毎日がギフト、毎日がスペシャル
Merry Christmas!!
クリスマスというイベントは、
今ではすっかり日本に定着したが、
そもそもはキリスト教における
イエス・キリストの降誕を祝う
お祭りである。
それがいつしか、
実質的な商戦と化し、
恋人同士あるいは家族にとっての
大きなイベントとして存在感を
増して来た。
Wikipediaによれば、
明治屋が銀座に進出した1900年頃から
「クリスマス商戦」が始まったらしき
ことが書かれている。
前日のクリスマスイブに、
ドキドキしながら床につき、
朝目覚めて枕元を確認し歓喜する。
そんな年一回のお楽しみを
待ち遠しく思っていた
子どもの頃の記憶が懐かしい。
いつしか、ギフトの主は
サンタクロースなどではなく、
自身の親であることが分かり、
成長と共にイベントの過ごし方も
変化をしていく。
ギフトをもらう方も、
ギフトを贈る方も、
クリスマスというイベントに
関わった時点で、双方共に
既にギフトを受け取っている、
そんなことが言えると思う。
もらう方は、
何がもらえるのかな、という
ドキドキワクワク感。
あれが欲しいな、願いを叶えたいな、
という希望。
贈る方は、
喜んでもらえるかな、という
ドキドキワクワク感。
笑顔になってくれれば嬉しいな、
という希望。
モノ、あるいはイベントそのものは、
あくまでそれらの感情を「媒介」
しているに過ぎない。
贈り手と受け手との、豊かな感情の
やり取りを、イベントが橋渡しして
くれているという構図なのだ。
プレゼントするモノだったり、
クリスマスというイベントだったり
といった媒介物があろうとなかろうと、
この豊かな感情のやり取りを
日々行うことができれば、
毎日がスペシャルになる。
いや、この竹内まりやの歌詞にある通り、
「息をしてるだけ」で十分に幸せであり、
毎日がスペシャルになるのだ。
クリスマスの朝、
そんなことをつらつら考えた。
一日一日、
様々な人と「ギフト」を交換しながら
生きていける幸せ。
息をして、
食事を楽しみ、
暖かい家に住み、
衣服にも困らず、
仕事ができて、
息抜きに遊びもできて、
そして何より家族や友人と共に
生きることのできる幸せ。
それが当たり前でないこと、
天からの「ギフト」であるということに
しみじみと感謝である。