平賀源内先生のお墓にご挨拶
以前から、行かねばと思っていた。
それは、台東区橋場にある。
隅田川にかかる白髭橋からほど近い。
しかし、最寄り駅はどこも非常に遠い。
平賀源内は、52歳のときに小伝馬町の
獄で破傷風で亡くなったと言われる。
その後、当時台東区にあった曹洞宗の
総泉寺に葬られたそうだ。
その総泉寺は、関東大震災の折に被災、
板橋区小豆沢に引っ越してしまった。
しかし、平賀源内の墓だけは、跡地に
そのまま残されて今に至っている。
なぜここに来たかったか。
それは、私のご先祖様だから、
ということではない。
苗字はたまたま同じだが、
残念ながら血縁関係はない。
しかし、それ以上の濃いご縁を
(勝手に)感じ、早いうちに
ご挨拶に伺わねば、そういう
思いに駆られていたのだ。
源内さん由来で、高校時代にあだ名が
「ゲン」となって以来、源内さんは
ある意味他人ではない。
かといって、人に付けられたあだ名
だったので、どことなく馴染めない
部分もあった。
そんな気持ちが変わったのは、
ここ数年の話。
10年以上前から、プレゼンする機会が
あると、冒頭の自己紹介で源内さんの
有名な肖像画を「ツカミ」に使っては
いたのだが、あくまでそれだけの話。
それが、「DAF」というイベントに
出演して人前でスピーチをするように
なり、ただの「ツカミ」から昇格して
「自分のアイデンティティの一部」と
言えるような状況になったのだ。
DAFでは、10分(次回は5分)という
短い時間の枠内でスピーチを行う。
その冒頭の極めて短い時間で、
自分がどんな人間かを端的に、
印象深く伝える必要がある。
そんなとき、「平賀源内の子孫」だと
言っておいて、即座に否定(自虐)する
ことを、定番のネタにしたのである。
最近では、より積極的に、
「子孫ではないが、生まれ変わりです」
と言い切るようにしている。
冷静に考えると「怪しい」物言いである。
しかし、ここは「言った者勝ち」、
源内さんへの敬意を込めて、このように
名乗らせてもらっているのだ。
そんなわけで、勝手に肖像画を使い、
子孫であるかのようなふりをしたり、
生まれ変わりと名乗ったり、
源内さんの知名度を借りて、
好き放題やって来たというわけ。
そんな源内さんに、日頃の感謝のご挨拶を
しておきたい。
そう思い始めて数ヶ月、ようやく今回の
GWの半ばに訪問の機会を得たのだった。
素晴らしい快晴の下、
お墓にご挨拶が出来てスッキリ。
これからも、源内さんの「生まれ変わり」
という名に恥じない活動を続けていく。
こちらに、私が前回出演した「DAF」の
映像(約4分の短縮版)がある。
冒頭で、源内さんの生まれ変わりだと
名乗る部分だけでも、見てやって
いただければ幸いである。
次回「DAF32」では、5分間という
短い時間のスピーチに挑戦する。
切れ味鋭いスピーチをお届けするので、
是非とも会場でお会いしたい。