オペラ『フィガロの結婚』観劇記
記憶にある限り、半世紀生きて来て
人生初のオペラ観戦。
10月9日(日)14:00開演。
小田急線新百合ヶ丘駅からほど近い、
昭和音楽大学に併設の劇場、
「テアトロ・ジーリオ・ショウワ」
において、モーツァルトの作曲による名作、
『フィガロの結婚』を観る機会に恵まれた。
他のオペラ作品を観たことがなく、
オペラの劇場自体も初めてであり、
比較検討する能力も資格もないため、
あくまでも感想文の域を出ないことは
予め断っておきたい。
オペラは「総合芸術」と言われる。
交響楽団が舞台の下方に控え、
素晴らしいクラシック音楽を奏でる中で、
劇が舞台上で進行する。
この音楽的な要素だけを取ってみても、
なかなかに得難い経験ができるのだが、
それに加えて文学的要素、演劇的要素、
美術的要素が盛り込まれ、なおかつ
それらが見事に統合されているのだ。
とはいえ、このような分析も、実のところ
単なる「受け売り」なのだが、
この4つの要素に従って、自分の感じた
ところを述べてみることとしよう。
音楽は、聴いていて何とも耳心地よく、
きっと素晴らしい演奏に違いないと
感じることが出来た。
冒頭一曲目から、いきなり聴いたことの
ある旋律で始まり、そこでハートをグッと
掴まれる感覚である。
途中途中に、名曲がいくつも出て来るため、
素人にも楽しめるのは間違いない。
文学的要素、言い換えると「ストーリー」も、
当時のヨーロッパの雰囲気を色濃く反映した
内容ゆえに、現代に生きる我々からは滑稽に
感じる内容もありつつ、人間の欲望を見事に
描き切っている。
封建時代の名残の「初夜権」などという
考え方が出て来るのだが、場面展開が割と
早く、登場人物も多いために混乱しがち。
一応予習して臨んだ方が良いだろうことは、
蛇足ながら付け加えておこう。
ちょっと話が横道にそれる。
『フィガロの結婚』では、封建的な領主が
やり込められるわけで、「貴族批判」的な
色合いが強い。
いわゆる「社会風刺」であり、オリジナル
台本は発表当時上映禁止になった。
その台本を、モーツァルトから相談を受けた
イタリア人の詩人ダ・ポンテが、マイルドに
書き直す前提でオペラ化の許可を取り、
結果「人間喜劇の傑作」が誕生したそうだ。
そんなエピソードも知った上で観劇すると、
また味わい深さも増してくる。
話の流れを元に戻す。
続いて、声と表情としぐさと踊りとで
役柄の持つ性格を再現し、演劇として
十二分に観客を楽しませてくれた。
出演者の巧拙にまで言及できる程、
私も目が肥えていないのが現実である。
ただ、領主(アルマヴィーヴァ伯爵)役の
存在感が圧倒的だったという点はとても
印象深かったため、感想として残しておく。
更には、当時の服装や家具などの美術的
要素、言い換えれば「意匠」にも入念に
注意を払い、観るものを飽きさせない、
華やかで美しい舞台を演出していたように
思う。
本来の舞台であれば、素晴らしい演技に
対して「BRAVO!」などと叫ぶ人が
いるのだろうが、このご時世、大声で
叫ぶわけにもいかず、周囲の紳士淑女の
皆様も誰一人声を出さずに、ただ黙々と
拍手に徹していた。
私も、素晴らしい舞台に敬意を表し、
手が痛くなるほど拍手し続けたのだった。
己に磨きをかけるための投資に回させていただき、よりよい記事を創作し続けるべく精進致します。