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「老い」の予行演習

昨日のこと。
疲れ目と、花粉症から来るかゆさとで、
目薬を差したくなった。
その時使っていた娘の机の上に目薬が
置かれていたので、てっきり花粉症用
だと思って差し、しばらくはそのまま
ノートに書きものをしていた。
そのうち、段々と目がぼんやりと
してきて、
「せっかく目薬差したのに、
 どうなってんだ!?」
と思いつつ、そのうち何とか
なるだろうと思って書き続けようにも、
益々ピントが合わなくなる。

ここまでピントが合わないのは
さすがにおかしいと気付き、
慌てて目薬を見ても、当然文字が
全く読めない。
落ち着け、自分。
それを持って、別の部屋にいた妻に、
「この目薬、何かがおかしい」
と訴え、能書きを読んでもらったら、
なんとピント調節力を修復するために
寝る直前に差すための目薬だった
ことが判明。
元通りになるまで、5〜6時間はかかる
というではないか。
トホホ、である。

仕方ないので小一時間昼寝をするも、
それでもちっともピントが戻らない。
残念ながら、目を使うのはあきらめて、
耳を使う方に軌道修正。
結局、能書きどおり、6時間経って
何とか元に戻ったという顛末。

普段は1.5の視力ゆえ、少々視力に
頼りすぎる嫌いがある。
そういう自覚はあった。
だから余計に、視力に問題が生じた
際にパニックになりやすい素地が
ある、そんな気がする。
そこを、意志の力で抑え込む。
パニックしたら、最悪の方向に近付く
訳で、冷静に対処すべしと理性をフル
稼働。
こういう時は、まず深呼吸を繰り返し、
天の上から自分を客観的に見るつもり
になってみる。

いざ、本当にぼんやりとしか見えない
状況を体験すると、視力が落ちて
メガネやコンタクトレンズを使っている
人たちの気持ちに初めて近付けた、
そんな感想を抱いた。

そして、何より貴重だなと思ったのが、
やがて訪れる老年期に体験するで
あろう感覚を先取り出来たのでは、
ということである。

人間、生きていれば怪我もするし、
病気もする。
どこかしら調子が悪くなるのも、
日常のことだ。
それらのことに遭う度に、いちいち
クヨクヨしたり、嘆いたりするのは、
人生の、時間の無駄遣い。

そうは言っても、、、現実に自分の身に
降りかかれば、痛みや恐怖に支配され
やすいのが人間。

どうやってポジティブに解釈しやすく
するかを考えた結果が、
病気も怪我も未来に迎える老年期の
予行演習、練習だと捉えたら良い
ということ。

若い間は、何でも出来る、ある種の
全能感に包まれて生きている。
老いるとは、この全能感からひとつ、
またひとつと、「出来ること」という
薄皮をペリッ、ペリッと剥がされて
いくようなイメージだ。
時折、薄皮どころか、グイッと
えぐられたりすることもあるのが、
今回のような経験。
いざ未来を迎えた時に、準備万端で
いられるために今がある、そう思う
ことで、前向きで生産的な時間を
過ごせるのだ。

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ahiraga
己に磨きをかけるための投資に回させていただき、よりよい記事を創作し続けるべく精進致します。