をつないで同じことを続けるという
のはそれなりに大切なこと。
しかし、意思決定を、何が正しくて
何が正しくないか、という観点で決める
のではなく、みんなと同じかどうかと
いう観点で決めるというのは、決して
褒められたことではない。
そう思うのは私だけではないだろう。
たまたま今日、アメリカから一時帰国
していた知人と一緒にランチをしたの
だが、アメリカでは、既に屋外で誰も
マスクをしていないという。
確かに、大リーグの様子をニュースで
目にしたときに、観客席でのマスク姿は
ほぼ見当たらない。
レストランなどの屋内においても、
かなりマスクなしでの生活に戻って
いるとのこと。
もちろん、アメリカがそうしているから
日本もそろそろ、などという薄っぺらい
議論をするつもりはない。
あくまでも、マスクをするのが合理的か
否かについて、論理的にしっかり考えた
上で、どのようにマスクと向き合うのか
決めるべきだろう。
「同調圧力」が幅を利かす社会。
日本人は、自分で考える力をとことん
なくしてしまったのではないか、
そんな危機感が募る。
自分には、一体何ができるだろうか。
草の根で始められることは、
何かあるだろうか。
行動で示していこう。
己に磨きをかけるための投資に回させていただき、よりよい記事を創作し続けるべく精進致します。