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フレームワークを持つことの意義

昨日は今年初めての日曜日。
毎週日曜日の朝にお世話になって
いる読書勉強会が催されまして、
石井光太郎著『会社という迷宮』
「統治」の章を主に読み進めました。

漢字にすると「統治」ですが、
昨今の新聞等メディアに出てくる
用語としては「ガバナンス」の方が
より頻度高く目にしますよね。

この本は、会社を経営する中で
ぶち当たる様々な悩みや疑問
に対し、
よく使われる数々の言葉の定義や
解釈を解きほぐしていくことで、
何らかの光明を見い出そうとする

ものです。

既に、
「戦略」
「市場」
「価値」
「利益」
「成長」
「会社」

といった言葉と格闘し、昨日
「統治」
のところまで読みました。

特に昨日感じたことなのですが、
どの言葉と格闘する上でも、
我々読み手が何らかの枠組み、
フレームワークを持っているか
否かで、読み込みの深さが大分
変わって来る
ように思われます。

「統治」あるいは「ガバナンス」
いう言葉の意味を巡って、著者は
会社の経営と国家の経営で共に
「統治」という言葉を使うことに
着目し、その内容を比較検討
して
いました。

議論の最終的な落としどころに
ついては、特段否定するものでは
ないのですが、その考え方は少々
極端ではないか?とのツッコミを
入れたくなる内容
もなきにしも
あらず。

自分自身が、そのテーマについて、
何らかの考え方のフレームワーク
事前に持っていれば、著者の議論が
そのフレームワークに沿っているか
否かで、その妥当性をある程度まで
推察することができます

逆に、何のフレームワークもない
状態で、理詰めで色々と説得に
かかられれば、そういうものなの
かなぁ・・とそのまま受け止めて
しまう可能性が随分と高まる
こと
でしょう。

今回の話で言えば、
「コーポレートガバナンス」
に関してある程度勉強しておけば、
著者が国家「統治」との比較を
始めた時点で、何かしら違和感を
抱く可能性が高そうです。

あるいは、「会社法」「商法」
つまりは法学のフレームワーク
持っていたら、著者の議論に対して
更に鋭く斬り込んでいけそうな感覚も
ありました。

私の場合、何でもかんでも一旦
「マーケティング」の視点で
受け止めてみる/斬り込んでみる
ことが多く、今回も実際そのように
読んでいた次第です。

そうした自分なりのフレームワークが
あると、「違い」に気付きやすくなる
ことが最大のメリット
でしょう。

「違い」に気付けば、自ずとそれは
「なぜ?」という疑問へとつながり、
そこから思索や議論を展開できる

ことになるわけです。

また、フレームワークを持っていれば、
逆にそれを適用しない、まっさらな
状態で受け止めてみる、という技を
繰り出すこともできる
でしょう。

フレームワークを持たない、
それこそ丸腰で対峙するのと、
持った上で「あえて」それを使わない
のとでは、自分が持てる余裕度合いが
まるで異なる
はずです。

というわけで、自分が世の中を分析し、
斬り込んでいく上で使うことのできる
「フレームワーク」を、一つや二つは
是非持っておくべきだ
、と結論づけて
おきたいと思います。

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ahiraga
己に磨きをかけるための投資に回させていただき、よりよい記事を創作し続けるべく精進致します。