人間は「神になった動物」なのか
長らく毎週日曜日の朝に読書勉強会で
読み進めて来た『サピエンス全史』が、
遂に先日読了となりました。
知的好奇心をくすぐり続け、
輪読している仲間と議論する上で
尽きない話題を提供し、
自身で様々な考察を巡らすヒントを
ふんだんにもらうことができ、
極めてコスパの良い書籍だったと
思います。
原著(2011年発刊)の「あとがき」に、
副題的に「神になった動物」という
言葉が出てきました。
7万年前に登場したときは、
本当に取るに足りない動物でしか
なかったホモ・サピエンスという
存在が、年月を重ねるに従って
「全地球の主」となり、
「生態系を脅かす」存在にまで
至った現在。
永遠の若さを手に入れたり、
遂には命の創造という領域にまで
足を踏み込んでいる我々を、
著者のハラリは「神になる寸前」と
表現しています。
とはいえ、自分たちで自分たち自身の
首を締めているようにしかみえない、
それもまた事実ではないでしょうか。
生態系を犠牲にして、自分たちの
欲望を実現させつつ、その欲望は
満足を知ることがありません。
このまま生態系を壊し続けて、
壮大なしっぺ返しを食らわない
保証はどこにもないでしょう。
一体我々はどこへ行くのか?
そもそもどこへ行きたいのか?
そんなホモ・サピエンスを、
「不満で無責任な神々」として、
その危険性を揶揄する結末でした。
本当に「神」であれば、
より「全知全能」に近い存在なわけ
ですが、現在の世界を見渡す限り、
現存する複雑な諸問題をすんなりと
解決できるほどに、我々の知性も
能力も十分な発達を遂げているとは
到底思えません。
文庫版(2023年発刊)の「あとがき」
には、この12年間に起きた新たな
革命とも言うべき「AI」についての
記述が加えられていました。
ハラリのAIに対する視点は、
これまたとても示唆的です。
未だ「揺籃期」にあるに過ぎないにも
かかわらず、その質の面でこれまでの
人類史上のどんな発明とも異なり、
すなわちサピエンスが主導権を奪われる
危険性を指摘。
更に、AIが「物語」を語る技を身に付ける
ことで、人間の文明のOSをハッキングし、
とまで述べていました。
私自身は、AIは「知能」面で既に人間を
圧倒しているものの、「知性」という
面においては、どこまで行っても人間に
追い付くことはないのではないか、
そんな風に考えていました。
ここで「知能」というのは、
答えのある問いへの対応能力、
「知性」というのは、
答えのない問いを立て、それを追い求める
能力としておきましょう。
AIが自主的に問いを立てることはなく、
あくまで人間が出すプロンプトに
反応する受身な存在だと考えると、
やはりAIには高い「知能」はあっても
「知性」面に限界があると思うのです。
しかし、ハラリはもっと大胆な未来を
推測しているようです。
AIは数年のうちに、人間の文化全体を
「消化」して、新たな文化的所産を
大量に吐き出し始めるかもしれないと
述べ、今後の数十年間には、気がつくと
人間以外の知能が抱く夢の中に人間が
閉じ込められている可能性がある、
そんな予言めいた言葉をつづって
いました。
サスペンスドラマさながらの、
手に汗握る展開です。
まだ依然として残っている時間で、
ハラリの原著のあとがきに提示された
この問いに答えることができるのか?
今の世界の混迷を見る限り、
極めて困難な挑戦だと思うわけですが、
時は待ってはくれません。
暗い未来を恐れても、何も生まれません。
明るい未来を信じ、自分にできることを
コツコツやるしかないでしょう。