「経路依存性」を超える
『世界標準の経営理論』を書かれた
入山章栄早稲田大学教授が、面白い
ことを言っていた。
この経営理論を思考軸にすれば、コロナ前後で何も本質的な変化はない。
変化、イノベーションこそが勝負を分けるのであり、コロナによってそれが加速しただけである。
この「変化の加速」により、
日本においてはサービス業の崩壊が
起こるのではないか?
特にやばいのが教育産業、殊に大学である、
そんなことを言っていたのだ。
なんだかんだ、サービス業は経路依存性に
守られてきたのだ、そう入山教授は指摘
する。
この経路依存性という言葉、耳慣れないし
聞くからに小難しさを感じさせるが、
要は「過去のしがらみに縛られやすいこと」
といった意味合い。
どの企業でも、例えば新しい商品を出す
とか、販促をするなど、何かしら決定を
下すにあたり、
「前例はあるのか?」
「他社はやっているのか?」
を参考にしたがる。
しかし、前例も他社事例も、その時々の
状況に応じて決定がなされたはず。
現在直面している状況に応じて最適な
決定をなすにあたっては、必ずしも
参考にならない。
それを、ついつい参考にしてしまう、
しなければならないと思ってしまう、
そんな状況を表しているわけだ。
そして、サービス業における経路依存性の
最たるもの、それが「日本語」だという
指摘にハッとした。
近い将来、自動翻訳技術の発達により、
日本人が日本語で話した内容が、瞬時に
アメリカ人に英語で届く、
ドイツ人にドイツ語で届く、
中国人に中国語で届く。
そうなることは確定している。
このとき、日本の大学産業は、外国の
有力大学に太刀打ちできないだろう。
入山教授が所属する早稲田や、
私のお世話になった慶應ですら、
世界ランキングでは200位とか300位の
辺りをウロウロしている状況を思えば、
日本の大学は半分以上潰れるのでは
ないか。
自ら所属する「業界」を敵に回す、
ある意味過激で恐ろしいコメントだが、
見事に的を射ていると思わざるを
得ない。
翻って、自分自身の所属する会社や、
個人でやっている仕事を、この
「経路依存性」の観点から見直すこと、
その必要性を強烈に思い起こさせる。
これまでやってきたから、
これからも同じように続く。
そんなことは「寝言」にしかならない。
たとえ頭で分かっていても、
実際に手足を、体を動かして、
それにどう対応していくのか、
行動しない限りは先がない。
自分が変わらなければ、
世の中が先に変わり、
時代に置いていかれるのみ。
似たようなことは他のエントリー
でも書いたことがあるし、
常々肝に銘じていることでは
あるが、この「経路依存性」という
言葉とセットで頭に叩き込んでおきたい。
そんなことを考え、リマインダーの
意味も兼ねて書き残す。