優れたコーチのアプローチ
私が高校生の頃、バスケットボールの
全国的な強豪と言えば、圧倒的に
能代工業高校が頭抜けていた。
『SLAM DUNK』の山王工業のモデル
と言った方が通りがいいかもしれない。
その後、NBAで活躍する八村塁が
在籍していた明成や、福岡第一、
福岡大大濠、延岡学園、北陸、
八王子学園、京北、東山、洛南、
帝京長岡、開志国際といった辺りが
上位でしのぎを削って来た。
中でも、福岡第一の強さは、
他と比べて抜きんでている。
特に、現在はBリーグの横浜で
活躍する河村勇輝選手が現役だった
ときの強さは圧倒的。
その福岡第一を率いている監督が、
名将・井手口孝さんである。
彼のインタビュー記事が『致知』
4月号(約3ヶ月前)に掲載されて
おり、遅ればせながらそこにあった
エピソードに感化されたので紹介
したい。
今でこそ全国大会決勝の常連で
あるものの、監督就任までの道のり、
そして就任後の道のりも、決して
順風満帆ではなかったようだ。
創部から携わって努力を重ね、
たった2年で福岡のベスト8に、
5年でインターハイ出場にまで
持っていくことができたという。
ただ、そこに落とし穴があった。
振り返ると、驕り高ぶる気持ちが
どこかにあったのだという。
2000年に選手と共に渡米し、
全米大学コーチとして最高の賞を
日系人として初受賞された指導者、
デイブ・ヤナイさんの指導を受けに
行き、二週間滞在した。
そこで、ロサンゼルス一の強豪校と
練習試合をしたものの、全くもって
歯が立たず、選手たちの心が折れ
かかっていたそうだ。
そんなタイミングで、エース選手が
ミスでボールを取られ、そのまま
相手に速攻されて失点。
その選手は、戻ってディフェンスする
気力もなく呆然と立ち尽くしてしまった
とのこと。
もし井手口さんが自ら指導していたら、
「この野郎、お前のミスだろ。
自分で戻ってディフェンスしろよ」
と言っていたはずだという。
ところが、デイブ氏の対処は違っていた。
この一言で、選手は突然泣き出し、
その後人が変わったように激しく
ディフェンスを始めたのだという。
一言目で、まず相手を認める。(A)
二言目で、原理原則を伝える。(B)
三言目で、A=Bのはずなのに、
そうなっていないのはなぜか?と
投げかけて、自分の中に葛藤を
起こさせている。
ほんの短いやり取りに過ぎないが、
見事なコーチングだ。
井手口監督は、この出来事に衝撃を
受け、指導者としての力の差を感じ、
以降、声のかけ方一つから見直して、
自らを変えていった様子。
人を無理矢理動かすことは難しい。
できたところで、長続きしない。
いかに自ら考えた上で動くように、
動きたくなるように仕向けるか。
コーチングの「真骨頂」を、
見事に捉えた事例だと言えるの
ではなかろうか。