危機下のリーダーシップ
危機にあるときこそ、
リーダーシップのあり方が問われる。
どう進めば良いのか?
何をすれば危機を脱するのか?
誰もが顔を見合わせて困惑する、
そんな場面でこそ、リーダーは
立ち上がらねばならない。
今はまさに世界中が危機真っ只中、
あらゆるところでリーダーシップが
求められている。
特に、政治の世界では、それが
ひときわ目立つところ。
安倍首相のリーダーシップが
散々批判されているが、
批判する方にその資質があるのか?
と問いたくなるようなメディアが
多いので、多少は割り引かねば
ならない。
その割引分を考慮しても、
今回は大変に残念な点数しか
あげられない、そう思う。
私自身、いわゆる「信者」ではないが、
安倍首相のこれまでの功績は
痛いほどよく理解しているつもりだし、
自民党に他に代わりがいるかと
言われても、残念ながら首を縦に振る
のは難しいと言わざるを得ない。
習近平に遠慮したのか、初動で中国
からのヒトの流入を止められなかった
ことから、消費税減税という最も有効な
打ち手をなぜか繰り出せず、極めて
勢いを欠く景気対策に至るまで、
しまいにはマスクを一家に2枚配布と
きたら、感覚が国民とあまりにも
乖離してしまったのではないか、
としか言えない。
千葉市長が、そのスピード感溢れる
リーダーシップで、市民の側に立った
行政運営にトライしている様子が
まるでヒーローのように扱われていた
のがとても対照的だ。
もちろん、一国1億2000万人の代表と、
一地方都市100万人の代表とでは、
その責任の質、重さが全く違うことは
否めない。
しかし、出口の見えない閉塞感漂う今、
千葉市長のような機敏かつ理に適った
動きが、多くの人の心を捉えるのは
自然な流れなのだろう。
こうした一連の動きを見ていて思う
のだが、やはり「巻き込み型」の
リーダーとでも言おうか、主語が
「私たち」になっているリーダー、
我々聴衆に対して、目線を合わせ、
一緒にやろうという雰囲気を醸し
出せるリーダーにこそ、人は付いて
行きたくなるのだと思う。
「いいから黙って付いてこい」
では誰も付いてこないし、
「付いてきてくれませんか?」
と弱々しいのも考えもの。
ケネディやオバマのような、
聴衆を主役に引き上げつつ、
一緒に成し遂げよう!という
「私たち」
を主語にできるリーダー。
そして、昨日の
「パプリック・ナラティブ」の話に
つながるのだが、
現在進行形で行っている課題解決を、
自己開示、自分語りをしながら
周囲を巻き込んでいって、
自分だけの「物語」から
自分たちの「物語」へと、
自己完結する「ストーリー」から
未来を紡ぐ「ナラティブ」へと、
昇華させられるようなリーダー。
そんなリーダーが求められている
のではなかろうか。
そんなリーダーへと、自分自身も
成長していきたいものだ。
己に磨きをかけるための投資に回させていただき、よりよい記事を創作し続けるべく精進致します。