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師匠と教祖の違い
積読期間がすっかり長くなってしまって
いる本が、何冊あるだろうか。
ずっと気になっているにも関わらず、
なかなか読み始めるに至らない本たちが
机上に鎮座ましましている。
ようやく手を付けることのできたものの
一つに、橘川幸夫さんの近著、
『メディアが何をしたか? Part 2』
がある。
橘川さんは、知る人ぞ知る、
時代をリードした敏腕マーケター。
音楽投稿雑誌『ロッキング・オン』や
全面投稿雑誌『ポンプ』の創刊を手掛け、
その後マーケティング調査や商品開発に従事。
ウィンドウズが世に出た頃に、早くも
デジタルメディア研究所を立ち上げて、
幅広く「メディア」を独自の視点で
見据えて来た方である。
「投稿」というのは、読者が雑誌づくりに
能動的に参加することに他ならない。
この「参加」というキーワードを、人生を
かけて追い続けて来たとも言える。
現在の肩書は「参加型社会学会・代表理事」
となっているのだ。
その橘川さんの本を読んでいて、
気になるフレーズを見つけた。
師匠とは自分が未成熟で、どうしてよいのか分からない時代に、そこにいるだけで、力強さと方向性のヒントを与えてくれる人である。回答を与えてくれる人は教祖である。回答のヒントを与えてくれる人が師匠であり、弟子はやがて師匠を乗り越えようとしなければならない。
とても本質的な指摘である。
回答を与えてくれる人は、
もがき苦しんでいる、迷える人たちに
とってみれば、救いの神に見える。
その回答にすがることで、
今の苦しい状況から脱することができる
かもしれない。
そう思えるものだから、
「教祖と信者」の関係が出来上がって
しまう。
しかし、与えられる側にとって、
答えがこうだと決められてしまうことは、
むしろ不幸なことだろう。
自分で能動的に動いて、自ら勝ち取った
ものでない限り、真の成長は難しい。
手取り足取り教えられてしまったら、
自ら工夫することも不要となる。
ただ楽をして、ロクに考えもせず、
答えだけを受け取る。
唯一無二の教義をうやうやしく説く、
新興宗教の教祖様にコロリとやられて
しまった憐れな子羊でしかない。
やはり、「教祖」は危ういのである。
これに対し、「師匠」というのは、
答えを一発で提示することはなく、
弟子と一緒に居ながらやり取りすることで
・力強さ
・方向性のヒント
といったものを与えてくれる存在だと
示唆されている。
よく、古来より続く「〇〇道」のような
世界においては、師匠と弟子の関係は
「手取り足取り」からは程遠く、
いかに弟子が師匠から「盗む」かが
重要だったりする。
弟子が師匠を崇敬し、
その高みに至ることを強く希い、
止むにやまれぬ思いで師匠の技を
伝承しようと試みることなしに、
弟子が真の意味で実力を身に付ける
ことは叶わない。
何でもかんでも「コスパ」「タイパ」で、
すぐに回答を見たがる風潮にある
今の世の中では、師匠と弟子のような
関係は、流行らないのかもしれない。
しかし、自らリーダーシップを発揮して
掴み取りに行く気概がない限り、
どんな道であってもその奥義を極める
ことは難しい。
奥義とまで言わずとも、大きな成長は
望むべくもない。
橘川さんの文章から、そんなことに
思いを馳せたのだった。
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